ヨスナとの戦いから一月が過ぎた。
ナスベ龍街がレイサム王国の管理下に置かれるという説明は、ヨスナと戦ったその日の内に都市の住民へ行った。
ヨスナも
街の管理に関してはクラウスとビステリアに案を出させて、俺が最終チェックして施策している。
あの街には国属の兵士が皆無だったため、砦の監視兵をスライドさせて使っている現状だ。
あいつらにはもう監視の仕事はない訳だし、一時的に俺の私兵のような扱いになっている。
俺の直轄領地となる手続きを進めているが、国王や他の王子の反対はかなり大きい。
俺は末弟、しかもまだ十歳、それに素行が良くない。
そもそも王族は国を治めるもので、街を治めるのは貴族の仕事だ。
それが表の理由。
俺に権力を渡したくない。
俺に王位継承の可能性が出ることへの懸念。
下の奴が調子に乗るなって圧力。
ま、人間って感じの反応だ。
これらの理由から、まだナスベ龍街が誰の領地になるかは決まっていない。
そもそもそんなに欲しい訳でもないけどな。
「めんどくせ」
そう呟くと同時に、俺の部屋の戸が叩かれる。
「坊ちゃま、よろしいでしょうか?」
「入れ」
入室と共に、クラウスは俺に意外な報告をした。
「坊ちゃま……陛下が、お会いになりたいと……」
陛下、この城でそう呼ばれる人間は一人しか居ない。
この国の国王にして俺の親父。
最後に会話したのは数年前のクソネグレクト男。
会いたいなんて一ミリも思わないが、報酬を受けるためには一度くらい顔を会わせる必要がありそうだとは思っていた。
このタイミングで面会希望ってことは要件はナスベ龍街のことだろう。
そして、おそらく今が俺が交渉可能な唯一のタイミング。
俺はここで禁書庫への切符を手に入れる。
「分かった」
着慣れない正装へ袖を通し、俺は玉座の間へと向かう。
日差しの強い中庭を通り、廊下を進んで行く。
途中書庫の前を通れば、解放された扉の向こうにヤミの姿が見える。
ヤミも俺の姿に気が付いたようだが、彼女は一礼するのみだった。
あの日以降、ヤミとは一度も喋っていない。
玉座の間へと到着する。
正確にはその扉の前にまでやってきた。
扉を背負う形でそこには一人の男が立っている。
「やぁ、ネル」
「俺に何か用か? お兄様?」
第二王子ケネン。
俺の十八個上の兄だ。
前に書庫でヤミを話してるのを見かけたな。
「一つ確認しておかなければならないことがあってね」
「さっさと言えよ、急いでるんだ」
「相変わらず口が悪いね。
「どうでもいい」
わざとらしく溜息混じりにケネンは俺に笑みを浮かべた。
目を閉じ、顔を上へと向け、形相は開く。
「お前は私の欲しいものを奪った」
「は?」
「あの子は、君を守れるようになるために魔術の研鑽をしないといけないらしい。意味が分からないよな」
「お前がな」
「確認だネル。お前は王座を狙っているのか?」
なるほど、何をしたいのかと思ったがそんなことを聞くためにここで待ってたって訳か。
「そんなくだらねぇもんに興味はねぇな」
「くだらない……? 私の欲するものを汚すのか?」
その憤怒は最早隠れることをしていない。
額の血管を隆起させると共に、その手に術式が構築されていく。
「坊ちゃま、お下がりください」
「下がるのはお前だクラウス。邪魔すんな」
俺がそう言って前へ出ると、クラウスは苦々しい表情で下がる。
「加減、なさってくださいね」
そりゃ相手の出方次第だな。
「十歳の弟相手にマジ切れしてんじゃねぇよクソ兄ぃ」
「今日の会議、お前は欠席だ。ネル」
「会議? まぁいいや、来いよ」
氷属性、召喚系統……
発動される前からあいつがなんの術式を使おうとしてるのかが分かる。
魔力の流れ、魔力の性質、魔力の量。
それを精確に計測することが可能な【
リアの精霊眼とどっちが高性能か比べてみたいものだ。
「
計測完了。
魔力節約、適正威力――
「魔力障壁」
展開した半透明な魔力の壁に、氷の弾丸が着弾。
パリンと、同時に二つの魔術が消滅する。
防御力を一切残すことなく、魔力障壁はケネンの魔術の攻撃力を完全にゼロにしたと同時に砕けた。
「完全な対消滅……」
クラウスが震えた声でそう呟く。
「あの女が言っていたよ。お前には自分以上の魔術の才能があるとな。だがその程度の魔力障壁しか造れないならたかが知れているな!」
込められる魔力が増えた。
20……2%増しってとこか。
俺も増えた攻撃力分、魔力障壁の防御力を上げる。
またしても俺とケネンの魔術は対消滅する。
氷の粒子が散った白い粒子の中を通り、俺は歩みを進める。
発射されるタイミング、角度。
全てが手に取るように分かる。
こいつもヤミと同じ。戦闘経験が殆ど無いんだろう。
「まだまだ行くぞ!」
何度も発射される氷属性の術式を、俺は魔力障壁だけで防ぎ続ける。
属性を付与し、飛ばし、鋭利にして、造形を作る。
属性魔術は無属性魔術よりも色々と優れる点はあるが、消費魔力はそれに伴って増加する。
俺の魔力障壁を1とするなら、こいつの魔術は一発ごとに4の魔力を消費する。
しかも俺の障壁を割るために魔力の消費量を増やし続けている。
だが、こいつの魔力操作で可能な限界量を術式に込めても俺の魔力障壁二枚分ってところだろう。
つまりこれが本当の戦闘だったなら、これを続けているだけで俺は勝てる。
「何故だ、あの程度の障壁が何故破れない!?」
十数センチの距離まで近づき、ケネンの顔を見上げ、問う。
「よぉクソ兄ぃ、退けよ」
「あっ……」
ただそれだけのことで、十九個上の王子は腰を抜かした。
「通れねぇんだけど?」
そう言うと、道を空けるようにケネンは横へずれた。
重そうな扉が目の前にある。
本来ならこの門は衛兵に守られているはずだが、ケネンが人払いでもしたのだろう。
そもそも一人の人間が開けられる重さじゃなさそうだしな。
しかし、ここ数カ月で鍛錬した俺の筋力と身体強化があれば、その門は容易く開く。
「クラウス、行ってくる」
「いってらっしゃいませ。わたくしはここでお待ちしております」
そう言って頭を下げるクラウスを尻目に、俺はその中へ足を踏み入れた。
「お前が第十一王子か、会うのはいつ振りだ?」
「キャハ、ケネンダッサ。何転がってんの?」
「一応言っておきますが城内で魔術を使うのは禁止されていますよ。まぁ王子である我々には無関係なことですが」
「やぁ弟くん、君は私に付いてくれますよね?」
「ねーネルー、僕にあの街くれよ? いいだろ? まぁ嫌って言ってもブン盗るけど」
玉座に座る一人の老人。
そこへ続く道の横で並ぶ五人……ケネンを入れて六人の――【王族】。
第一王子『ダジル』、三十一歳。
第一王女『シャルロット』、二十二歳。
第二王子『ケネン』、二十九歳。
第二王女『シルヴィア』、十九歳。
第三王子『コーズ』、二十五歳。
第七王子『ミラエル』、十七歳。
そして、七人目の俺。
第十一王子『ネル』。
しかし別に王子と王女が全員集まってる訳でもない。
この国に王子は十一人。王女は五人居る。
俺とミラエルが居る時点で上から順番に呼ばれてる訳でもない。
かといって、まだ集まっていないという訳でもなさそうだ。
ケネンが後ろから入って来るのを確認して、控えていた宰相が扉を閉める。
重要人物ばかりだというのに兵士が一人も居ない。
それだけ重要な話が行われるってことなんだろう。
「静まれ」
それは覇気のないしがれた声だった。
しかし、その場に居た誰もがその声に従い口をつぐむ。
「ケネン、ネル、お前たちも並べ」
向かって左の列には
並び順的に俺は
「十歳でここに呼ばれるなんてやるわね」
「……」
「シカトしてんじゃねぇ。処刑するわよ?」
「やってみろ、似非淑女」
「ッチ、可愛くない弟だこと」
忘れかけていた記憶を引き出して集められた王子王女の特徴を考えれば、これがなんのための集まりなのかはなんとなく察せる。
「さて、儂の跡継ぎについてだが……」
国王がそう言った瞬間、緊張が全員へ伝播する。
やっぱりか。
ここに居るのは王子の中でも特に勢力の強い人間。
どいつもこいつも国王に近い権力や人脈、能力を持ってる奴ばかりだ。
そんな者達を集め、御年六十五歳の国王はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ネル以外の者には先刻から言っている通り、儂はその継承を生まれた順や性別で決めはしない。重要なのは能力だ。国を存続させ、繁栄させる。それが最も可能な者に儂はこの冠を継承する」
お喋りな
「この国には始まりの礎となった迷宮が存在する。古代型迷宮【銀庫】、我が王国の科学技術はここから出土した品を研究して造られた物が殆ど。つまりはそれほど重要な迷宮ということだ」
王国の科学技術。
ここで言うそれは当然『魔術』の要素を含んだものだろう。
それは必ずしも天才によって創造されるものじゃない。
この世界に存在する人類未踏破の未知なる場所。
その開拓によって得られた品を研究することによって、人類は数世代先のテクノロジーを獲得することがある。
それは深海であり、それは龍の守る宝物庫であり、それは火山の奥地であり、それは地下の大空洞であり、それは天に浮かぶ島であったり、まぁ色々とそういう場所は存在する。
その最たる例が『ダンジョン』だ。
ダンジョンから得られる魔道具や構造物は、人類の知性の進化を手助けしてきた。
「我がレイサム王国ではその第五階層までの探索が行われているが、六階層以降への侵入は二百年以上前の記録が最後だ。それも極僅かな期間の探索しか行われておらぬにも関わらず、我が国では今でもその時発見された技術の発展形を使っている場面が数多く存在する」
それだけ、天才が生まれる確率は低いってことだ。
つっても、ダンジョンの未踏破領域に到達できる奴だって立派に天才だとは思うが。
「故に儂は決めた。この国に最も利益を齎す者、つまり【銀庫】の第六階層に最初に到達した者に王位を譲ろうと」
王位継承権を懸けた迷宮探索ってことか。
貴族や王族の跡継ぎ決めってのは血みどろな暗殺合戦があるのが相場だが、このルールならそれが起こるのは最後の方だけだ。
それまでは王子の持つ全リソースを迷宮探索という国益に投じることができる。
割と考えられた案な気はする。
「陛下、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
手を上げたのは第三王子コーズ。
眼鏡をかけた表情の薄い男だ。
「コーズ、申してみよ」
「第六階層へ到達したという証明はどうすればよろしいのでしょうか?」
コーズのその質問にシャルロットが苛立ち混じりの声を上げる。
「あんた馬鹿なの? 最初からその説明はされてるでしょ? 第五階層派生のテクノロジーを越えた未知の品の献上って前から言われてるじゃない」
「陛下、今のシャルロットの説明で本当によろしいのですね?」
「あぁ、その通りだ。その品の判定は儂が行う」
「かしこまりました」
そう言ってコーズは手を下ろした。
未知のテクノロジーが宿った品の提出ね……
色々と抜け穴はありそうだが……まぁ俺の知ったことじゃないな。
「さて、概要の説明が終わったところで本題に入ろう」
そう言った
ザイサル・オール・ヴィジェクト・サエラ・クラニス・レイサム。
レイサム王国の前進国四つと共に計五つの国名を背負った国王は、俺に問う。
「第十一王子ネル、お前もこの戦に参加するか?」
眼光が鋭く光る。
これが国を背負う人間の覇気か。
戦場で感じる物とは質が違うな。
「ここに集う者達は、魔術師組合や冒険者組合、有力貴族、世界一の商会、剣聖、そんな後ろ盾を持ち、同時に迷宮を攻略可能な武力を保有する者達だ。そして儂は、難攻不落だったナスベ龍街を数日で落として見せたお前もまた彼らに匹敵する能力を持つと見込んでいる」
王様って人種とは初めて話す。
いや、ヨスナも一応王様って枠に入るのかな?
だが俺もあんたほどじゃないが、迷宮のなら『王』になったことがある。
ビビる要素は皆無だ。
「参加なんざしねぇよ。俺は王位になんか興味はねぇ。俺は禁書庫に入りたいだけだ」
「そうか。では禁書庫へ入ることを禁止しよう」
当たり前のように国王は俺の意志とは真逆の言葉を吐いた。
「この決定を覆せるのは国王のみだ。で、どうする?」
「テメェ……ふざけてんのか?」
「貴様、あまり調子に乗るなよ」
「あんた、お父様になんて口を!」
「今すぐ謝罪なさい」
「末弟の分際で口を慎め」
「そうだね、王位を馬鹿にするのは僕許せないかも」
ケネン以外の全員が形相を浮かべて俺を睨む。
けど……あぁ……
「うるせぇんだよ、テメェらに用はねぇ」
魔力を解放する。
必要以上の威力を込めて。
その上に殺気と害意を乗せて。
「分かったら黙ってろ」
列から抜け、王子王女の間を通り抜け国王へ近付いて行く。
誰も俺の邪魔はしなかった。
動けそうな奴も一人……いや二人居るが、俺が急に魔力を解放したことに驚いているらしい。
国王の前まで歩き、俺は父親と久しぶりに目を合わせた。
「俺がここへ来た理由は一つだ。禁書庫に入れる権利を寄越せ。代わりにナスベ龍街をお前にやるよ」
「断る」
「どうして?」
「逆に問おう。お前は統治する意志もなく、街を征服したのか? それが知性ある種の代表か? ただの破壊者ではないか」
罵るような言葉だった。
だが俺とは関係ない。
俺は俺の目的のためなら他の誰がどうなってもどうでもいい。
それに俺に統治する能力がないのは分かってることだ。
だから今もビステリアとクラウスに投げてる訳だしな。
俺は交渉を続ける。
「ナスベ龍街の学習レベルはこの王都すら凌ぐ。識字率は95%、子供でも四則演算ができ、大人の殆どは科学か芸術の道に居る。人口三千弱の内、子供を除く全員が高度人材だ。それに街としての建築レベルも一級品。それが要らないと?」
「聞こえの良い言い方だな。科学者と芸術家だけでは街は存続できない。それに王族たるもの己で獲得した民、街は己で統治しろ。儂にはお前が逃げているだけにしか聞こえぬぞ?」
こいつ、俺の魔力に一切ビビッてないのか……?
これが『王』。
この世に存在する人類最大規模の集団を導く者。
俺を見る目が、今まで出会ったどんな強敵とも違う。
「だが、数日で街を落として見せたお前の能力には価値があり、儂の期待に値する。参加しろ、ネルよ」
期待……そう言われた瞬間、胸がざわついた。
「うるせぇんだよ。今更……」
なんだ?
俺は何を言おうとして……
「俺に期待なんかしてなかったクセに、今更何が王位を継ぐ戦いに参加しろだ。あんたは王である前に人間だろうが。人を先導するならその勤めを全うしてからやれよ!」
玉座に座る国王の胸倉を掴み上げる。
俺じゃない。いや正確には俺の中に統合しきっていないこの身体の人格が、俺を押しのけて前に出てきている……
顔を近づけ、王子のとしての俺が叫ぶ。
「私はずっと貴方に認められるために――」
その言葉は最後まで紡がれることはなく、俺の手首と肩が捕まれる。
「やめろ、ネル」
「やんじゃん。でもそこまでだよ」
第一王子ダジル。
第七王子ミラエル。
六人の王子の中でこの二人だけは俺の魔力に当てられても全く委縮していなかった。
国王の胸倉を掴む俺の腕をダジルが強く握る。
ミラエルに肩を引かれる。
二人共力がかなり強い。
身体強化の係数だけなら俺に匹敵する。
「離せ」
胸倉を掴む手を離しそう呟くと、二人は俺の身体から手を引いた。
「ネルよ、儂は国王だ」
「知ってる」
「お前は王子だ」
「知ってる」
「そう生まれた時点で、人間性など二の次なのだ。分かれ」
そう言うと同時に国王の……父親の手が俺の頭に置かれる。
俺の頭を撫でていた。
死ねよ。なんなんだよこいつ。
どこまで俺を馬鹿にすれば気が済む。
「やめろよ」
手を払い、俺は踵を返す。
そのまま入って来た扉へと歩く。
「ネル、どうするのだ?」
「禁書庫に入る方法がそれしかねぇなら、仕方ねぇからやってやる」
「そうか、期待しよう」
「黙れクソ親父。俺をこの戦いに参加させたこと、後悔するんじゃねぇぞ」
鉄製の扉を掴む手に熱が入る。
魔力と共に発火を起こし、熱量が金属の融点を越えてその形状を変えていく。
俺の手形を刻みながら煙を発し、扉は開いた。