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第15話 大当たりで、小日向屋もほくほく

「これはこれは。小日向屋さんで」


 豊吉は、掌を返したように、品の無さ丸出しの、媚びるような愛想笑いを浮かべた。

 魂胆は明らかだった。


「お腹立ちは、ごもっとも。今日の興行が終わったら、これで太夫さんたちと一緒に、一杯やってくださいよ」


 小日向屋は、巾着からいくばくかの一朱銀を、分厚い手で鷹揚に掴み出した。


 帯から落ちぬよう、巾着につけられた〝根付〟は、花鳥の細かい透かし彫り細工が施された〝柳左根付〟である。


 今日も、小日向屋に従いて来た、店の若衆が、すかさず懐紙に包んで、豊吉に、うやうやしく手渡す。


「いや。いや。そんなつもりじゃあ、ござんせんがね。いやはや……」


 豊吉は、もごもご言い訳しながら、そそくさと蛇遣い小屋に戻って行った。


「ふん。どうせ、豊吉の爺ぃは、貰った銭を、小屋の女太夫どもにも分けてやりもせず、独り占めするんだろうよ」


 喜三郎は、豊吉の猫背な後ろ姿を目で追いながら、地面を蹴った。


「かかかかか。ねえ。喜三郎さん。全く、笑いが止まらないとは、このことですなあ」


 ふと気付くと、小日向屋の下駄のような顔が、〝口吸い〟できそうなほど間近にあって、喜三郎は、思わず一歩、後ずさりした。


 小日向屋は、ほくほくの恵比寿顔である。


 興行の入りが良いので、金主である小日向屋の懐に、どんどん金が飛び込んで来る。


 女婿である小日向屋の花魁遊びに良い顔をしないお内儀にも、大きな顔ができるというものだろう。


「この興行の成功は、わたしの黛〝観音〟の〝御利益〟が、九分ですな。喜三郎さん。わたしとしちゃあ、黛が両肌脱ぎで、胸も顕わなところが下世話で、ちと気に入りませんがねえ」


 非難がましい口ぶりだが、芒で切ったように細い目は、得意げな色をしている。


「あの肌の綺麗さを写したい一心で、ああいう具合に作ったってえわけで。とはいえ、黛花魁の、あの独特の白い肌の色を、十二分に出せたとは思っちゃいませんよ。そこのところは、きっちりと謝らせていただきますよ。相済みません」


 喜三郎は腰を折って、丁寧なお辞儀をした。


「ま、まあ、黛は、いわば観音様の化身だからね。人ならぬ身の尊さ、綺麗さをそのまま引き写すことは、人間技じゃあ無理なのは、わかってますよ」


 親馬鹿な小日向屋は、目の左右に引っ張り紐でもついていて、紐の先をいきなりぐいと引っ張ったように、大いに目尻を下げた。


 突然、小屋前のざわつきが一段と大きくなった。


「お。またか」


 たった今、またまた客止めとなったようである。

 口上の庄助の口調が、呼び込みから、客止めの詫びに替わった。

 客止めと知らされ、並んだ客たちが、口々に不満を唱え、どよめいている。


 次の興行への期待も膨らむ。


「わたしも、もっと金を注ぎ込んで、大坂で名高い、軽業の早竹虎吉一座のように、大がかりな小屋にすれば良かったですよ」


 興行前と打って変わり、小日向屋が、浮かれた顔で、調子に乗る。


「虎吉は、来年の正月にゃ、大坂を下って、いよいよ西両国広小路で、一大興行になるそうですよ」


「一年も先の興行の算段たあ、小日向屋さんも、えらく早耳ですな」


「辰五郎さんから、話が回って来たのですがね。なにせ、虎吉の軽業は〝大道具大仕掛〟が信条ですからな。歌舞伎の大道具、小道具にも負けちゃいない。古くは、嘉永二年の伊勢での興行の頃ですら、小屋だけで七十両も掛かったとか。入り用な資金の桁が、まるで違います。わたしが独りで金主を引き受けるには、ちと荷が重すぎるかと、思案中なんですよ」


 喜三郎の興行が大成功確実ないま、小日向屋の顔には、勘亭流の金文字で「大乗り気」と書かれている。


「小日向屋さんの欲の皮は、狸のなにやらと同じで、引っ張れば、いくらでも際限なく伸びそうですな」


 喜三郎の口も、つい軽くなる。


 小日向屋は、さして気の合う相手というわけではない。

 それでも一蓮托生、二度目の相方ともなれば、自然に、気も置けなくなる。


「おっと」

 喜三郎の立つ地面が揺れる。

 銀杏の枝が、奇妙にざわつく。


 大地震から四ヶ月近く経った。

 今なお小さな〝鯰〟は地下で跳ねているものの、いちいち騒ぐ気にもならない。


「木戸銭は三十二文ですが、中銭を十六文づつ二回、戴くので、しめて六十四文。まあ、高い木戸銭だけの値打ちはありますよ。その証拠に、連日、引きも切らぬ入りなんですからね」


 小日向屋は、得意げに鼻を鳴らした。

 ついでに、大きなくしゃみもする。


「爺ぃは、態と嫌がらみてえに、でかいくしゃみをしやがる。俺っちも、四十を過ぎたら気を、つけねえとな」


 喜三郎は、忌々しくなって、小声で呟いた。


 再び、大地が揺れる。

 散り残ったままだった、大銀杏の柑子色の葉が一枚、顔の前に舞った。


(俺も、若いつもりだったが、もう三十二歳だ)


 人形を作るためなら、何にでも果敢に挑戦した、二十歳頃の勢いは翳りを見せている。


 若い時分は、人形を作るのに夢中で、何日も眠らずとも、びくともしなかった。


 だが、無茶な躰の使い方は、年々、難しくなっている。


(若いと思ううちにも、老いはすぐ後ろにやってくる。人形作りを極めるのは、際限がない遠い道のりだ。いくら年月が必要かも皆目わからねえ)


 夢中で駆け抜けた二十代は、あっという間に過ぎ去った。

 迷い、悩み、工夫を重ねるうちに、三十代もすぐさま駆け抜けてしまいそうな雲行きである。


 黛のあの肌を再現できぬまま、四十、五十……。


 老いの下り坂は、案外、近いかもしれない。


(小日向屋の〝黄昏〟も、明日は我が身)


 喜三郎の心中の糸を、嫌な具合に震わせた。


「ねえ、喜三郎さん。三十年も昔の、文政の頃の一田籠細工も、駱駝の見世物も、木戸は三十二文だったわけじゃないですか。中銭でも取らなきゃ、この御時世、やってられませんよ」


 小日向屋は、喜三郎の気持ちなど、気付くよしもない。

 心地良げに、小屋の前の人混みを眺め、細い目がなくなるほど、目を細めている。


「初日が百両。その後も毎日、七十両は固いですからね」

 小日向屋の声は、気の毒なほど、あからさまに浮かれている。


「市村座の歌舞伎は大当たりでも、一日に五十両がせいぜいと言いますから、偉いもんですよ」


 日に七千人、一月で二千百両、二十一万人の入りである。

 それだけの人が自分の人形を喜んでくれていると思えば、喜三郎も気持ちが上向く。


「考えてみりゃあ。歌舞伎に行くなんて、滅相もない、小芝居やら寄席さえ行かない連中まで、うちの見世物にやってきてるってぇわけですからね。『近江のお兼』の物語だって、歌舞伎どころか、絵本や双紙でなく、生人形で初めて知ったって、子供もいるでしょうよ」


 喜三郎も、得意になる。

 他愛のない童のように、躍り上がりたくなった。


「じゃあ、また家業に戻るとしますか。今晩も、佐野槌屋で黛が、首を長くして待っていますからね。本業のお商売もしっかりとしなきゃあ、うちの山の神が、雷さまどころか、大地震の大鯰に変化しますからな」


 小日向屋は、掌をひらひらさせながら、若衆と丁稚とを従えて雑踏に消えた。

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