「本、置いておくよ」
バイトまで休んで駆け付け、部屋中のダンボールをせっせと片付ける横顔は妙に大人びていた。
「ありがと。適当でいいから」
汗を流す弟を見て、気付いたことがある。肩幅は父より広くない。重い物担当を自ら買って出た。四つ下なんて、本人も意識していないと思う。あれだけ小さかった靴が、私より大きなサイズになった。ちゃんと揃えてある。
そういえば父が布団を玄関まで運んでくれた。羽根布団を大きな手でつかむと、あっという間にいなくなった。屈強な男たちとスクラムを組んだ経験から比べれば、綿菓子に近い。十八で仙台を出てから、ここは二部屋目になる。初めて一人暮らしをした時は不安だった。不安と、胸の高鳴り。それは横浜に移ってからも、同じように覚えていた。
鶴見川近くに、新しい部屋を決めた理由がある。川沿いでスケッチができるからだ。
ちょうど少年サッカーチームが練習をしていて、彼らの奮闘を描いた。ただ鉛筆を握る癖。名の知れた学校に通ったわけではないけれど、絵筆だけ離さないでおこうと決めていた。
作業を終えると、弟は「またね」と言って扉の向こうに消えた。
いつかの探偵ごっこは終わり。赤い表紙のアルバムを引っ張り出した小さな手が、頭の片隅にある。一緒に古い写真を探し当てた。やけに世話を焼いてくれる。
「引っ越したら、俺が作るよ。あれ、じゃがいもとソーセージのやつ。姉ちゃん、昔全然食べてなかったから」
二十歳の宣言は頼もしかった。私は料理が下手だ。包丁を握った試しがないし、まな板の洗い方も知らないまま大人になった。
湯気が上がった白い皿。それを再現してくれるという。
兄と比べて随分、家庭的だと思う。「お菓子作りが得意の彼女いるよ」と、余計な一言まで聞いている。
エンジンの音が聞こえた。すぐにベランダに出ると、初心者マークの車が去っていくのが見えた。神奈川の免許センターは、すごく遠いと電話で愚痴っていた。同じ地域なのに、あの車は他県に行ったようだった。
弟が帰った後、スケッチブックを開いて一枚の絵を見た。
柱時計のゼンマイを直す、父の背中を描いている。例のアルバムまで辿り着いた日だ。この絵を描いた日付を見る。〈5月5日 こどもの日〉と書いてある。十二歳の頃、学習机で描いたことを思い出せる。
もっと絵が上手くなりたかった。下手な絵をビリッと破いたこともある。制服がブレザーに変わると、やがて自分もこの家を出るのだと自覚し始めた。私たちは誰一人祖父と会っていない。写真の中の、若い画家志望の青年は心から笑っていなかった。なぜだろう。グレタ・ガルボみたいな女の人といるのに。
家に作品は見つからなかった。押し入れも、アルバムが入っていた洋服箪笥にも。父が生まれる前からある蔵の中にも。仙台のあちこちを探したって、きっとない。神戸旅行の写真を見る度、祖父の気持ちが知りたくなる。
あの日、私が感じた女性に対しての感情は、今思うと変だ。年上の、遥か昔の女性になぜ唇を嚙むほどの嫉妬を覚えたのか。まだ中学に上がる前、そんな気持ちになったのは本当に不思議だった。
弟は小六くらいまでブレスレッドを探し続けた。ついに見つからなかった。
調べてみてわかったこと。一九三〇年代に神戸港でお祭りが開催されている。もしスケッチが残っていたら。パレードの賑わいを描いていたら。二人がお祭りを見たのかどうか、写真だけで判断できなかった。祖父はその頃、才能の限界を感じたのかもしれない。
美大を出て間もない彼は、今の私と同じくらい。すごく大人びて見える。
どこか遠くを見ている目だった。
エドヴァルド・ムンクの『叫び』。
この絵だけやけに有名だ。実際に絵の舞台となった橋があるし、他の作品より突き抜けて知名度がある。
真っ赤に燃える空の下、突然聞こえた音に驚いて、耳をふさいでいる男が一人。
絵の右端、そこに蠟が飛散った白い跡がくっきり残っている。画家本人がフッと息を吹きかけた記録……。
美術部に入って間もない頃、ムンクの名を誰も口にしなかった。裸婦や風景も残しているのに、何だか『叫び』だけ一人歩きしている。
石膏デッサンのためのホメロス像を見る。陽の光が窓から差し込んで、床に影がくっきり浮かんでいた。この人に聞いたって、もちろん答えてくれない。両手を耳に当て、口を開けるホメロスさんを想像してみた。
きっと、私にこんなことを言う。
「筆を折った絵描きの名を教えようか」
家族にいる、なんて言えない。たぶん。
顧問の土橋先生だけは関心を持っていた。いつもスーツを着ていた男性教諭で、美術部というより銀行の窓口にいる感じだった。
「おじいさん、誰が好きだったの」
思わず言葉を呑んだ。別に恋愛関係を聞きたいわけじゃない。一瞬だけ二人の写真が脳裏に浮かんだ。誰が好きか。きっと影響を受けた画家を指している。
「先生ね、今あなたが見てる画家好きなんだ。ムンクね、すごい画家だと思うけどね」
画集に目を向けたまま、何一つ答えられなかった。
美術室を出て何年経つだろう。中学の制服は今も実家にある。二度と着ることはないけれど、私にとっては立派な資料だ。何枚も濃い鉛筆でスケッチした。
「いつかおじいさんの若い頃、調べてごらん。いろんな発見があると思うよ」
土橋先生はかっこよかった。
〈ついに見つかったんだ。俺、島まで足を延ばしてよかったよ。絵を同封するから、ちゃんと見てくれ〉
手紙の最後、こんなことが書いてある。
〈村の人たちが教えてくれたんだけど、ある画家志望の青年が置いていったんだって。どんなこと言ったと思う? 誰かがこの絵を探しに来るから、ずっと宿に飾っておいてほしいって……島のことは知っていたよ。昔々、芸術を志す若者たちの楽園だったんだ。随分長い間、地図には載らなかったみたい。じいちゃんは知っていたんだと思う。村の大人たち、まさか貧乏な絵描きと付き合ってると思わないから、びっくりしたみたいだよ。彼女の里帰りに贈った絵なんだ〉
今日、突然届いた郵便物。「あ」と叫んだ理由は、これが絵に違いないと思ったから。
窓の向こう、海の彼方から、屋根という屋根を何度も飛び越えてきた。私はゆっくり、筒状の封を開けた。
ちょうどカレンダーと大きさは同じくらいだった。父に見せてあげたくなった。
晴れた空に月が浮かんでいる。橋に佇む若いカップルがその下で会話を交わしている。夜なのに、明るい。白夜だ。舞台はノルウェーの、どこかの村だと思う。
目を凝らすと、右隅には見慣れた男性の名前があった。間違いなく祖父の絵だ。
絵の題を知っている。いつか兄が教えてくれた。東京の映画学校から、私だけに教えてくれたのだ。
「親愛なる、ムンク。その絵を探して、しばらく旅に出るよ。見つかったら、手紙を書く。必ず」
「マジ? 兄貴が見つけたの? すげえ」
電話の向こうで驚いていた。今日の夕方、バイト先から綱島まで直行するという。早い。
「ビールと食材買って来るからね。姉ちゃんは何もしなくてOK」
弟の声は弾んでいた。赤いアルバムを開いた日から随分経つ。あの日と、似ている。
歩いて一分のバス停まで迎えに行く間、懐かしいカレーの匂いがした。ここは住宅街だ。どこかの家の夕食だろう。急に、ひどくお腹が空いてきた。自分がグラフィックデザイナーであることを忘れた。
しばらく待つと、市営バスが近づいてくる。青いラインが正面にあるからすぐにわかる。今晩、父が 好きだったじゃがいもとソーセージの炒め物を作ってくれる。
家族がいた遠い台所から、遥々やってくるようだった。
バスが停まった。マイバッグを片手に降りた弟は、私を見るなり、「飲もう」と笑顔で言った。
(了)