披露宴の場は、白銀と紅の装飾で整えられた城の大広間。
招かれた貴族たちが円卓に散らばり、音楽と香り、食器の音が祝祭の空気を作り出している。
だが、ここに集った者たちの多くは「祝福」ではなく、「観察」を目的としている。
「おめでとう、ヴィクター・アースレイン侯爵閣下」
背後から滑るような声が届く。振り向けば、薄紅のドレスを纏ったマリスティーナ王女が、手にグラスを携えて近づいてきていた。
初めて会った時は、グレイスの婚約者だった。
だが、今では王家の外交を担当する立場で、彼女は式に参列していた。
その目は微笑んでいながらも、氷のように冷たく、刃を隠し持つ猫のように細められている。
「これは、わざわざご足労いただき恐れ入ります、マリスティーナ王女殿下」
僕は形式的に礼を取り、その視線の奥を探る。
フレミアがやや下がり、王家の姫君と僕の間に無言の空白が生まれた。
「こうして正式に夫婦となられたお姿を、私自身の目で見届けることができて、光栄に存じます。亡き婚約者の分までお二人には幸せになってほしいと思っていますわ。何より陛下もきっとお喜びでしょう」
現在は、陛下が今も王位についているが、時期国王は入れ替わりに入る。
それが王国の乱が始まる合図になりそうだ。
「陛下の心中を代弁なさるとは、王女殿下も変わらず鋭敏であらせられる」
「ふふ、それはどうでしょう。私はただ、父の体調を心配する一人の娘ですわ。最近は陛下もなかなか表に出てこられないので心配なのです」
グラスの中で揺れる葡萄酒。
赤い液体が光を反射して、血のように瞬いた。
彼女が僕の瞳を見つめて、こちらの真意を探っている。
アースレイン家とカテリナ家の結びつきが、単なる婚儀以上の意味を持つ。
「それにしても、アースレイン本城は美しく整備されていますのね。戦のためではなく、祝福のために造られたよう」
「ありがとうございます。ご覧いただけて何よりです。防衛の要としても充分に機能いたしますが」
互いに牽制するような言葉の応酬が行われる。
「ええ、ええ。きっと、そうでしょうとも。ですからこそ、私たち王家も安心していられる……そう思ってよろしいのかしら?」
「ご安心ください。我らアースレイン家は、決して先には剣を振るいません。王家を守る剣でいますよ」
グラスを傾け、視線を正面に合わせる。
「振るわれた刃には、必ず応えるまでです」
マリスティーナの笑顔が、ほんのわずかだけ動いた。
口角が引き上がった分だけ、眼差しが冷えたように感じられた。
「強い言葉ですわね。まるで、今にも誰かが刃を抜こうとしていると、そうでも言いたげな」
「ただの警戒です。ここに集まったどの家も、いずれどちらの側に立つかを選ばねばなりませんから」
明確な言葉はハッキリとは言わない。
だが、互いに未来はわかっている。
「まぁ、私たち王家はすでに選んでおりますけれど。選ばれた側の責任は、重くて苦しいものですわ」
その言葉に、周囲の耳がわずかに動くのが見えた。
この披露宴は、政治の舞台でもある。
誰が、どこで、どんな発言をしたかはすぐに記録され、伝播する。
「重いからこそ、王家は多くの家を抱え、血筋に縛られて生きてきた。だから今、自由な意志を持つ者の存在が、恐ろしいのでは?」
「ええ、確かに。縛られたまま生きる者には、意志を剣に変える方々は、ひどく眩しく映るものですわ」
彼女は小さくため息を吐き、肩をすくめる。
「でも、だからこそ……人の世は美しいのです。敵にも味方にも、同じ人間としての意志がある」
祝福の言葉は、皮肉と真意を包んで届く。
どちらが先に攻めるか。まだ、答えは出ていない。
「……お祝いの言葉、感謝します。マリスティーナ王女殿下」
「私も、祝う資格があるうちに、祝っておきたかったの」
そう言い残し、彼女はグラスを空にして微笑み、踵を返す。
舞踏のような優雅さで、赤絨毯を去っていった。
その背に向けて、僕は目を細める。
この宴の静寂が破られる日は、そう遠くない。
マリスティーナ王女が去った後、わずかに空気が緩んだ。だが、その余韻を断ち切るように、静かな足音が背後から迫る。
「……話せる時間をいただけますか、アースレイン侯爵」
背後でそう声がした。振り向かずともわかる。黒衣の青年フェルディナンド家の使節、アルトリウス・フェルディナンド。
魔導の家系に連なる彼は、王家にも表立って従わぬ沈黙の家として知られ、その代表たる彼もまた、言葉数の少なさで有名だった。
「構わない。祝いの席だ。話す相手は多い方がいい」
グラスを手に、空いた隅の卓へと促す。アルトリウスは無言のままそれに従い、対面に立った。
彼は背が高く、端整な顔立ちをしているが、どこか彫像のように表情が乏しい。琥珀色の瞳が静かに僕を射抜いていた。
「……あなたの動きには、焦りがない。それが不気味だと、王家は感じているようです」
「焦る理由がない。必要な布石は揃いつつある。むしろ、王家の方が急ぎ過ぎているのでは?」
そう返すと、アルトリウスは視線をわずかに逸らし、グラスに手を添えた。
「……我が家は、王家の白因子計画に協力していない」
静かに放たれたその言葉に、僕は目を細めた。
「……ならば、どうして沈黙を保ち続けた? カテリナ家の娘が利用され、シュバイツ家が頭を垂れても、フェルディナンド家は動かなかった」
アルトリウスはその問いに即答しなかった。数秒の沈黙の後、低く、重く答えた。
「沈黙は、観察と同義です。火がどこから点くかを見極めるために、我らはあえて身を伏せていた」
「そして、ようやく見えたと?」
「アースレイン家の剣に、祈りが加わった。ならば……我らの魔は、どちらに向くべきかを、そろそろ決めねばなるまい」
言葉は中立を装いながら、明確な意思を含んでいた。
「王家が白因子を再起動させる気ならば、魔族を狩るための兵器を民の頭上に置くのと同義。我が家の理念とは相容れません」
「なるほど。君の家は制御に価値を置くが、王家のそれは支配に近い。意志なき魔術兵器など、ただの虐殺兵器だ」
アルトリウスは小さく頷いた。
「だが、それでも、貴方がこの先に進めば、血の海を渡ることになる。……それを本当に覚悟しているのか?」
問いではあったが、どこか試すような声音だった。
僕は応えた。
「覚悟など、最初からしていない。必要なのは、選ぶことだ。剣を振るうか、鞘に納めるか。それだけの話だ」
その答えに、アルトリウスの唇が僅かに動いた。感情を見せぬ彼にしては、珍しくそれは、ほんのわずかな笑みだった。