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第118話

《side:ヴィクター》


 冷たい風が、城壁の上を吹き抜けていく。


 朝早くに王が崩御した知らせが届いた。


 アースレイン本城の最上層、戦旗の棚に寄りかかる。


 それ自体は驚くことではない。もとより、王都に情報を走らせていた者たちからの報告で、あの老王の命が風前の灯火であることは分かっていた。


 けれど、その「死」が意味するのは、単なる一人の終わりではない。


 玉座の空白。王国という巨人の心臓の停止。


 王が死ねば、継承が生まれる。


 そして、血の継承こそが、今この国を縛っている最大の檻だった。


「やはり……動くべき時か」


 低く呟いた俺の背後から、ジェイの声が返る。


「覚悟はできたのか?」

「ああ。待ちすぎれば、他が先に火を放つ。王都には既に、シュバイツ家が動いた気配がある」


 報せの書簡には、ミレオ・シュバイツが王女マリスティーナと会見した旨の記録が含まれていた。


 シュバルツ家は、レオの一件もある。


 何よりも研究者として、白因子計画に興味を持っている家だ。


 同時に、王家と手を結ぶ未来を選んだ。


 王女は、父の死と同時に、自らが王を継ぐ意志を宣言したという。


 ただの形式的な継承ではない。


 王国を、今の体制のまま維持し、俺たちのような「変革の芽」を焼き払う覚悟でいる。


「彼女が動く前に、俺たちが動く」


 そう言うと、ジェイは黙って頷いた。


 無口で、忠実で、そして戦においては百の兵に匹敵する男。この戦の決断を告げるにあたり、真っ先に相談すべき存在だった。


「兵の動員は?」

「第一軍はすでに動ける。城の防衛は任せて、第二軍は西の山岳を越えて王都を囲む。三日もあれば、包囲の輪を築けます」

「よく動いてくれているな、ジェイ」

「大将が信じてくれるなら、兵は動く。……王都が動くタイミングによって、剣を抜くのは準備できている。次に動くのは俺たちだ」


 ジェイの言葉に深く頷いた。


 この国は、今まさに揺れている。


 民は王を知らず、貴族は王家とアースレイン、どちらにつくかを見極めようとしている。


 迷っているうちに未来が奪われるのなら、いっそこちらから動くしかない。


 このまま王女が即位すれば、未来で見た王国の悪政が始まるのと同じだ。


「……民に告げろ。これは反逆ではない。王家の腐敗と血統至上主義から民を解放する、真の継承のための戦だと」

「それを信じる者は、すでにアースレインの下に集ってるよ」


 ジェイは、何の疑いもなくそう言った。


 だが、俺には分かっていた。


 これは、理では動かせない戦になる。

 僕自身の個人的な意味合いが強い。


 フレミアの手を取り、リュシアを守り、そしてこの国を変える。


 そのために、血を流す覚悟はとうにできていた。


「……夜明け前に出る」

「承知だ。すでに、使いの鳥は飛ばしてある」


 ジェイは静かにその場を辞した。


 残された風の中で、俺はゆっくりと背を伸ばし、王都のある東方を見やった。


 遠く、月が雲間に顔を出している。


 その光が照らす先に、玉座がある。


 すでに王は死んだ。


 ならば、次の玉座を選ぶのは剣と、意志の強さだ。


「マリスティーナ。俺は、もう止まらない」


 その名を呟いて、俺は歩き出した。


 すべての始まりは、ここからだ。



 夜明けの薄明光が、戦地を黄金に染めていた。


 軍旗がたなびく。アースレインの紋章を戴く数千の兵が、風の中に立っている。


 誰も言葉を発さない。


 それでも、皆の目が俺に注がれていた。


 丘の上、俺は黒馬の背から降り、歩を進める。


 音のない大地に、俺の足音だけが響いていた。


 王都は、もう目と鼻の先だ。


 その扉を叩く前に、俺は兵たちに向かって声を上げた。


「兵たちよ」


 風が止まる。


「お前たちは何者だ?」


 声が、冷たく、強く響く。


「貴族か? 王の犬か? 名誉の奴隷か? 違うはずだ」


 俺は剣を抜いた。儀礼のためではない、本物の戦剣だ。


「お前たちは、この国を変える者だ!」


 言葉に熱がこもる。


「王家は腐った。血だけを誇り、民を見ない。貴族は名ばかりの影に成り果てた」


 その剣を、朝日にかざす。全軍が、その光を目に焼きつける。


「ならば、我らが新たな誓いを立てよう」


 静かに剣を下ろし、地面へ突き立てる。


「我らアースレインは、もはや旧き冠に仕えず、偽りの玉座に跪かず。民のために、国のために、この剣を掲げる!」


 胸を張って叫んだ。


「この一剣に、王の座を奪る!」


 兵たちの目が、次々と燃え上がるように輝きはじめる。


「剣を掲げよ!」


 その一言で、何千という兵が、一斉に剣を抜いた。


 轟音のような金属の響き。


 声はなかった。だがその場に満ちていたのは、言葉を超えた信念の叫びだ。


 俺は、それを受け止めながら、もう一度、宣誓した。


「我が名はヴィクター・アースレイン。この国の未来を掴む者だ! 共に進もう、王国の扉を叩き、真の玉座を奪い取るその時まで!」


 戦旗が、吼えるように舞い上がる。


 俺たちの戦いは、これより始まる。


 命の限り、理想のために。


 そして、この国を変えるために。



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