「付与【蒼炎】」
蒼い炎の猛りが敵を焼き焦がす。
その光景は圧倒的な破壊の奔流だ。
ネルさんがよく使っていた炎属性魔術、それに色まで同じだ。
「龍装【
それはまるで呪いの刀だ。
魔術によって生み出された黒い刀が敵を貫くが何かがおかしい。
まるで敵の魔獣がその刀に自ら飛び込んで行くかのように、
彼らの強さは圧倒的で、現れる魔獣を次々と屠って進んでいく。
この森が数多の強者を退けてきた魔境であることなんて一切感じさせない強さをこの二人は持っていた。
「それにしてもこの森は凄いですね」
「そうですね。獣だけじゃなく植物や昆虫も狂暴化してる。いや、狂暴化しているというよりは、進化してる……」
「あの人が住む理由も分かる気がします」
「いえ、ネルさんは自分がこの森の環境を造ったって言ってました」
「造った?」
「迷宮魔術の応用でしょうか? 不可能とは思いませんが……」
「魔獣を活性化させるための知識が必要不可欠でしょうね」
「あの男はあまり頭が良いとう感じはしませんでしたが」
「いいえ、ネル様は聡明な人間ですよ。少し子供っぽいだけです」
やっぱり、この二人はネルさんのことを知っているのだろう。
だから僕を連れて来てくれたんだと思う。
ほんとにネルさんって何者なんだろう?
「お二人はネルさんのこと知ってるんですか?」
少し休憩することになり、昼食の用意をしながら僕は二人に尋ねてみた。
「そのネルという人物が私の想像通りの人なら、私の魔術の師匠です」
「師匠……」
「えぇ、私が敬愛するただ一人の人間でもあります」
「好きってことですか?」
「……はぃ」
顔を真っ赤にしてヨスナさんは、蚊のような声で頷いた。
「けど、少し前に来たエルフの方と親密そうでしたよ?」
「それは……まぁあの方が決めることですから構いませんよ。ですがあの方の評価基準は分かってます。その基準を最も満たす存在が私であれば、あの人の心は自然と私に向く。なので、何も、問題は、ありません」
そう言ったヨスナさんの顔は能面みたいだった。
凄く怖い。
アルさんが僕を見ながら首を横に振っている。
この話題はもうやめておこう。
「食事ができました」
「リョウマくんの料理はいつも美味しいので助かります」
「オレたちの料理は焼くだけですもんね」
「正直食べられればなんでもいいと思っていましたが、毎日このレベルの料理が出てくると心変わりしてしまいそうです」
「こんな特殊食材ばかりの森でまともな料理を作れるだけでも凄いのに、それが全て美味いなんてリョウマくんは才能がある」
「いえいえ、僕にはこれくらいのことしかできませんから」
食事を終えたヨスナさんが、食器を重ねて僕に渡してくれた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「あの一つお願いがあるんですけど……」
恥ずかしそうにしながらヨスナさんは、僕を見つめる。
最上位の冒険者という事前知識があるからか、恋する乙女のようなその表情にはどこかサイコキラー然とした恐怖を感じてしまう。
「なんですか?」
「料理……教えてくれませんか?」
あぁ、これは違うな。
僕が勝手に勘違いしてただけだ。
最上級の冒険者だとか、高位の魔獣を易々と殺す力を持っているとか……そんなのは関係ない。
「えっと、どうして料理を習いたいんですか?」
「それは……その、喜んで欲しい人がいるからです」
この人は僕が思っていたよりもずっと普通の人だ。
「分かりました。勿論いいですよ」
「良かったですねヨスナ様」
「はい!」
この森は迷いやすい。
強大な魔獣が日夜争ってるから地形が直ぐに変わる。
ネルさんの家の付近はエルドさんを含めたネルさんが使役する魔獣が守っているけど、それ以外の地形は憶えるのが不可能に近い。
僕らは三日ほどの期間をかけて森林を探索した。
その時間でヨスナさんの料理の腕は少しだけ上達した。
元々できないというわけじゃなく、更に上達しないって感じだったらしい。
その間に二人は三百体近い魔獣を討伐していた。
だけど三日間の探索のかいもなく、僕らの目的とする人物はそっちから目立つ場所へ現れた。
――キィィィィィィ!!!!!
蝙蝠に近い形状をした魔獣の群れ。
それが森の一ヵ所へ集まり、不快な絶叫を上げている。
その場所の空には一際巨大な
「見つけた」
小さくヨスナさんがそう呟いた。
無論それは魔獣へ向けた言葉じゃない。
今この瞬間、その一際巨大な魔獣と空中で対峙する『ネルさん』へ彼女は獰猛な視線を向けていた。
「アル、私は行ってきます」
「了解しました。ここに居る魔獣は任せてください」
「リョウマくんも付いてきてくれますか?」
最上位の冒険者ともなれば空を飛ぶ術式だって使えるんだろうなぁ。凄いなぁ。
なんて思いながら、僕は頷く。
「分かりました」
だけど、次の瞬間には僕は自分が放った言葉に後悔することになった。
「
それは暴力の具現だった。
黒い鱗に覆われたその姿は『絶対』を体現したかのような神々しさを持っていた。
彼女の身体が膨れ上がり、変化の次第は人の原型を全く残さない。
龍。いや、それは普通の龍よりずっと巨大で強大な――【黒龍】だった。
――本当は人間ではなく龍が姿を変えているだけだとか。
そんなことを冒険者ギルドの受付をしていたヒオリさんが言っていた。
だけどまさか、本当にこんな姿になるなんて予想できるわけ……
『では』
龍に変化した影響か、重く低くなったその声でヨスナさんは呟いた。
僕の首根っこが黒龍に咥えられた。
そのまま器用に僕の身体は上へ放られ、龍の背中へと着地する。
龍の翼がはためくと同時に大気が揺れた。
ビリビリとした風を放出しながら、巨大な龍の身体が浮かび上がっていく。
目標は巨大な蝙蝠の魔獣と戦うネルさんのところ。
目測でも数キロはありそうだけど、僕は今龍の背に乗っている。
数分ってところだろうか。
だけどその数分の間にネルさんと魔獣の戦いは終幕を迎える。
巨大な赤い弾丸で山に巨大なクレーターが出来上がり、周囲の蝙蝠魔獣の血を吸って人型へと変態を遂げ、それでも尚ネルさんの剣はその魔獣を圧倒した。
戦いの終わったその場所に、僕とヨスナさんは到着した。
一週間ぶりくらいだろうか。
そんなものなのに結構な時間が経ったような気がする。
けどあの人は普段と全く変わらない。
童心のような笑みと、少しの怒りを感じさせる表情でそこに居た。
「ネルさん!」
「リョウマ?」
「今世では初めましてですね、貴方様?」
父との軋轢は解消した。
ようやく僕は何も気にすることなくここに居られる。
◆
目の前に現れた黒い龍は少しばかり低音なものの聞いたことのある声で俺に喋りかけてきた。
間違うはずもない。
こいつは俺の龍生で共に生きたヨスナだ。
笑みが込み上げる。
ヨスナは前世で会った時よりも更に魔力が増し、龍化状態のサイズも増していた。
「リョウマ、お前はこれからもここに居るんだな?」
「はい。もう何も気にすることなく料理だけに打ち込めます」
「そうか、俺もその方が助かるよ。で、ヨスナ……」
「はい」
「お前ちょっと太ったか?」
「煽って私の実力を見ようとしていますね? その手には乗りませんよ?」
「デブ」
「ッチ」
黒龍のかぎ爪が振り上げられる。
それは大気を裂きながら、俺の頭上より振ってくる。
「魔剣召喚【龍太刀】!」
敵は龍。
籠る魔力は極上。
鋭利な爪は巨腕の質量を持って圧し潰し、引き裂く。
気合と魔力の全てを込めて、その爪撃を迎撃する。
衝突によって発生した圧倒的な魔力と暴風を浴びながら、俺の目はヨスナの獰猛な瞳へ向く。
「流石、私の師匠です」
空へ立つ術式による踏ん張り。
そして龍太刀の圧倒的な魔力量。
俺の一撃はヨスナの一撃と拮抗していた。
「知ってっか? 争いは同しレベルの相手としか起こらないらしいぜ?」
「だからなんですか?」
「俺はもう、お前の師匠なんて高尚なモンじゃねぇ」
教える時期はもう終わった。
リアもリンカもヨスナも、もう俺と同じかそれ以上に強い。
これから俺は収穫を開始する。
「俺とお前は対等だ。掛かって来いよ?」
「そうですか、貴方は相変わらずいい男ですね。第二段階――黒龍装【神薙】」
龍の身体が縮小していく。
人へ変わる。
黒い髪と瞳、そして纏った巫女服は真っ黒に染まっている。
「龍装【
右手に刀を、そして左手にリョウマを抱え……
「では少しだけ」
「え、ちょっ、まっ――」
リョウマを真上に放り投げた。
「彼が戻ってくるまで、遊んでください」
ヨスナの踵に黒い魔力が宿る。
俺と同じ空へ立つ術式……だが原理は違う。
闇属性の引力を利用して空気の密度を上げている。
風属性の俺の術式に比べて得意属性で効果を補完している分、魔力効率がいい。
引力を纏った刀が、右方向から横に一閃される。
龍太刀で受けたら剣が獲られる。
再召喚すれば引力は解除できるが、隙ができる。
一歩後ろへ下がって回避行動を取る。
「形状変化――」
俺の胸の前で心臓を向いた黒い刀が、その形状を――
「黒龍装【
槍へと変える。
右手を緩め、強く握られた左腕が一気に前へ。
俺の心臓を貫かんと、黒い槍が迫る。
あの槍はヤバい。
掠り傷でも負えば致命傷になる。
かと言って剣で受けても剣が折れる。
空立――解除。
俺の身体が落下する。
上体を逸らし、ギリギリで槍の突きを避けた。
すぐに空立を再発動し、魔剣【龍太刀】で切り上げる。
下から放った斬撃はヨスナの白い太ももへ吸い込まれていく。
「
体をくねらせ、黒い魔力を宿した足裏が俺の剣を受け止めた。
槍の刃先が下を向く。
一気に突き落とされたそれは、寸分の狂いもなく俺の眉間を狙っていた。
食らえば即死。
だが、あの槍に込められた割断効果は刃先のみ。
「パンツ、見えてるぞ」
「なっ!?」
一瞬、刃先の動きが遅くなる。
槍の管を掴み、刃を避ける。
そのまま槍事ヨスナを引き寄せた。
「嘘だ」
「私の衣服は
俺の懐の中にやってきたヨスナの顔が、鼻先まで近づく。
「見たいんですか?」
「あーまぁ……」
と言いかけたところで真上からリョウマが降ってくる。
その首根っこを掴むと、
「ぎょ!」
と声を上げた。
あれ、これちょっと首キマってね?
「僕の扱い酷すぎるよぉ……」
「いやいや、投げたのこいつ。俺じゃない」
「私がキャッチしていたらもっと優しくしたのでネル様の責任です」
「そうだ、前に会った時も言おうかと思ってたんだけどその『様』ってのやめろよ」
「ですが……」
「言っただろ、俺とお前は対等だって」
「……分かりました。ネル」
上品な微笑みを浮かべて、ヨスナは俺を呼び捨てにする。
この方がいい。
この方が楽しく戦える。
「あの、もう僕のこと忘れてませんか?」
「あ、悪い悪い」
「ごめんなさい、リョウマくん」
「それより飯にしようぜ。最近マズ飯しか食ってねぇからお前が恋しかったんだよ」
「……ネルさんって前々から思ってましたけどなんか都合いいですよね? まぁ、分かりました」
こいつちょっと生意気になった?
いや、どっちかって言うとなんかスッキリしたような顔してる。
都に戻って何か問題が解消されたってところだろうか。
「何か食べたいものありますか?」
「え? 今はそりゃ……ドラゴン?」
ヨスナを見ながら俺がそう言うと、ヨスナは少し頬を赤らめて自分の身体を抱き締めていた。