《side:ヴィクター》
冷たい風が、城壁の上を吹き抜けていく。
朝早くに王が崩御した知らせが届いた。
アースレイン本城の最上層、戦旗の棚に寄りかかる。
それ自体は驚くことではない。もとより、王都に情報を走らせていた者たちからの報告で、あの老王の命が風前の灯火であることは分かっていた。
けれど、その「死」が意味するのは、単なる一人の終わりではない。
玉座の空白。王国という巨人の心臓の停止。
王が死ねば、継承が生まれる。
そして、血の継承こそが、今この国を縛っている最大の檻だった。
「やはり……動くべき時か」
低く呟いた俺の背後から、ジェイの声が返る。
「覚悟はできたのか?」
「ああ。待ちすぎれば、他が先に火を放つ。王都には既に、シュバイツ家が動いた気配がある」
報せの書簡には、ミレオ・シュバイツが王女マリスティーナと会見した旨の記録が含まれていた。
シュバルツ家は、レオの一件もある。
何よりも研究者として、白因子計画に興味を持っている家だ。
同時に、王家と手を結ぶ未来を選んだ。
王女は、父の死と同時に、自らが王を継ぐ意志を宣言したという。
ただの形式的な継承ではない。
王国を、今の体制のまま維持し、俺たちのような「変革の芽」を焼き払う覚悟でいる。
「彼女が動く前に、俺たちが動く」
そう言うと、ジェイは黙って頷いた。
無口で、忠実で、そして戦においては百の兵に匹敵する男。この戦の決断を告げるにあたり、真っ先に相談すべき存在だった。
「兵の動員は?」
「第一軍はすでに動ける。城の防衛は任せて、第二軍は西の山岳を越えて王都を囲む。三日もあれば、包囲の輪を築けます」
「よく動いてくれているな、ジェイ」
「大将が信じてくれるなら、兵は動く。……王都が動くタイミングによって、剣を抜くのは準備できている。次に動くのは俺たちだ」
ジェイの言葉に深く頷いた。
この国は、今まさに揺れている。
民は王を知らず、貴族は王家とアースレイン、どちらにつくかを見極めようとしている。
迷っているうちに未来が奪われるのなら、いっそこちらから動くしかない。
このまま王女が即位すれば、未来で見た王国の悪政が始まるのと同じだ。
「……民に告げろ。これは反逆ではない。王家の腐敗と血統至上主義から民を解放する、真の継承のための戦だと」
「それを信じる者は、すでにアースレインの下に集ってるよ」
ジェイは、何の疑いもなくそう言った。
だが、俺には分かっていた。
これは、理では動かせない戦になる。
僕自身の個人的な意味合いが強い。
フレミアの手を取り、リュシアを守り、そしてこの国を変える。
そのために、血を流す覚悟はとうにできていた。
「……夜明け前に出る」
「承知だ。すでに、使いの鳥は飛ばしてある」
ジェイは静かにその場を辞した。
残された風の中で、俺はゆっくりと背を伸ばし、王都のある東方を見やった。
遠く、月が雲間に顔を出している。
その光が照らす先に、玉座がある。
すでに王は死んだ。
ならば、次の玉座を選ぶのは剣と、意志の強さだ。
「マリスティーナ。俺は、もう止まらない」
その名を呟いて、俺は歩き出した。
すべての始まりは、ここからだ。
♢
夜明けの薄明光が、戦地を黄金に染めていた。
軍旗がたなびく。アースレインの紋章を戴く数千の兵が、風の中に立っている。
誰も言葉を発さない。
それでも、皆の目が俺に注がれていた。
丘の上、俺は黒馬の背から降り、歩を進める。
音のない大地に、俺の足音だけが響いていた。
王都は、もう目と鼻の先だ。
その扉を叩く前に、俺は兵たちに向かって声を上げた。
「兵たちよ」
風が止まる。
「お前たちは何者だ?」
声が、冷たく、強く響く。
「貴族か? 王の犬か? 名誉の奴隷か? 違うはずだ」
俺は剣を抜いた。儀礼のためではない、本物の戦剣だ。
「お前たちは、この国を変える者だ!」
言葉に熱がこもる。
「王家は腐った。血だけを誇り、民を見ない。貴族は名ばかりの影に成り果てた」
その剣を、朝日にかざす。全軍が、その光を目に焼きつける。
「ならば、我らが新たな誓いを立てよう」
静かに剣を下ろし、地面へ突き立てる。
「我らアースレインは、もはや旧き冠に仕えず、偽りの玉座に跪かず。民のために、国のために、この剣を掲げる!」
胸を張って叫んだ。
「この一剣に、王の座を奪る!」
兵たちの目が、次々と燃え上がるように輝きはじめる。
「剣を掲げよ!」
その一言で、何千という兵が、一斉に剣を抜いた。
轟音のような金属の響き。
声はなかった。だがその場に満ちていたのは、言葉を超えた信念の叫びだ。
俺は、それを受け止めながら、もう一度、宣誓した。
「我が名はヴィクター・アースレイン。この国の未来を掴む者だ! 共に進もう、王国の扉を叩き、真の玉座を奪い取るその時まで!」
戦旗が、吼えるように舞い上がる。
俺たちの戦いは、これより始まる。
命の限り、理想のために。
そして、この国を変えるために。