結婚式の日は、異様なほどに晴れ渡っていた。
アースレイン本城の中央広場に設えられた儀式場。
真紅と白銀の絨毯が敷かれ、荘厳な柱に囲まれた空間には、各地から集まった貴族たちが整然と席に着いていた。
カテリナ家の従者、フェルディナンド家の使節団、シュバイツ家の代表者たち。
そして、王家の者たちまでもが、その場に姿を現していた。
王都の聖堂を模した装飾。
神の祝福を演出する光魔法が空に舞い、鳴り響く鐘が場を荘厳に染め上げていく。
だが、この結婚式の本質は祝福ではない。
これは宣戦布告であり、制圧の儀だ。
「当主、準備は整っております」
ドイルが一礼し、僕に新たな外套を差し出す。
黒の紋章、金糸で剣神の双翼が刺繍されたそれを羽織り、僕は式場へと歩を進めた。
高台には、聖女の衣を纏ったフレミアが立っている。
白金のヴェールと金色の花冠。その姿は、神の使いと見紛うほど美しかった。
それでも、彼女の眼差しは澄んでいた。怯えも、疑念もない。
そこにあるのは、覚悟だけだ。
「ヴィクター・アースレインよ」
儀式官が高らかに問いかける。
「汝、この女フレミア・カテリナを、アースレイン家の正嫡として娶ると誓うか?」
「ああ、誓う」
強く、迷いなく。そう言葉を紡げば、周囲がわずかにざわめいた。
王家の席に座るマリスティーナ王女が、面を伏せたまま、口元だけで微笑を浮かべていたのを僕は見逃さなかった。
「ならば、汝らを神に代わって、夫婦と認めん」
フレミアがそっと手を差し出す。僕はそれを取り、指先に口づける。
その瞬間、魔法陣が空に浮かび上がった。
アースレイン家とカテリナ家の結合を告げる古き契約の紋。
「さて」
ジェイが呟いた。
「これで、剣神と聖女が揃った。王家は笑っていられるか?」
「今のうちだな」
僕はフレミアと肩を並べながら、出席者たちの顔を見渡す。
フェルディナンド家の使節は一言も発さず、黙して杯を掲げていた。敵か味方かは、まだ決まっていない。
シュバイツ家は笑みを浮かべながら拍手を送るが、目は冷たい。
王家の使者。その中には、聖堂騎士団長の姿もあった。
「どうやら、次の舞台は整ったようだな」
フレミアが静かに囁く。
「ええ。では、次は王家の席を引きずり下ろす番ですよね?」
彼女の微笑みは、花のように優しく、それでいて刃のように鋭かった。
礼拝堂の天蓋に、光が差し込んでいた。
聖歌隊の歌声が静かに広がり、白い花弁が舞う。
剣と祈りを象徴するこの場所で、僕は剣を腰に、礼装に身を包み、祭壇の前に立っている。
彼女は美しかった。荘厳で、清らかで、どこか儚くもある。
だが、その中に芯を感じる。
僕にすら手を伸ばす強さを持っている。
それを僕は知っている。
♢
四大貴族家、そして王家。
王家からはマリスティーナ王女が、シュバイツ家からは若き代表である学士長子息が、フェルディナンド家からは寡黙な青年使節が送られてきている。
いずれも二十歳前後。まだ若いが、家を背負うに足る者たちだ。
特にフェルディナンドの使節アルトリウス・フェルディナンド。
黒髪に琥珀の瞳、背は高く、鋭利な印象を持つ魔導の家系らしい青年で、余計な言葉は発しないが、こちらの動きを見極めようとする目をしていた。
一方、シュバイツ家の代表ミレオ・シュバイツは、対照的に柔らかい笑みを浮かべた青年だった。
銀の眼鏡をかけ、洗練された物腰と皮肉を込めた祝辞で式に華を添えたが、その視線はどこか醒めていた。
「……今日のこの日を、アースレイン家の再出発として、歴史に刻もう」
僕が挨拶を述べると、フレミアが隣に立ち、共に頭を下げた。
王家は表情を読ませないまま頷き、使節たちはその背後で静かに拍手を送っていた。
それぞれが観察者であり、審問者でもあるようだった。
「おめでとうございます。当主、フレミア様」
筆頭執事のドイルが、祝福の言葉を投げかけると、続いて従者たちが拍手を始めた。だが、式場全体に流れる空気は、完全な祝福だけではない。
どこか、張り詰めた緊張が、薄い霧のように漂っている。
それは、おそらく皆が理解しているからだ。
これは、単なる結婚ではない。
王家に対抗する意志を、内外に示す儀式。
フレミアが僕の隣に立った瞬間から、カテリナ家とアースレイン家は完全に連なる。そして、二つの侯爵家を結ぶこの結婚は、王家を含む政権中枢に対する明確な布石になる。
「……素晴らしい式ですね」
ミレオ・シュバイツが後方から声をかけてきた。
場の空気を壊さない程度に、柔らかく。
「これで二つの家が結びついた。さて、次はどう出るか。誰がこの動きを抑えるのかそれとも、導くのか」
「見極める気か?」
「もちろん。私は賢者の家の者ですから。観察と記録が本分です」
ミレオの笑みは、どこか他人事だった。
レオの従兄弟である彼は、レオとは全く違う雰囲気を持っている。だがその裏で、火花のような思考を走らせているのが分かる。
こいつの目は冷たい。
「……動かぬものを動かすのは、論理ではなく、意志だ」
「では、貴方は意志の側……か。ならば、今後の展開に興味がありますね。私は理論で生きているので」
ミレオが立ち去る中で、アルトリウス・フェルディナンドがただ一言を発した。
「この結びつきに意味があるなら、いずれ我が家も……」
そこで言葉を止め、彼は礼拝堂を一瞥した。
「王家の反応を見てから、だ」
無論だろう。
この国の均衡は、今まさに崩れつつある。
僕は手を取り、フレミアと視線を交わした。
「……緊張している?」
彼女は微笑んだ。
「ええ。でも、それ以上に誇らしいわ。あなたと共に立てることが」
その言葉に、僕は心が冷えていくの感じる。
利用する関係。忠誠でも、取引でもない。
それもまた結びつきだった。
式が終われば、次は行動だ。
フェルディナンドを引き込み、シュバイツに揺さぶりをかけ、王家の根幹にある白因子計画を潰す。
その先にあるのは王家そのものを終わらせる戦だ。
だからこそ、今日のこの日は始まりだ。
アースレイン家が、国家の中心に立つための。