「親父さ、若い頃ヨーロッパに行ったんだって」
ずっと昔、父がそう話してくれたことを覚えている。遠い国に出かけたと聞いて、羨ましく思った。
ついさっき小包が届いた時、思わず「あ」と叫んでしまった。
南の島から遥々やってきた筒状の郵便。まさかこんなに早く届くとは思っていなかった。知らない島の名が書いてある。
まだ封を開けないでおこう。何だか人に見られている気がした。父だって、この中身を覗いたことがない。
すごく緊張している。なぜかわからないけど、胸が鳴った。
祖父は私が生まれる前、一枚の絵も残さず死んだ。
布団を離した瞬間から、ひんやりした空気を感じた。蛇口をひねる。冷たい水。つい先月まで目を覚ました水なのに、身がすくむほどだった。
急いで鼻をかんだ。幼少の頃から、この音は変わっていない。おばあちゃんがふき取ってくれた時、棒立ちになった。弟も同じ姿勢で世話になっていた。鼻をかむ音がうるさい理由。それは振り子が休止していたからだった。一旦時計が停まると型を取ったようにしんとする。
私は穴が開くくらい、それを見た。〈昭和四〇年四月 駅前の時計店にて購入〉と書いてある。どうやら時計の中に入っていたメモみたいだった。
気付くと八歳の弟が興味津々で覗いていた。指先は寒さで赤くなっていた。
父が扉をぱたん、と閉めた。振り子が息を吹き返し、乾いた音を知らせる。カチ、カチ、カチと正確に響くまで、めいっぱいゼンマイを巻かなくちゃいけない。
こうして元の振り子に戻すまで、いろんなことを知る。時計を買った日はもちろん、会ったことがない祖父の姿まで。
どんな人だったんだろう。
私と弟は家の隅々を歩いた。古い日本家屋だから、奥に行けば行くほど薄暗い。怖かった。一度だけ夜中に声を上げたことが今更恥ずかしかった。先にびっくりすれば、幽霊はいなくなる。今思うと、幼い女の子らしい感情だった。そろそろ隣にいる弟の前を歩かなきゃと気付いた。
何がどこにあるのか判別できるなんて、父でさえ知らない。例えば、埃を被ったアルバムが戸棚から出てきてもおかしくなかった。
廊下の奥に、忘れたように置いた洋服箪笥。いつから放置してあるのか、見当もつかなかった。そっと引き出しの中を開けると、今ではほとんど使われていない色の表紙が見えた。何だか赤い旧車のボン ネットそっくりだった。
ハンドルを握っている男性の顔。誰かと似ている。
「おじいちゃんだ」
弟は写真を見るなり叫んだ。
一ページ目には二枚の写真があった。上に、微笑む若い男性が一人。下に、その男性と彼女らしき人が写っている。
「けっこん前だよ、絶対」
私もそう思った。写真の横には、〈神戸にて〉と記してあった。モノクロで青くはないけれど、背景に海が写る。きっと戦前の神戸港だ。
赤い色のアルバムは、暇があると開くようになった。
「僕の推測はさ、おばあちゃんと出会う前」
弟の推理に疑問はなかった。柱時計のメモにあった昭和四〇年より、さらに昔。
茶の間の柱時計をもう一度、見上げた。カチ、カチ、カチと変わらず打っている。
写真の中の綺麗な女性は、この音を知らない。
「見て」
何時になく彼の声は弾んでいた。下の写真、女性の腕にブレスレッドが光っている。
「もしかしてどこかに隠しているかも」
なぜか写真に目を移す気にならなかった。美大で油絵を専攻していたことは知っている。父によると、一枚の作品も残っていないそうだ。まるで名声を自ら避けるように。
おばあちゃんではなかった。名前を知らない女性。きっと画家にとっては、理想の、かっこいい女性。この人、歩くと振り向く男性は多かったはず。
唇を少し噛んだ。私は誰かの理想になったことなんかないから、急に悔しくなった。それはクラスで目立っている子に対する感情と、少し似ていた。
「僕さ、ブレスレッド探してみる」
弟は家中を歩き始めた。
それからしばらくの間、私はアルバムを開くことをしなかった。
鼻をかむ音がアパート中に広がった。
それも錯覚なんだと言い聞かせる。あの柱時計は変わらず実家にあるし、大正生まれのおばあちゃんも元気だ。
一度もアルバムの中を見せたことがない。私と違って知らない女性にいちいち気を留めないだろう。当時の彼女と旅したことなんて、何十年も前に知っている。
「まだフィルム上映使ってるんだよ。全国でも珍しいよな」
兄は言った。神戸まで足を延ばした結果らしかった。
映画館〈パルシネマ〉は二本立ての上映で、兄曰く「聖地だ」という。わざわざ部屋を訪ね、地図を見せてくれた横顔は妙に明るかった。
バイト代を貯めて出かけた背に声を掛けなかった。正確には、声を掛ける勇気が持てなかった。「私も連れてって」なんて絶対、言えなかったのだ。
それはきっと、あの写真に原因がある。
神戸旅行で微笑む、若い恋人たちに負けている。そう感じてから、家の中で自分が縮んだような気がしていた。中学生になって確かに背は伸びた。髪型だって変わる。私はショートボブが似合う人になりたいと思っていた。廊下でバレー部とすれ違う度、全然目立たないことを知る。
だから、出発が複雑だった。やっぱり、祖父と同じ場所に向かう。
兄はあまり話す方ではなかった。夕食の時間も、私と母の会話に加わることは滅多にない。隣には同じように黙々と食べる父がいる。肩幅が広く、これは学生時代、ラガーマンで名を馳せた名残だった。
おばあちゃんと私はよく話した。寡黙な兄を横目に、学校で起きたさまざまなことを素直に話した。食事中の会話は女だけ弾み、気付くと父はテーブルを離れている。食べ盛りの弟は最後に席を立った。
大きな皿に、焼いたじゃがいもとソーセージが乗っていた。こんがり焼いた跡が見える。私は気を遣って一口も取らなかった。フライパンでたった今、じゅうじゅうと転がした結果に、従うことにしていた。これは大人がお酒と一緒に食べる皿だ。
グラスに並々と注いだビール。白い泡がむくむく溢れ、茶色のテーブルに容赦なくこぼれ落ちる。母が布巾を手に腕を伸ばすと、頬が緩む。
今でも学生時代の付き合いがあって、この大盛の皿を自慢するらしい。
飲み過ぎはいけない、と呟きながら新しい缶に手が伸びる。私はそんな父が好きだった。
「ごちそうさま」
椅子を引くと、階段の音が聞こえた。先に食べ終えた兄が二階に戻っていた。
学校から戻ると、古い洋画ばかりが流れていた。英語も、イタリア語も、フランス語も、白黒の映像から聞こえてくる。高校から一足早く帰った兄は帰宅部で、私以上に目立たない生徒だった。
スターの名前を唇からこぼしてみる。「ジャン、ポール、ベルモンド……」こうして口に出すと、二度と忘れない。事実、この時代の俳優をたくさん覚え、忘れることなく今も映画を見る。彼らの隣にいる女性は、どんな画家でも綺麗に描くはず。そう、拙いデッサンしかできない十三歳の私も。
中学二年の春休み、台所のテーブルに空席ができた。
上京するんだ、と思った。
「じいちゃんの絵、どこにあるんだろう」
ある晩、私の部屋を訪ねた兄は言った。
「一度だけパリに行ったことがあるんだって。探してみたくなったんだ」
生まれた街を離れる兄の言葉は強かった。しばらく同じテーブルで夕食を共にすることはなくなる。
もっと小さな頃から、たくさん話す間ではなかった。文化祭の準備で帰りが遅くなった日、迎えに来てくれたことがある。近くのコンビニで肉まんを買って、待っていた。家までわずかな距離だけど、一緒に食べたあの肉まんは舌に残っている。
わずか四年早く生まれただけなのに、急に遠くへ行ってしまうのだ。
「元気でな」
マフラーを巻き、駅へ向かう背を追っていると、勝手に涙がこぼれた。夕食までの間、テレビから流れた映画が恋しくなった。私が往年のスターだったら、何かを叫ぶだろう。
知らない街で、どんな日を送っているか想像がつかないままだった。現況を知る手がかりはあった。 各地の映画祭のチラシに、出品者として名前が載る。あるいは、今日のように手紙が届く。
〈南の島より〉と書いてある。