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53「王族の在り方」


「容易く? 自分に出せる全部を使って、それでもこんなにボロボロになってる俺が簡単に勝ったように見えてるのか?」


 節穴だな……そう続けようとしたが、それより早くダジルが激情の籠った声を発した。


「俺は、陛下の本当の息子じゃない! それでも俺のことを王子として扱ってくれる陛下に俺は恩を返さなければならない! そのために、お前には死んで貰う!!」


 それは懺悔のようで、それは後悔のようで、悔恨に飲まれたその言葉は俺への確かな殺意を持っていた。

 けれどそれは狂気に浸ったものではなく、まるで責任感からくるような、かしこまったものだった。


 正直、全くわくわくしない殺気だった。


「俺を殺せば第六階層への侵入権を持つのはお前だけ、確かにそれでお前の目的は達成される。銀庫の第六階層に至った唯一の英雄にして第一王子。その名誉があれば、お前は王位を継げるんだろ? 王位の継承に文句を言う奴は限りなく少なくなるんだろ?」

「その通りだ」


 俺の首元には刃があって、勝ち負けを論じるならばダジルが勝者だ。


「じゃあいいぜ、殺せよ」

「何……?」

「あぁけどそうだ、頼みが幾つかある。まずこの鉱石をリンカに渡してくれ。次にナスベの奴らを頼む、普通の王国民と同じように扱って欲しい。あとヤミを禁書庫の門番から解雇してくれ。それとクラウスの老後を頼む。どうだ? 交換条件としては結構良い話だと思……」

「待て。貴様は死が怖くは無いのか?」


 俺は目を瞑った。


「それがお前にとって……それが現国王おやじにとって……それが国民たみにとって………………最も良い選択なんだろ?」


 俺は自分を王族だなんて思ってない。

 政治のことなんか知らねぇし、国民のことなんかどうでもいい。

 そんな俺が王に相応しいわけがない。


 そんな俺とは違う、偉い奴おまえらが言ってんだ。

 俺がここで死んだ方が国は平和に丸く収まるってな。


 王族の自覚がなくても、それでもこうして産まれた以上、最期くらいそういうことをしたっていいだろ?


 はは、誰に聞いてんだろうな……

 多分、最強を目指す俺に聞いてるんだ。


 ここで死ねばいつも通り俺は十年後に転生する。

 十年ってのは結構大きいロスだ。

 だけど……


「……俺はもう満足だ」


 結局禁書庫には入れなかったな。

 けど、それ以上のものを手に入れた気がする。


 つうか、そういう問題じゃないんだ。


 俺自身が、『俺』という人間が――ここで死ぬことを受け入れている。


 そりゃそうだよな。

 俺に見向きもしなかった親父が俺に頼ったんだ。

 そして俺はそれを完遂してやった。


 俺のことなんかどうでも良かった兄貴が、こんな顔して横に居るんだ。

 俺を羨ましがって、俺を脅威と認識していて。

 他の兄弟姉妹も俺を担いで支えてくれた。



 それはつまり――認められたってことだ。



 俺の能力で可能なことはやり遂げた。

 この人生に、俺の元の人格の未練はほとんど残ってない。

 その満足感に俺の精神が引き摺られていく。


「国と民のために自分は死んでもいいと、貴様はそう言うのか?」

「俺の生死は今お前の手にあるんだから、今更嘆いたって意味ねぇだろ?」

「……それがお前の強さなのか? だからお前はあんな怪物に命を懸けて挑むことができて、あんなに沢山の仲間が居るのか?」

「仲間……? まるでお前には居ないみたいな言い草だな」


 俺を取り囲むこの連中が居るクセに……


「固有属性【影】」

「……」

「この場に、俺の後ろ盾などない」


 ダジルがそう言った瞬間、周りに咲いていた花が舞い散った。

 俺を囲んでいた集団の姿が掻き消える。


「これらは俺の魔術で作り出した俺自身の分身体だ」


 自分のコピーを数十体……

 また規格外な術式だことで……

 王族に産まれただけでこの戦力かよ。


 つうか……何が本当の息子じゃねぇだよ……


「ははははは……テメェも国王もくだらねぇ悩みだったな」

「……?」


 固有属性の発生率は数万人に一人。

 それにダジルの魔力操作の練度レベルはそこまで魔術に傾倒した人間には思えない。

 どちらかと言えば武術に重きを置いているように思える体捌きだ。


 こんな偶然があり得るわけがない。


九割九分九厘99.9%、お前は俺の兄貴だよ」

「どういう意味だ……?」

「さぁな、自分の親父にでも聞きやがれ」


 ガルシアが固有属性のことを知ってたんだ。

 あの国王ジジイが知らないとは思えねぇ。


 ダジルは自分の固有属性を現国王にも伝えてなかったんだろ。

 ま、出てくる奴らの殺気がヤバ過ぎるし、多分こいつ自身のマイナスの感情でも纏ってるんだろ。

 そんな気品さの欠片もない能力を王族コンプレックスのこいつが父親に言うとは考え辛い。


 だから互いに知らなかったってわけだ。

 すれ違ってたってわけだ。


 まぁけど、息子が父親だと思ってて、父親が息子だと思ってて……それ以上に親子である証明なんか必要なのかね……?


 まぁいいや、俺にはもう関係ねぇことだ。


「さっさとれよ」


 俺にもう戦う余力は残っていない。

 体力も魔力も限界。


 今の俺を殺すなんて簡単なことだ。


「あぁ、貴様を殺すなど容易いことだ」

「だったらさっさとやれ」

「俺は次期国王だ」

「あぁ、そうだな」

「だからここで貴様を殺す。殺して、王位を盤石とする」


 ダジルは剣を振り上げる。

 仰向けに倒れ、抵抗のない俺の首を裂くなんて子供でもできることだ。


「そうだ。それでいい」


 なのに……ダジルの剣は俺の顔の真横の土に突き刺さって止まった。

 砂が口に入ってじゃりじゃりしてる。


「……何、やってんだ?」

「全ては国のため、全ては民のため……」

「あぁ、それが王族の在り様なんだろ?」


 己の全てがそうではないのだとしても……

 それでも王族に産まれた以上、そう在ろうとするべきなのだろう。


 俺の知る限り、最もそれに近かったのはやっぱり現国王とお前だよ。


 だってお前は、今も国のために俺を殺そうとしてる。

 きっと常人の手には余るものを守れる人間ってのは潔癖に生きた奴じゃなく、どこまでも堕ちることができた人間だ。


「だが、ナスベ龍街を落としたのも、銀庫の第六階層に到達したのも……この国に利益をもたらしたのは俺じゃなく、貴様だ……」

「それは俺が俺のためにやっただけのことだ。俺の本能は他人を思いやれない。全ては自分の目的のためにやってることで、そんな俺が王座になんて座っていいわけがない」


 俺に王族の資格はない。

 必要だとも、求めたいとも思わない。

 俺がここで死を選ぶのも、この身体に刻まれた感情に影響されただけの一過性のものだ。


「お前は無能だ。ダンジョンも攻略できない。後ろ盾も望めない。それでも、お前にはお前にしかないものがある。それは固有属性であり、国を守る意志であり、国王を継ぐという覚悟だ」

「貴様は全く、まるで殺されたがっているようだな」

「殺されねぇならそれはそれで助かるがな。まだこれ以降の階層の敵とも戦いてぇし」

「はぁ、貴様という奴はどこまで…………ネル、俺は完璧な王になれると思うか?」

「はっ、なれるわけねぇだろうが。けどな、未完成だから人間って生き物は生き足掻けるんだ」


 俺は誰よりもそれを知っている。

 完璧ではないことは諦める理由にはなりえない。

 才能のあるなしも、成長速度も、最終的な結果には劣るファクターだ。


「それに足りないのならかき集めればいい。お前の周りにはわりと優秀な人材が揃ってると思うがな」

「優秀な人材?」

「他者への術式の転写を熟す王女。愛を力へ変換する愚かな王子。剣聖の弟子であり魔術と武術の天才。人の願いを見抜く人心掌握の魔女。詠唱術式を解読し、研究者を束ねる奇人。そして、暗部出身の冷酷無比な国の奴隷おうさまも居る。少なくとも俺が敵国なら相手にしたくねぇ時代だ」


 単独の能力だけでも一騎当千の奴らがいる。

 戦力以外でも外交や金回りの話、技術力の面でも相当にキレる奴らがいる。

 そしてこの戦いを経験したあいつらのメンタリティは一段上の階層に至る。


 そんな国に喧嘩を売るのはバカのすることだ。

 そう思えるほどに、こいつらは盤石だ。


「俺が他の王子王女と協力できると思うのか?」

「それくらいやってみろ。あいつらも案外話の分かる連中だぜ?」


 こんな俺に付き合うくらいだし。


「はぁ……そうだな。行くぞ、弟」


 そう言ってダジルは俺を背におぶった。


「なんだよ?」

「英雄の凱旋だ。俺が運んでやる」

「いいのか?」

「ここで貴様を助けることは交渉材料としての意味がある。それに、これでも一応はお前の兄だからな」


 ダジルが歩き出そうとした時、目の前に木々が揺れ、その中から見知った顔が幾つも現れた。

 リンカやヤミ、それに使用人たちも全員揃ってる。



「――お疲れお前ら、俺らの勝ちだ」



 何とか拳を振り上げて、俺はダジルの背からそう言った。



 ◆



 その後、戴冠式は滞りなく行われた。

 ダジルが第六階層の品物を入手し帰還。

 それを現国王は継承戦の勝利条件として受理した。


 継承戦に参加した他の王子王女から反対意見が出ることはなかった。




 戴冠式の後、俺は国王の部屋に呼び出された。


「ネル、よくやってくれた」

「あぁ……」


 くたびれた白髪の爺さんは、最早死人に近かった。


「ゾンビみてぇだな。死ぬのか……?」

「あぁ、儂は満足だ。未練はない」

「そうか、それならさっさと禁書庫の入出許可を寄越せ」

「それはもう命じてある。禁書庫に行けば入れるであろう」

「じゃあもうあんたには用はねぇな」


 席を立とうとする俺の手を、弱々しいしわくちゃの手が掴んだ。


「すまなかった。ありがとう。我が息子よ」


 気持ちの悪い謝罪と感謝だ。

 それは確かに俺の中の王子が求めていた言葉だった。

 けれど、気分は最悪だった。


 最期の最後まで、俺が息子じゃねぇって気が付かないんだな。


「くたばれ、クソジジイ」


 ダンジョンを攻略したのは俺だ。

 だけど俺はもうあんたの息子じゃない。

 約束は果たしたんだからな。


 つまりあんたも、あんたの子供の誰も、あんたの想定したダンジョン攻略は成し遂げられなかったってことだ。

 あんたのミスで、あんたの負けで、俺の勝ちだ。


 完全で完璧で、幸福だけの人生なんかない。


 俺の嫌悪がお前の生涯の未練にどれだけなるかは知らないが、それでも背負って死ね。


「あんたの生き様を俺は肯定しない」


 俺はしわくちゃの手を振り解く。


「そうだ、あんたの固有属性はなんだったんだ?」

「そこまで知っていたのか……よかろう、教えよう。儂の固有属性は【毒】だ」

「それが、あんたを王にした力ってわけか。けど毒使いが病で死ぬとは馬鹿らしい話だな」

「あぁ……そうだな……」


 都合のいい話だ。

 次の王位が決まろうとしたタイミングで自然死しかけてるなんて。


「じゃあな、もう二度と会うことはねぇだろうよ」


 そう言って俺は王の私室を後にした。


 その三日後、前王『ザイサル・オール・ヴィジェクト・サエラ・クラニス・レイサム』は天寿を全うした。



 ◆



 俺が書庫に踏み入ったその瞬間、光の弾丸が俺の顔面を狙って放たれた。


 その術式に込められた魔力を読み解けば、その弾丸をどうにかする必要ないことは俺の魔力感知には明白だった。


 光弾は、俺の目前で掻き消える。


「ネル、何の用ですか?」

「王様に禁書庫に入っていいって言われたんだよ。通せ」

「私に何か言うことはないのですか?」

「……ねぇよ」

「後悔しますよ?」

「あぁ、そいつは楽しみにしとくよ」


 俺とヤミはすれ違い、俺は結界の施された禁書庫の扉へ向かって歩く。


 聖剣召喚――


 俺はヤミが施した結界を断ち斬って、扉の中へ入った。



 禁書庫の中には数万冊の蔵書があった。

 これらは全て禁術に関するものだろう。

 しかし読むだけで禁術を使えるようになるわけじゃないし、禁術について書かれたというだけで、伝承のようなものも存在する。

 それに俺と相性の良いものを探す必要もある。


 しかし部屋の中央、台座に一冊だけ置かれたその本が異質に目立っていた。

 なんでそれだけ特別扱いされてるのか分からないが、取り敢えずはそれから読んでみることにした。


 さて、ここからが骨の折れる読書の時間だ。



 ◆



 禁書庫と自室を行き来する日々を送る中、ある日ダジルに呼び出された。


 場所はダジルの物となった玉座の間。

 そして、呼ばれたのは俺だけじゃない。

 継承戦に参加した全員がそこに居た。


「頼みがある」


 開口一番、ダジルは決心したような表情で俺たちに頭を下げた。


「俺を手伝って欲しい」


 ダジルは王になったはずだ。

 あの親父を目指していたはずだ。

 いや、だからこそか……

 国を、民を、おもんばかるからこそ、こいつはこうして頭を下げている。


 自分のプライドなど火にくべて、俺たちに願っている。


 チラリとシルヴィアに視線をくべれば、シルヴィアも俺を視て小さく頷いた。

 疑ってたわけじゃないが、こいつの言ってることは嘘じゃないらしい。


「私が今こうして玉座に座っているのは私の功績の為すところではない。お前たちがやり遂げた偉業を盗んだ結果だ。だが、それでもやはり俺は王になりたかった。ならねばならなかった。こんな俺を軽蔑するのが当然だろう。俺の提案を断ったとしても、お前たちに何かをするつもりはない。これはただの頼みだ」


 周りを見れば、王子や王女たちは溜息をついたり髪を弄ったりして……


「こっちは最初からそのつもりなのよ」


 代表してシャルロットはそう言った。

 続くようにシルヴィアも答える。


「ネルがダジルお兄様を王にすると言った時点で、私たちは話し合って意志を統一したんです。そして誰もそれを否定しなかった。私たちは当たり前のことに気が付いたんです」

「当たり前のこと……?」

「兄弟で殺し合いなんて、しょうもない……というこです」


 ケネンが、コーズが、ミラエルが、シャルロットが、シルヴィアの言葉に頷いてダジルを見た。


「……すまない。ありがとう。俺は馬鹿だった」


 ダジルはそう言って目頭を抑えていた。


「ダジル、俺はテメェの言ってることに興味がねぇ。だからこの会議に俺の席は必要ねぇ。じゃあな」


 もうすぐ俺は禁書庫にあった全ての書物を読み終える。

 つまり、もう俺にはこの王宮に居る理由がない。

 王座の間を後にすべく俺はダジルに背を向けて歩いた。


「待てネル、お前はこれからどうするんだ?」

「決まってるだろ? 俺はまだあの迷宮に勝ってない。俺はこれからこの人生の全てを懸けて【銀庫】を攻略するんだ」


 もう一度、その場に居る全員に向けて俺は最後の言葉を呟いた。


「じゃあな、お前ら」


 俺は玉座の間を後とした。


「待ってネル」


 玉座の間の外まで俺を追いかけてきた女が一人。

 銀髪の髪を揺らしながらそいつは俺の手を掴み、振り返らせた。


「なんだ、シルヴィア」

「ありがとう。私の望んだ結果になった」

「そりゃ良かったな。けどそれはお前があいつらを纏めた結果で、俺はただ好き勝手暴れてただけだ」


 そう言った俺を魔力の籠った瞳がジッと見つめている。

 俺の全てを見透かすように……


「貴方を愛してるわ。私の弟として、二人共」

「……どういう意味だよ?」

「ずっと二人分見えていたの。貴方の願いと、多分その前の私の弟の願い……」

「ずっと前から気が付いてたってことか。なのに何も言わなかったのか?」


 俺は転生するたびに他人の人生を奪っている。

 それはきっと殺人なんかより余程重い罪だろう。


 それでも俺はこの生き方を辞められない。


 俺の満足のためなら何人犠牲にしても構わない。

 だけど、ほんの少しだけ罪悪感があって、だからこそ元の人格の願いや欲求にこうも感情を左右される。


「何を言っていいか分からなかったの。でも今はあなたに伝えるべき言葉が分かる」


 罵詈雑言でも吐かれるのだろうかと、それくらいの覚悟はあった。

 だけどシルヴィアが言った言葉は、俺の予想だにしていない内容だった。


「元のネルは今満足してるわ。願いはもう何もない。強いて言えば、貴方に自分の身体を差し出すこと。伝えなきゃいけないと思った、それが私がこの目を持って生まれてきた意味だと思った。貴方は貴方にありがとうって、そう言ってる」


 消えて行く。

 まるで幽霊が成仏していくみたいに。

 俺の中に確かにあった元の人格の感情が、完全に俺へ同化していく。

 俺がこの身体を乗っ取ることをこの身体が受け入れたんだ。


「じゃあねネル、私も頑張るから貴方も頑張ってね」


 そう言い残してシルヴィアは玉座の間へと戻っていった。


「ハァ……」


 声が震える。

 目元が熱い。


「ごめんな俺。ありがたく使わせて貰うよ」


 俺がしたことは、この身体を貰う対価として適正だったなら良かった。


「坊ちゃま……いえ、もうネル様とお呼びした方がよろしいでしょうな」

「クラウスか、またせたな」

「いえいえ、王族の皆様との会議はもう終わったのですか?」

「あぁ、それに俺にはもう王族としての資格も自覚もねぇよ。……そういやお前だけだったな」

「何がでございましょうか?」

「俺が別の人間になってるって、魔術も何も使わずに気が付いた奴」

「当然です。坊ちゃまとは三歳のころから一緒にいるのですから」


 そりゃ随分と長い付き合いだ。

 けどこの身体に転生して七年。

 俺も同じくらいクラウスと一緒に過ごしてる。


 なのにこいつは、最初の決闘以来一度も俺に呪いの言葉を吐かなかった。


「俺はダンジョンに行く。多分もう戻って来ねぇ」

「そうですか……もう引き留めることはいたしません。ただ、少し寂しくなりますな」

「悪かったな、お前の仕事を奪っちまって」

「いえ」

「それにこの身体も奪った」

「……十歳までの貴方様は酷く悲しそうであられました。お父上に興味を持たれず、ご兄弟からも関心はなく、自分はただのスペアなのだと自責する。ですが貴方が宿ってから行った様々な成果は、その前の坊ちゃまが願っていたことでもありました。貴方の中に坊ちゃまがいるのならば、きっと坊ちゃまも満足しているのではないでしょうか?」


 凄いなこいつ。

 シルヴィアが固有属性を使って出した結論と同じことに辿り着いている。


 それだけクラウスは俺を見てたってことだ。


「だといいな。禁書庫の本を読み終わるまでは王宮に居る予定だ。それまでは面倒見てくれ」

「かしこまりました、ネル様」



 ◆



 禁書庫の本を全て読み終えるのに、三カ月ほどの時間が掛かった。

 速読にはそれなりに自信があるが、それでもこれだけの期間が掛かるとは流石王国が貯蔵した秘匿書類の数々だ。


 しかし魔術についての見識や可能性、そもそも『魔術とは何なのか』という魔術師の永久的な問いに対する深度はかなり上がった気がする。

 面白い文献が幾つもあった。


 とはいえ禁書庫の中身を読み終えた俺には、すでにこの王国にも王宮にも一切の用がない。


 王子として責務なんかどうでもいいし、王族としての責任感も欠片も残っていない。

 それもまたこの身体が完全に俺のものになった証拠だろう。


 だから俺はシュリアに会いに来ていた。


「食料と水、それに魔力ポーションを収納用の魔道具に入るだけ入れてくれってどこか旅にでも出るの?」

「まぁそんなとこだな」

「もしかして、もう私とは会えない?」

「……そうなるかもしれねぇな」

「そう……あんたに上げても良かったんだけどね……」

「上げる? 何を?」

「私は未婚だし子供もいないから、この商会を」

「はっ、要らねぇな」

「……そう言われると思ったから今まで言えなかったのよ。はぁ、じゃあネオンかリンカにでも上げようかな」

「あいつらで大丈夫か? 商売が得意そうには見えねぇけどな」

「商売っていうのはそんなに簡単じゃないわ。でも、ビステリアなら上手くやるでしょ?」


 確かにあの女神の演算能力があれば人知など簡単に掌握できるだろう。

 実際、嫌悪と警戒を抱いていたはずのビステリアの助言を俺は高い確率で信用している。


「そうだな」

「あんたともう一度出会えて良かった。私は不死でも不老でもないし、そうなろうなんて勇気もない。だけど、あんたにもう二度と会えないと思うと悲しくてたまらない」


 普段の俺なら茶化すとこだ。

 でも、今はそうしようとは思えなかった。

 銀庫の攻略にどれだけ時間が掛かるか分からない。

 仮に銀庫で死ねば、俺は十年誰にも会えない。


 シュリアの年齢を考えれば、俺たちがもう一度会うことは難しいだろう。


 だから最大限に気持ちを込めて、その言葉を言うことにした。


「じゃあな、シュリア」

「さようなら、ネル……」



 俺は銀庫へ向かう。

 この場所で、この人生で、唯一のやり残しを清算するために。


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