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虹色の塔 3

 空が見えた。地平線がどうして一本なのか、その理由を知りたかった。

 タイヤの音が消えていた。コンクリートを駆けた音が、もう残っていない。今度は風の音が耳へと入ってゆく。砂漠の風。夢であるなら、音なんてしないはず。唾液を飲んだ。ほとんどないけど。キャップをはずし、一気に水を飲みたい。空っぽの胃には、最高のプレゼント。光に揺れて、命を吹き込んで、ちっぽけで骨と肌色だけの私を救ってくれる。

 足首は締まっている。朝のジョギングの効果だ。風に飛ばされる気はなかった。流されて、知らない村へ運ばれる気なんてしない。気付くと走っていた。塔の入口を目指して、全力で走っていた。

 ほら、あなたが夢見た塔だよ。あんなに近くにある。ここで止まったら、ハゲワシが皮を裂いて、骨を切って、空っぽの胃も腎臓も、煙草を吸わない肺も、嘴で喰いちぎられてしまうよ。それでいい? いいならダウンしなよ。誰もあんたなんか砂漠で見つかりっこないからさ。裸で、砂のプールに溺死すればいいよ。すればいいよ。

 コップ一杯の水が恋しかった。喉元が痛い理由は、部屋のロフトの方が高いから。下に降りると、暑さが違う。気温差は一度くらいあるかもね。だからよく目が覚めた。

蛇口をひねった。透明な水。両手ですくって、顔を洗った。

 起きたばかりの目がある。クマが目立った目。胃の中には水道水しか入ってない。胃の粘膜に溶けてる感じがわかる。今なら、最高の標本かもね。この水が、隣の便器に流れる頃には。

 鍵を閉めて何時間も経ってる。もし人が来ても、開けないことにしている。知らない顔が小さな円い窓に見えて、去るまで何もしない。何も、しない。

 せめてカーテンを開けることにしている。窓の近くで目を閉じれば、砂漠の向こうにいるわけだから。地平線を目指して、風に吹かれるまま旅をしているんだ。

 右手で部屋のドアノブに触れた。冷たかった。このドアを開ければ、美味しいものが口にできる。美味しいもの。自分の右手をかぶりつくみたいに、鶏のもも肉や、牛のひれ、豚のローススライスを口にできる。

 部屋にガムしかないんだもん。ガムを噛んで、お腹に力を入れようとしてた。空腹を、忘れようとしてた。砂漠のテーマパーク。目玉の観覧車が短命で、ただの鉄の輪になっていた。残ったのは塔だけ。ロードスの巨像みたい。栄枯盛衰、冷めた客足の名残でしかないけど。

 タクシー代を含む行きのお金を出した。残高が0になった。何も買えない。冷蔵庫に残した水だけがすべてになった。

 何時間もバスに揺れて、景色が変わらないことに気付くと、私がさっきまでいた部屋のロフトや、狭いキッチン、それにユニットバスなどが、置いてきぼりになった感じがした。

 誰かが肉じゃがを作ってくれるわけじゃない。誰かが、ニラレバ炒めを作ってくれるわけじゃない。ごはんは、一応あるんだよ。炊き立てのごはん。お母さんが送ってくれてる。受け取るまでは、何もないんだよ。お弁当を買うお金も。

 じゃあ、自分で稼げばいいんじゃね? 体で? その口で? 女で?

 耳をふさいだ。破り捨てた履歴書がゴミ箱にある。

 砂漠に向かえばいい。鏡に映る自分を見て思う。ほら、塔のてっぺんに宝箱があるよ。探してごらん。制服を来た少女にはなれないけど、今すぐ向かうことはできるよ。

 カーテンを閉めた。戸締り、ガス、水道、電気のスイッチ、全部確認した。 

 透明なボトルに、私の水が入ってる。風が拭く砂漠の町へ、塔の麓へ。見上げて、両手を広げるんだ。拳を上げてみるんだ。


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