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62「既視感」


 ネルさんに森林の外まで送って貰った後、僕は王都にある家に戻った。

 僕の家は名の知れた道場だ。

 僕の曽祖父が始まりの剣聖より賜ったもので、祖父と父はそれを継ぐために必死に努力して剣聖になり、御前試合の度にその称号を守り続けてきた。


 僕を鍛えて剣聖にしようとしているのも、この道場を継承させるためというのが主な理由だ。


 まぁ、剣聖の称号を剥奪された今となってはどうでもいいことだけど。


「ただいま」


 道場に入ると庭の手入れをしていた門下生の一人が僕に気が付く。


「坊ちゃん!? ようやく帰ってこられたんですか! おい皆、坊ちゃんが帰ってきたぞ!」


 元気よく声を上げることで自信を持って鍛錬に打ち込めるらしい。

 皆父にそう教育されてる。

 僕にとっては煩いだけだ。

 それに高圧的で怖い。


 あの人にとってはこの門下生たちと僕に対してじゃ扱いが全く違う。

 当然だよね、この門下生の誰かが次の剣聖になったらこの道場はその人のものになるかもしれない。

 家を守ってきたあの人にとってはそれじゃ困るんだ。


 僕とこの門下生たちじゃ、修練の悲惨さが違う。


「お父様は?」

「それが急に道場を誰かに譲ると言い出されて……帰ってきたばかりでなんですが、坊ちゃまからも何か言ってあげてくれませんか!?」

「うん。それでどこにいるの?」

「自室にいるかと……!」

「そう、ありがとう。あとさ、そんなに大きい声ださなくても聞こえてるよ?」


 僕がそう言うと彼は目を丸くしていた。

 そういえばこんなこと言ったことなかったな。

 僕にとっては『剣士』の代表は父親あのひとで、僕を傷つける存在だ。


 そうか、だから怖かったんだ。


 でもさ、絶対的だったあの人もネルさんに負けた。

 子供と大人みたいな差を見せつけられて負けるところをこの目で見た。

 ネルさんに比べれば、こんな人たち大したことはない。


 ポカンとした門下生の人を置いて、僕は道場の中に入る。

 そのまま父親あのひとの自室へ向かい、障子から声を掛けた。


「リョウマです。ただいま戻りました。少し話があるので開けてよろしいですか?」


 数秒の沈黙の後、「入れ」と声が返ってきた。

 障子を開けて中へ入る。

 僕は父と正座で向かい合う。


「何をしに帰ってきた? まさか今更私の理念が通じたというわけでもあるまい?」

「そうですね。僕は貴方が嫌いだ。要するにそういうことを言いに来たんです」

「嫌い、か。以前の私ならそんなことはどうでもいいと、お前に無理矢理修行をさせたのだろうな」

「でしょうね。だけどもう貴方は剣聖じゃない。失ったのは貴方だ。僕じゃない。貴方の責任だ。僕は確認しに来たんです。それでもまだ貴方は剣聖という称号に執着するのか、僕にまた剣を取れと言うのかを」


 この人は力を持っている。

 それは僕よりずっと強い力だ。

 たった一人でここにやってきた僕を拘束して、強制的に修練に従事させることも可能だろう。


 いや、むしろ僕はそうなることを期待している。

 だってそんなことをしたら、それこそ証明だから。

 この人の正義は間違っていると、僕は確信したい。


「私は敗北した。それは全て私の責任だ。実力の差は歴然で、手も足もでなかった。不出来な私の後を追えとはお前には言えない」

「いいんですか?」

「あぁ、この道場ももうアマツ殿に返還する予定だ。私ももう出て行く」

「これからどうするんですか?」

「そうだな……冒険者にでもなるとしようか。冒険者の最上級『金剛級』の者たちはどれも化け物揃いと聞くし、一手指南して貰うのも悪くない」


 以前のこの人なら「指南して貰う」なんて口が裂けて言わなかっただろう。

 剣聖――最強と呼ばれる剣士に刻まれた敗北は、その性質すら変えてしまうらしい。


「それに二人を養わなければならないからな」


 母は病弱だ。

 妹はまだ九つだ。


 ここを出て行くということは、これまで得ていた名声や財源が消えるということを意味する。

 母が医者にかかるお金が必要だ。

 妹が真面に生活できるお金が必要だ。


 だけど、僕が嫌いなのはこの人だけで、母や妹のことまで嫌いなわけじゃない。

 むしろ二人には感謝してる。

 厳しい父と対局のように、優しい人たちだから。


「僕も手伝うよ」

「馬鹿を言うな。家族を養い守るのは父親の務めだ。お前はまだ子供なのだから金のことなど考える必要はない。最早、私がお前に期待することは一つだけなのだから」

「何さ?」

「自分が立派だと思うことをしろ。私もそうする」


 やっぱり僕はこの人が嫌いだ。

 負けたとしても根っこの部分は何も変わらない。

 誰よりも責任感と信念を持って人生にのぞむ人間。




 ――ネルさん、剣聖の称号を得たってことはアマツ様の持つ道場の一つを貰えるわけで、多分父の道場がネルさんに進呈されることになると思いますよ。

 ――要らねぇよ。俺が誰かを育てたいと思うとしたら、そいつを食って俺が一番になるためだ。道場ってのはそういう場所じゃねぇだろ?

 ――けど、道場も誰かが管理しないと……

 ――別にアマツの爺さんがやるんじゃ……いや、あの爺さんも俺と同じ結論なんだろうから人に任せてるのか。俺も拒否ってアマツの爺さんも拒否ったら、次点で任せられそうなのはお前の父親だろうな。

 ――まぁ、ネルさんの物になるわけですから貴方の一任があればその人が代理をするでしょうけど……

 ――じゃあ帰ったら言っといてくれ、お前がそのまま運営しとけって。アマツの代理の俺の代理だから、師範代々ってことになるのか? あの真面目男には似合いの役割なんじゃね?




 帰り道、ネルさんはそんなことを言っていた。

 あの人は嘘なんか吐かない。

 あれもきっと本心からの言葉なんだろう。


 僕はネルさんとの会話を父に伝えることにした。


「というわけです。引き続きこの道場は貴方の物ですよ、お父様」

「なんという適当な男だ……」

「そうですね」

「……分かった。その仕事を引き受けよう」

「それじゃあ僕は言いたい事も言えたのでこの辺で」

「また行くのか? あの森へ」

「はい。きっとあの人は僕の料理を待ってますから」

「そうか……土産話を楽しみにしておこう」


 そうして、僕は道場を後にした。



 ◆



 問題が一つある。

 あの森へ帰る手段がない。

 僕がネルさんと出会えたのは偶然だ。

 その前に死んでる可能性の方がよっぽど高かった。


 そんなところにもう一度戻って、また偶然ネルさんに見つけて貰えるかどうかは分からない。


 あの森に訪れて余裕そうな顔をしていた人が三人居る。

 父と始まりの剣聖アマツ様、そしてリアと呼ばれていたエルフの女性だ。


 父に頼るのはない。

 僕なんかがアマツ様に面会する手段はない。


 僕は冒険者ギルドにやってきた。

 確かリアさんも冒険者だと言っていた。

 冒険者ギルドは冒険者が依頼を受けるための場所であり、依頼主は冒険者に依頼を出すための場所でもある。


 丁度昼だったこともあってギルドの中は空いていた。

 眼鏡をかけた受付の女性に話しかける。


「すいません」

「はい。いかがいたしまた?」

「リアっていう冒険者がこの街に滞在してませんか? 結構ランクの高い人だと思うんですけど」

「リア……ですか。申し訳ありませんがそれだけの情報では……」

「えっとエルフの女の人で金髪、相当強くて細剣を持ってます。あと風属性の魔術を使ってました」

「剣を持った魔術師……」


 受付の人は、顎に手を当てて考え始める。


「いや、そんな人あの方くらいしか……でもリアって、そんなことあるのかな……?」

「思い当たる人が居そうですね」

「えぇ、数カ月前にやってきた金剛級の冒険者の方でその人相に一致する方が一人いらっしゃいます。ただその方の名前はリアファエス様と言って、私も数度喋ったことがありますがかなり気難しそうな方なので愛称で呼ばれているという印象がなく……」

「多分その人です」


 愛称だったのか。

 ネルさんがリアとしか呼んでなかったから気が付かなかった。

 にしても金剛級って最高ランクじゃないか。

 僕なんかじゃ計れない次元の戦いだったけど、そんなに凄い人だったんだな。


「なるほど、それでその方に何か?」

「依頼を出したいんです。僕の護衛の依頼を」

「いえ、それがあの方は同行者の方の護衛をする必要があるから依頼は受けないと公言されておりまして」


 同行者……

 禍津の大森林へは一人で来ていたけど、この緋の国に一人で来たというわけじゃないらしい。

 まぁ、本人がそう言うなら何かあるんだろう。

 流石にそれを差し置いて頼むというのも申し訳ない。


「どうにもやんごとなきお方らしく、それを差し置いて依頼を出すのは流石に剣聖のご子息と言えど難しいかと……」

「え、僕のこと知ってたんですか?」

「勿論、職業柄粗相があってはいけませんので有名人は憶えておりますよ」


 冒険者ギルドの受付の人って凄いんだな。

 なんて思いつつ禍津の大森林へ戻る方法を考えるが、やっぱり良い方法は見つからない。


「そういえば知っていますか? 最近この冒険者ギルドに三人の金剛級の方が来たんです」

「金剛級って結構人数少ないんじゃないんですか? それが三人も?」

「えぇ、世界中に三十人もいない強者です。剣聖を決める御前試合に参加しに来たのではないかともっぱら噂です。リアファエス様もその内の一人です。リョウマ様がどこへの護衛に最上級の冒険者をご所望か分かりませんが、他の二名なら依頼を受けてくれるかもしれません」


 正直な話、リアさん……リアファエスさんに頼もうと思ったのは僕に金銭的な余裕がないって理由も大きい。

 割引、もしかしたら無料タダで受けてくれないだろうかという打算もあった。


「あ、噂をすればですね。来ましたよ」


 そう言った受付の人の視線は僕の後ろ、この建物の入り口の方を向いていた。

 そこには黒髪の女性と赤毛の男性の二人がいた。

 女性の方は武器も持っていない、魔術師でも杖の一本くらい持ってるものだ。

 あっちは下女か何かなのだろうか。


 目を引くのはやはり男性の方だ。

 男性の方は剣、ロングソードを帯刀しているが値打ち物って感じはしない。

 ネルさんと同じ、あり合わせって感じの印象を受ける。

 その人には風格があった。いや僕に剣士の風格なんて測ることはできないけれど、その人はどことなく僕の知る最強の剣士に似ていた。


「あの男の人が金剛級の冒険者ですか?」

「いえ、あちらはワンランク下の聖金級冒険者、アル様です」

「アル……、ってそれじゃああの女性の方が金剛級冒険者なんですか?」

「えぇ、お名前はヨスナ様です。なんでも冒険者登録をしてから二ヵ月でその地位にまで上り詰めたとか、金剛級の冒険者数名と果し合いで完勝したとか、本当は人間ではなく龍が姿を変えているだけだとか、色々と噂はありますね」


 なんでも知ってるなこの人……

 なんて関心しているとその二人が僕の方へ近付いてきた。

 というよりこの受付に近付いてきている。


 他に空いてる受付はあるのにどうして?


「ヒオリ、久しぶりですね」


 黒髪の女性がそう声を発した。

 一瞬、誰のことか分からなかったけれど、その答えの人物は丁寧に礼をして言葉に応える。


「お久しぶりでございます、ヨスナ様。といっても三日振りですが」


 この受付の人、ヒオリって名前らしい。


「お金が必要になりました。良い仕事を紹介してくれますか?」

「先日も金貨数十枚を持っていかれたのに?」

「屋敷を買ったらなくなりました」

「そうですか。しかし今はこの方の対応をしている最中ですので別の受付に行っていただいてもよろしいでしょうか?」

「嫌です。貴方以外の受付に、私の眼を見ながら話せる人はいないので」

「然様ですか。ではこの方の対応が終わるまで少々お待ちいただけますでしょうか?」

「分かりました」


 そう言って彼女は僕の後ろで止まった。

 金剛級の冒険者って列に並ぶんだ……


「あ、いえ僕の用事はもう終わったのでどうぞ」

「そうですか、ありがとうございます」


 僕が横へ逸れるとヨスナという冒険者は、受付の前に立つ。


「それで何か良い仕事はありますか?」

「と言われましても拘束時間の短いものはあまり……あぁそうだ、恒常的な高ランクの仕事に『禍津の大森林の調査』というものがあります」

「禍津の大森林……あぁ、そう言えばそこでやると言っていましたね。ふん、その依頼を受けていいでしょうか?」

「そこでやる……もしかして剣聖の御前試合のお話ですか? 参加者にはすでに開催場所が告知されているという噂がありましたがもしかして?」

「相変わらず好奇心旺盛ですね」

「私、噂には目がないんですよ」

「想像に任せます」


 受付から離れながら歩いているとそんな会話が聞こえてきた。

 ……禍津の大森林? の調査?

 それって……


「あ、あの! 僕も連れて行ってくれませんか!?」


 そう言って駆け寄ると、赤毛の男性の方が僕を手で制した。


「彼女にそれ以上近づくことは許さない」


 その眼光は鋭く、僅かに殺気が込められていた。

 この感覚を僕は知っている。

 あの人と同じとは言えずとも極めて近い。


 あの人が戦っている姿と、このアルという男の人の姿が重なった。


「ネル……さん……?」


 僕がそう呟いた瞬間、二人の瞳孔が大きく見開かれる。


「あ、いえ、すいません……」

「君、どうして彼を見てネルと言ったのですか?」

「いや、ただ僕の知り合いに似ていて……」

「その知り合いはどこに居るのでしょうか?」

「会いに行くために禍津の大森林に行かないといけないんです」

「……分かりました。それでは君の同行を認めましょう」


 そう言ってヨスナさんは小さく微笑んだ。

 どうしてか、その表情は凄く不気味だった。


「ヨスナ様、ギルドの仲介を無視した契約を冒険者ギルドのエントランスで行われると少し困るのですが?」

「貴方が黙っていればいいことです。それに彼からお金を取る気はありません。彼はただ私の仕事に付き添うだけですから」

「……はぁ、仰せの通りに」


 この受付の人、物怖じしてる感じは全くないけど、やっぱり最上位の冒険者の一言っていうのは一般的なルールを捻じ曲げる程度の力はあるみたいだ。


「そうですね、三日後でいいでしょうか? 少し準備がしたいので」

「はい。大丈夫です」

「アルも構いませんね?」

「それが貴方の願いならば」


 そうして僕の少し奇妙な面子での旅が決まった。

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