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29「原点」



 きっと……二人の夜を知らなければ、一人の夜をこんなに寂しく思うことはなかったのだろう。



 母親は私を産んですぐに亡くなったらしい。

 父親は私が三歳の時に狩りに出て死んだと聞いている。


 それから私は村長の家で育てられた。

 けれど村長には村長の家族が居て、村長はその人たちとご飯を食べ、私は一人で食事を摂った。


 それしか知らなかったから、特別それが不幸なことだとは思わなかった。


『何作ってんだ?』

『ビーフシチューですけど……』

『へぇ、美味そうだ。けどその鍋のサイズで火を通すのは中々難しそうだな』


 貴方様はそう言って、指先程度の火しか灯せなかった私の代わりに、加減した息吹で調理を手伝ってくれた。


『できましたので、私は向こうに行ってますね。お口に合わなければ作り直しますのでお申し付けください。その時はお好きなように叱り付けてください』

『何言ってんだ。食材は俺に献上された物だけど、お前が作った料理なんだからお前にも食う権利あるだろ。一緒に食おうぜ』


 さも当然のように貴方様は私にそう言った。

 意味が分からなかった。


『つうかお前変な奴だな。作って貰った俺がお前を叱る訳ないだろ』


 変なのは貴方様の方だ、と思った。

 村長は私に教育をした。

 礼儀作法、料理、勉学、魔術、それ以外にも色々と。

 できなければ私を叱った。

 怒鳴って、叩いて、謝らせた。


 それが【普通】だ。


『どこ行こうとしてるんだ? もう夜だぞ』

『貴方様の眠りの邪魔をする訳には行きませんから、私は外で寝させていただきます』

『寒いだろ。ここで寝ろよ、心配しなくても襲ったりしねぇよ。つかできねぇし、龍だから』

『はぁ……分かりました……』


 誰かと同じ場所で寝るのはいつ振りだろうか。

 分からない。

 火龍の鱗は人肌よりも少し暑くて、でもそれくらいが丁度よかった。


 ずっと一緒に居て欲しいと願うようになったのはいつからだろう。

 貴方様を見ると自然と笑みが零れるようになったのはいつからだろう。



 なのに、貴方様は死んでしまった。



 叱られても、罵られても、生贄にされても、全部受け入れてきたのに……


 どうして私は、貴方様の死をこれほどまでに拒絶したいのだろう。



 朝、起きる時間が遅くなった。


 ご飯を作る量がかなり減った。


 何もしていないのに、ふとした時に現実を思い出して、涙が出た。


 貴方様が居ない一日は、居た頃の十倍の時間に感じた。


 やることと言えば毎日の魔術の鍛錬。

 それと貴方様の死体に操作術式を掛けて、防腐処理をすることだけだ。


 貴方様の死体を抱き締める。

 そこに熱は籠っていない。


 それでも繋がっていると思いたかった。

 空っぽだと知っていても、身体だけでも繋がっていたかった。


 魔術の鍛錬は休まず続けた。

 それは貴方様に貰ったものだから。

 闇の属性が開花するのにそう時間はかからなかった。


 毎日死体に魔術を使っていたからかは分からないけれど、死体に対する魔術の研究は自然と進んで行った。


 我儘に生きる。

 その言葉の意味はまだよく分からない。

 けれどそれがこの渇望を満たす行為であるのなら、それはきっと『貴方様の復活』だ。


 死霊術式を完成させ、その死体に再び活動を始めさせた。

 しかし、中身は全くの別人で、貴方様には程遠い誰かだった。


 ダメだった。

 やはり何をしても、貴方様は私の前には現れないのだと悟った。

 私の願いは叶わない……


 だから今度は貴方様の願いを叶えたいと思った。

 龍を殺すことにした。

 その討伐はそれほど難しいことではなかった。


 貴方様りゅうの死体を解析し、私は完全な『龍化』を成し遂げていたから。

 貴方様の生ける屍リビングデッドと共に戦えば負ける要素は皆無だった。


 五匹も龍を屠れば、目的達成の高揚感よりもつまらないという感想の方が大きくなった。


 私の故郷、ナスベの街が魔獣に襲われていたから気まぐれにそれを助けた。


 貴方様が守った街が勝手に滅びるのは、何か嫌だった。

 それからも街を守ることにした。

 龍の死骸を使えば完璧な防衛が可能だった。

 蘇った貴方様の中身の意向もあって、街を統治することにした。


 労働的不自由も、金銭的不自由も、食料的不自由もない街を作れた。


 だけど退屈だ。

 この世界には貴方様がいない。

 その事実を思い出す度に、私は深海へ落ちていくような感覚に囚われた。


 なんでもいいから、暴力でも悪意でも侮蔑でもいいから、貴方様と繋がっていたい。


 それが私の我儘です、『ネル』様。



 ◆



「さぁ、第二ラウンドと行こうじゃねぇか、メンヘラ女」

「煩いですよ、狂人男イカレやろう


 力なんつーのは所詮、誰かを支配するための道具だ。

 暴力なんてのは所詮悪意の先にしか使われない。

 勝利とは相手の意志を捻じ曲げ、自分の願望を優先させる行為でしかない。


貴方ネル様を支配するのは私です」

「テメェは俺より下だ」


 白い炎を宿す宝剣。

 それは俺の力で具現化させた聖剣の模倣。


「白炎!」

「羅刹!」


 槍の刃と俺の剣が交差する。


「やりますね……」


 だがその斥力による絶対切断は効果を発揮しない。


「術式そのものに対する燃焼。それがこの剣の能力だ」


 現物よりも俺の聖剣の方が少しばかり攻撃性が強い。

 通常の聖剣の能力は発動中の術式を『強制中断』させることだが、この白い炎は発動中の術式を燃やし『強制解除』する。


 さっきとは真逆。

 パキリと音を立て、黒い槍の刃先はヒビを入れる。

 その破損は一気に槍全体へ広がり、白い炎を内包しながら砕け散る。


「お前の負けだぜ、メンヘラ女」

「その呼び方不快なんですけど」

「雑魚の言うことなんざ聞く理由がねぇな」

「雑魚? まさか私のことを言っているのですか?」


 返す刃をヨスナへ向ける。

 既に槍の術式は破損。

 今のこいつに武器はない。


 龍の鱗を衣に転換しているようだが、魔獣由来のその防御性能じゃ聖剣の一撃は防げない。


欠陥品アンバランスでしょう、ソレ……」

「は?」

「黒龍装【拳鍔ナックル】」


 横薙ぎに振るう俺の刃に向けて、上から叩きつけるようにヨスナの拳が迫る。

 その拳には、さっきから使ってる龍の素材を用いた武装召喚によってメリケンサックが創造されていた。


 だが無駄だ。

 この刀身はあらゆる術式を無効化し……


 ――バキリ。


「なっ!?」


 俺の聖剣がヨスナの拳によって半ばから砕ける。


「刃先一ミリ、それが白い炎の射程。故に側面は炎を纏えぬ欠点です」


 欠点……


「サンキュー」


 それをお前が見つけてくれたから、俺はまた成長できる。


「聖剣召喚!」


 右手は振り終えた、残ってんのは!


「左手に二本目を再召喚!?」


 異様に世界を遅く感じる。

 集中力が増して、感情が高ぶって、快楽が押し寄せる。

 これはそう……『没頭』だ。


 俺の目はヨスナの中で蠢く黒い魔力の運動を捉えている。

 ヨスナの両手のナックルが解除され、その魔力はそのまま体を伝って膝と肘へ。


「ッ、黒龍装【肘膝鋏ツーガーダ】!」


 そのまま俺の横薙ぎの剣戟が肘と膝に発生した黒いプロテクターに挟まれるように受け止められ、さっきと同じように砕け散る。


 まだだ。まだ完成していない。

 俺の聖剣召喚はティルアートが与える本物と違って、刀身全てに破魔の効果を宿せていない。


 完璧には程遠い力だ。


 だったら鍛えればいい。

 何度折れようが、何度壊されようが、何度叩きのめされようが……関係ねぇ!

 俺はこの感覚のために何度も蘇っているんだから。


「あぁ、今分かったよ」


 二連撃を凌がれた俺は、一先ずその場を飛びのいて距離を取る。

 聖剣召喚を再度発動させ構え直した。


「何が……ですか?」

「俺が生きる理由」


 彼奴リアも、彼奴リンカも、彼奴ベルナも、彼奴ネオンも……そしてお前ヨスナも……


「俺がお前らを助けた理由。それは唯一つ……」

「教えてください」

「俺はお前らが俺より強くなることに期待したんだ」


 恋愛感情なんかじゃなかった。

 加護欲なんかじゃなかった。

 所有欲なんかじゃなかった。

 母性本能なんかじゃなかった。


 俺は天才じゃないから、一を百にすることはできても一を生み出すことはできない。

 俺が一を手に入れるためには、誰かから奪うしかない。


 その相手は俺より強い奴じゃないといけない。


 そんな相手だけを、俺は本気で好きになれる。


「強いお前を愛してるよ、ヨスナ」

「貴方様が私を救ってくれたのはそれが理由だったのですか……?」

「そうだ。最初はお前のことなんざなんとも思ってなかった。だけどお前は自分を殺せるくらい強い奴だと知った。お前が魔術を覚え、進化していく姿を見て、俺はお前を好ましく思うようになっていった。この感情は間違いなく、強い奴と戦いたいという俺の原点の願望だ」


 俺に才能はない。力を求める理由もない。

 けれど時間は無限にある。

 だから剣を振るう。だから魔術を振るう。


 生涯を繰り返し世界最強を目指すのだ。


 全ては己の満足のためだけに。


「最低ですね。ですが、それが貴方様の望みだと、生きる理由だと言うのなら、私が何百回でも貴方様を負かしてさしあげます。だから何度でも私の元に来てください」

「クソ良い女だな。相変わらず」

「当然でしょう。だって私ですから?」


 そう言ってヨスナは微笑む。

 さっきとは少し違う明るい顔で。


「なんとなく分かっていたのです。貴方様が見ているのがただ純粋な『力』であることは。きっと私は……貴方様の隣に居られる存在になることで自分を納得させるために力を付けたのだと思います」


 もう俺は死んでいて、ヨスナには俺が転生していることは分かりようのないことだったはずだ。

 だからヨスナが力を付けても、本質的には意味はないはずだ。

 それでも自分を納得させるために鍛錬を続ける。


 その在り様は……俺と同じ……


「ヨスナ」

「はい」

「ありがとう」

「えぇ、これからはより一層の殺意を持って貴方様と向かい合いたいと思います。それが私と貴方様の健全な関係だと思いますから」


 健全な関係?

 確かにそうかもな。

 俺はただ強い奴を食って、もっと強くなりたいだけなんだから。


「行くぞヨスナ」

「えぇ、もう加減はなしです。今、私の我儘は昇華されました。今の私の願望は貴方様と共に在ることではなく、貴方様に愛されることです」

「愛してるって言ってんだろ」

「今だけでしょう? 貴方様は私の力量しか見ていない。だから私を超えた貴方様は私に興味を抱かない。故に私はその差を証明しなければならない。どうせ転生できるなら――」


 覚悟を決めた黒い表情で、ヨスナは牙を剥いた笑みを浮かべる。


「ブチ殺してさし上げます」


 三度目の聖剣召喚。

 しかし未だ刀身全てには白い炎を宿せていない。

 けれど、俺の中で何かがスパークしている。

 何かが産声を上げようとしている。


 これはあの時と同じ感覚だ。

 龍太刀を完成させたあの時と……


 こいつと戦い続ければ、きっとそれは手に入る。


「すげぇいいよお前」


 俺と対等に、その力を競える存在。

 俺が求めているのは常にそれだった。


「生粋の戦闘狂バトルジャンキーなのですね」

「お前もだろ? じゃなきゃなんで笑ってんだよ」


 俺がそう聞くと、ヨスナは不思議そうな目をして自分の頬へ触れた。


「確かに笑っていますね、私。ですがこれは貴方様の感情に当てられているだけだと思います。その輪廻すら超越した覇道に……」


 ヨスナの纏う魔力量が一層増していく。

 その身体を術式が包んでいく。


「第三段階――【半龍半人ドラゴノイド】」


 今までの黒い装いとは違う。

 その皮膚を龍の鱗が覆っていく。

 あの時、地下で見た変化と同じだ。


 龍の牙を、龍の爪を、龍の瞳を、龍の鱗を……


 人の形を保ったまま龍の身体機能を手に入れるそれは、龍化を途中段階で停止させる荒業だ。


「武術と龍の身体能力の融合。これが魔術と戦術の双方を扱えることができる第三段階の変化です」


 最終的に背に対を為す翼を形成し、その変化はやっと止まった。


「化け物染みてきたな」

「貴方様には及びませんよ」


 武器は創造されない。

 その肉体が武器って訳か。

 俺が人化の法でヨハンと戦った時と同じだ。

 聖剣の力を持ってしても、その状態変化は解除できない。


 攻撃力も防御力も今までの比ではないだろう。

 それに翼を使った飛行能力も芽生えていると考えるべきだ。


「では」


 短くそう呟かれたその瞬間、目の前に居たはずのヨスナの姿が一瞬で掻き消える。


「ウザい腕から」


 後ろからそんな声がしたと思ったその瞬間、痛みよりも先に身体の軽さを感じた。

 血が俺の左頬を濡らす。

 太陽の光を遮る何かを頭上に感じ、そこへ視線を向かわせればそこには血がべったりと付いた龍の爪と共に……


「っの野郎……!」


 俺の左腕の肩から先が宙を舞っていた。


「あと三つ」

「白炎!」


 身体を捻じり、しゃむに剣を振り抜くと共に白い残炎が眼前を覆う。

 だがヨスナは俺の振りよりずっと早くその場から移動していた。


「今の剣技、三十点ってところですね。身体のバランスが悪くなった影響で鋭さが皆無。欠伸が出るかと思いました」


 ヨスナはまた最初の場所に戻っていて、そんなことを能天気に喋ってやがった。


 俺は聖剣を地面に刺し、右手を出血する左肩に当てる。

 俺の治癒術式じゃこのレベルの欠損を完全修復するのは不可能。

 だったらこっちの方が速いから、炎で焼いた。


「勝手に上から目線の評価してんじゃねぇよクソ女!」


 首狙いだったら終わってた。

 クソが、調子に乗りやがって。

 俺程度なら殺さず無力化も余裕ですってか?


「私が付けた傷が貴方様を苦悶に染め、私の嘲笑によって貴方様が憤怒する。気を遣った善意よりそんな悪意の方がずっと強い繋がりを感じるのです」

「黙れ異常性癖へんたいが」

「同類でしょう? 私の原点は貴方様なのですから」

「今のもう一回やってみろ」

「お望み通りに」


 まただ。

 半龍化による圧倒的な身体能力によって、俺の視界から刹那的に消え去る。

 目で追ってたら間に合わない超加速。


 だったらもう見るな。

 目なんつうもんに頼ってるから、今までできてた感覚が衰えて行ってんだろうが。

 スケルトンの時はもっと見えていた。

 だが目を手に入れてしまったことで、俺の魔力感知は視界内に限定されていってる。


 それじゃあだめだ。

 俺があいつの動きを捉えるには、あの時の魔力感知を再現するしかない。

 人の身体でそんな理想に手が届くか?

 いや、俺自身が一度至った感覚なんだ。


 手に入れる必要はない。

 もう持ってんだから。


 思い出せ! あの超感覚を!


 ――魔力感知Lv2


「あぁ、これだ」


 ――骸瞳魔覚アンデッド・ビジョン


 魔力の動きが精確に読める。


「上!」

「……ッ!」


 捉えた。

 頭上よりヨスナが爪を構えて降りてくるその姿が、俺の魔力感知には明瞭に捉えられている。


「それでも、速度の次元が違うのです!」


 あぁそうだな。

 俺とお前じゃ身体強化の次元レベルが違う。


 だがこれも魔力感知と同じだ。

 俺の全神経を総動員してレベルアップの方法を探せ。


 俺は知っている……身体強化の派生【蒼爆】を。

 あれは爆破術式を身体の一点で発動させることで、その反動で超スピードを手に入れる術式。

 運動方向を限定することによる最高速度レベルMAX


 限定なんかしなくていい。

 そこまでの速度は今要らない。

 今俺に必要なのは、ヨスナの攻撃に反撃できるようにすること。

 身体能力を全て微増させる。


 ――身体強化Lv2


「火属性身体強化術式【燃身ねんしん】」


 熱とは速度だ。

 温度が高まれば分子の運動量が増す。

 俺の全身を構成する分子の運動量を強制的に向上させ、俺の身体強化を一段階上へと進める。


 それがこの術式。


「内側を燃やして……!?」

「追い付いたぞ、ヨスナ!」


 龍の手へ、俺は聖剣を打ち合わせる。


「自殺行為ですよ……ソレ」

「俺の命より重要な物がある。それより良いのか? この剣は魔への特攻だぞ」


 ヨスナの掌が徐々に血を滲ませていく。

 それが魔獣由来の力である限り、聖剣はその遺伝子情報を破壊する。


 だが同時にヨスナの爪が、俺の聖剣の腹へ触れる。

 親指と他の指の爪が聖剣を挟み込み、そのまま握り砕かれる。


 だがヨスナは何かを警戒するように、残った聖剣の柄を蹴って距離を取った。


「一体後幾つ手札を隠しているのですか……?」

「隠してねぇよ、俺はただ全力を出そうとしてるだけだ」


 魔力感知。身体強化。

 基本的な戦術が進化したことで、俺の取れる行動が増える。

 対応できる量が増え、攻守共にテンポが加速する。


「今この瞬間、至ったと?」

「全部応用だ。できることを組み合わせてるだけ、生み出したもんなんざ何もねぇ」


 俺の才能は最初の人生で枯れ果てた。

 だから俺が強さを得るには知る必要がある。

 この世界に眠るあらゆる強さの概念を。

 俺を越える天才のもたらす『はじまり』を。


「どんな怪物ですか……全く……」

「喰わせろよ天才、お前の魔術を――!」


 聖剣召喚。

 これで四度目か。

 再召喚する度に魔力の消費が凄まじい。

 あんまり何度もぶっ壊され続ける訳にはいかなそうだ。


 だが、ここで止まるなんざあり得ねぇ。


「いいですよ。どこからでも好きなだけ。貴方様の糧になることを私は望みましょう。ですが、貴方様の胃袋程度では私は食べきれませんよ!」


 龍化が進む。

 牙が、爪が、羽が、伸びる。

 鱗が重なりを増し、密度が上がる。

 その姿が人間から遠のいていく。


 手札を隠してんのはお前の方じゃねぇか。


「このフォームは武術と龍力の融合と言ったでしょう? 黒龍装――【二門羅刹にもんらせつ】!」


 現れるは二本の鉤槍。

 爪で攻撃すれば聖剣の反撃を貰うと見て、武器を握った訳か。

 しかし二刀流までできるとは、器用な奴だ。


 腕を失ったことによるバランス感覚の乱れはもう慣れた。

 俺は何度も別の身体に入り、それに慣れる作業をしてきた。

 ドラゴンやスケルトンにすら適応した俺が、今更腕一本のあるなしで慣れるのに時間なんか必要ない。


「行きます!」

「来い!」


 剣と槍が打ち合う。


 その度に剣か槍が砕け散る。


 聖剣の炎に炙られれば槍が。

 側面に斥力を生み出されれば剣が。


 当たり所によって双方の武器が砕け、その度に――


「黒龍装【羅刹】!」

「聖剣召喚【加具土命】!」


 俺たちは何度でもその一閃を繰り出す!


 出し続ける!


 槍の柄を使った跳躍を聖剣で受け止め、白炎が槍を砕くと共に残ったもう一本の槍が俺を狙い、それを防ぐために身体を逸らせば、既に砕いた槍を握っていた手には新品が現れていて、俺の聖剣の側面を叩き折り、されど折れた聖剣を捨てると共に俺の手には更なる聖剣が姿を現す。


 終わらない。

 終わらせたくない。


 黒槍を砕くたびに……

 聖剣を折られるたびに……


 俺の聖剣は輝きを強め、その炎の温度は上がっていくのだから――


「強くなる……打ち合う度に、尋常ではない速度で……」

「付いてこれねぇなら置いてくぞ、異常女王サイコクイーン!」

「まだまだ貴方様は私の下ですからご安心ください。変態王子マッドプリンス!」

「こっからだ。俺はまだまだ強くなる」

「えぇ、そうでしょうね。ですが私を超えるのは今ではないのでしょう。戦いには終焉が必要で、それは迫っている。貴方様が一番感じているでしょう? 己が魔力の不足を」


 あぁ、そうだな。

 魔力だけじゃねぇ。

 目が霞む。耳が遠い。

 魔力感知もギリギリだ。

 意識が睡魔に引き寄せられる。

 身体が重く、関節の回りが悪い。


 魔力の使い過ぎか、それとも身体の使い過ぎか。

 いや、両方か……

 まだ育ち切っていない十歳の身体の限度。


 クソ、せめてあと五年あれば……

 でもお前の存在を知って、我慢できる訳ねぇよな……


 それにお前と出会わなかった俺の十年後より、今の俺の方が強い。


第四さいしゅう段階――」


 ヨスナが翼をはためかせ、一度距離を取った。


「【龍化の法ドラゴンフォース】!」


 術式宣言と共にヨスナが身体が肥大化していく。

 今までで一番の変化量。


 その黒い巨体は、この場所まで飛翔してやって来た時と同じ……正真正銘の龍の肉体。


「聖剣召喚【加具土命カグツチ】」


 対抗手段はこれしかない。

 龍太刀は俺の全身の魔力を使って放つ技。

 だがあの状態のヨスナの俺の全霊如きでは全く足りないと本能が告げていた。


 あれ・・に対抗するには、あらゆる術式を無効化する聖剣こいつしかない。


 龍の奥義。龍の最強。龍が遺伝子に備える天より賜りし最大火力。


 四肢で地面を掴み、体勢が崩れぬように踏ん張り、大口が開かれる。


 お前は遂に、人の身でそれを再現するに至ったか……



「――怨魔冥天黒龍砲グルルルルゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」



 黒い絶対。

 口から吐き出されるその息吹ブレスは俺を消滅させんと飛来する。


 常軌を逸した魔力量。

 聖剣の無効化だけじゃ足りない……


 あれを打ち破ることができる方法を俺は一つしか覚えていなかった。


 同時に、二つの確信がある。


 この一撃を撃ち放つことができれば、俺の聖剣は完成するだろう。

 そして、どちらの技が上回るとしても、下回った方が死ぬ。


「聖剣終奥――」


 この一太刀に全てを懸ける。

 逆流を使ってでも、ここで命を落とすことになっても!

 俺は、この一太刀を撃ち抜いてやる!


「龍魔ッ」



 ――私とずっと一緒に居てください。



「断」




 ――お前が勝手に俺の傍に居ればいい。




「が……」





 ――貴方様を……ネル様を……ずっと、お慕いし申しておりました。





「クッ、ソが……【蒼爆】」




 右手の聖剣を手から離し、蒼い爆風を発生させる。

 左側への跳躍よってブレスを避けながら、俺はそのまま倒れ込んだ。


 避け切れず右腕が爛れている。

 左腕は失って、右腕が大火傷。

 治るかねコレ……

 相当腕の良い治癒術師じゃないと無理そうだ。


 倒れたままそんなことを考えているのは、もう立つ気力が残っていないからだ。


 コツコツと足音がした。

 徐々に近づいて来るその音が止まると同時に、良い匂いが俺を包んだ。


「どうして避けたのですか? 進化の望むのならば、不滅の命を持つのなら、あの一撃は避けてはいけない一撃だったはずです」

「俺は一度、お前の前から居なくなった。もう一度お前の前から姿を消すのは、なんとなく嫌だった」

「あぁ、私はダメな女ですね。貴方様にそんなことを言わせてしまうなんて……」


 ヨスナが俺のボロボロの身体を起こし、俺の頭を膝へ乗せた。


「申し訳ありませんが騎士になるという話、無かったことにさせてください」

「どうしてだ?」

「貴方様と共にあることが私の幸せだと思っていました。ですが違った。貴方様と共に居れば、私はその環境に満足してしまう。そして成長を止めた私に貴方様はきっと失望するでしょう」

「しねぇよ、別に」


 ヨスナは俺の頬を撫でながら首を横に振る。


「ネルという存在に私を刻むには、貴方様の挑戦をそれ以上の力を持って受け続ける他にないと私は確信しています。貴方様の本質は、やはり『最強への執念』です」


 確かにそうだな。

 きっと俺はそうなってからしか他のことへ意識を割けない。

 絶対にその原点へ戻って来てしまう。


「貴方様と同等以上の速度で成長することだけが、貴方様と共に在り続けられる唯一の方法なのです。だから私ももっと強くなります。貴方様を失望させないために、貴方様と離れます」

「居ろよ。一緒に居ろ。俺はお前ともっと戦っていたい。敵でも、味方でも……」


 滲んだ瞳から大粒の涙が幾つも降り注ぐ。

 眉間に皺を寄せたその顔は凄く歪んでいるのに、凄まじく欲しいと感じさせる。


「ごめんなさい。できません」


 止めるのは……無理か……


「分かった。好きにしろ」

「ありがとうございます。ですが最後に一つだけ、私の一番得意な術式を見てください」


 ヨスナの身体から漆黒の魔力が昇る。

 それは龍のブレスと放った時と同等の魔力が込められた術式だった。


「私の魔術の目的は貴方様を動かすことでした。やっと、その願いが叶う……」


 黒い魔力の粒子が昇っていくその光景に俺は――


「闇属性治癒術式【暗寧縫合あんねいほうごう逆理ぎゃくり】」


 黒い希望の光を視た。

 そのまま俺は夢心地に飲まれるように意識を落としていく。



 ◆



 目が覚めると欠損したはずの左腕はあるべき場所に戻っていて、右腕の火傷は跡も形もなくなっていた。

 それどころか肉体の疲労感を全く感じない。

 小さな傷含めて全てが完治していた。


 あの戦いの壮絶さを証明するのはボロボロになった俺の衣服だけだ。


「坊ちゃま、お着替えをお持ちいたしました」

「クラウスか、助かる。俺はどれくらい寝てた?」

「ほんの数分でございます。しかしあのブレスが炸裂した時は焦りましたぞ。一体どうやってあの凶悪な黒龍を倒したのですか?」


 周りを見渡すが、ヨスナの姿はどこにも残っていなかった。


「倒してねぇよ……俺の負けだ」

「それにしては随分と清々しい顔をなさるのですね」

「あぁ、俺の今までの人生で最高の瞬間だった」

「然様で、それはよろしゅうございました」


 そう言ってクラウスは孫を見るような顔で微笑んだ。



 ◆



「どうでしたか、リンカ・・・?」


 白い部屋の中で一つの球体と一人の獣人が、共にモニターへ視線を投じていた。


「エルドの視界情報をアップロードすることで貴方にも閲覧させましたが、得る物はありましたか?」

「得る物しかないですよ。きっと今の私があの戦いに入っても十秒も持たなかったと思います。ですがそんなことよりも、あの女性は私よりもずっと高次元からネル様の感情を観察していて、ネル様にとって最上の選択をした。その事実が悔しいです」


 ビステリアさん、見せていただいてありがとうございました。

 と、リンカは付け加えた。


「もしも私の存在があの人にとって不要な物になった時、私は彼女……ヨスナさんと同じ選択をできるでしょうか」

「むしろそうならないように彼女ヨスナは離れる選択をしたのでしょう。その居場所に甘えることなくネルと対等で居るために」

「対等……ですか……確かにその通りですね。私もネル様と対等な存在になりたい。守られるだけの存在で居たくない」

「では修練するしかありませんね」

「はい、絶対にあの力を使い熟して見せます」



 ◆



「私に着いて来て良かったのですか? もうあの街はいいのですか?」

「オレはあの男とその配下の魔獣に負けた。けれどそれで良かったのかもしれないとも思うのです」


 黒髪の女と赤黒い髪の男が平野を並んで歩いて行く。


「自分たちの街は自分たちで守るべきだ。その機会を、自立の方法を、オレたちが奪っていたのかもしれない。それにいつかはこうなる運命でしたしね」


 赤黒い髪の男は、隣を歩く女の限界を知っていた。

 ナスベ龍街の人口増加を考えれば、あの楽園は長持ちするものではなかったことを知っていた。


「限界を迎えた時、我々にできることはなかった。その悲劇を待つよりもあの我儘な王子に任せてみるのも悪くはないと思ったのです」

「そうですか。でもどうして私と一緒に? 貴方を生き返したのは、今まで縛ったお礼として好きに生きて貰いたかったからなんですけど」

「貴方が居たからオレはあの街に居られた。オレの我儘を叶えてくれたのは貴方だ。だから今度は貴方の願いを叶える手伝いをさせて欲しいんですよ」


 そんな男の言葉に女は少しだけ悩み、謝罪の言葉を口に出した。


「貴方には苦労をかけました。我儘ばかり言って悪かったですね」

「えぇ、もうあの男の真似をしろというのは御免ですよ。精神構造が常人オレには再現不可能ですから」

「分かっていますよ。それに、もうその必要はありませんから」


 人へ成った龍の身体を持つ怨霊。

 人の身で龍へ至った黒の巫女。


 彼らは共に歩みを進める。


「夕飯どうします?」

「そこら辺の龍でも狩って済ませましょう」

「それ共食いじゃないんですか?」

「いいじゃないですか、美味しいですし」

「まぁ、そうですね」


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