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第18話  新門の辰五郎親分登場

「おい! やめんか」

 一喝する、雷のような、野太い声が響いた。


 一瞬、場が止まる。凍り付く。

 野次馬が、潮の引くように、すっと道を空ける。


「新門の……」


 喜三郎をはじめ、居合わせた者が、こぞって息を呑む。


 江戸随一の遊侠(おとこだて)、新門の辰五郎の登場だった。


 あれほど暴れまくっていた権三も、顔色が蒼白になった。

 動きを止めた喜三郎の腕を払いのけ、大慌てで舞台から飛び下りる。


 脱兎さながら、群衆の隙間を縫うように逃げ去った。


「喜三郎の小屋で大喧嘩って聞いたんだが。相手はたったの一人けえ」

 辰五郎は、恰幅の良い腹辺りを、分厚い手で、二、三度、ぱんぱんと叩いた。


 新門辰五郎こと、町田辰五郎は、当年取って、五十六歳。


 浅草伝法院にある、いわゆる〝新門〟の際に住み、門番と防火の任を担っているため、新門辰五郎と呼ばれている。


 享保三年(一七一八)大岡忠相の発案で組織された、町火消し、いろは四十八組の〝を〟組の棟梁として、さらには〝と〟から〝を〟まで六組を纏めた、町火消十番組の頭取として、知らぬ者はいない。


 浅草、上野一帯に睨みを利かせ、自らも寄席を営み、見世物興行や露店を取り仕切っている顔役でもある。

 喜三郎たちも、上がりの一部を、辰五郎に納めていた。


「もっと派手な喧嘩かと期待して駆けつけたんだがな。はは。出番がなくて、実に残念。残念」


 喜三郎よりさらに長身の辰五郎が、茶目っ気たっぷりに笑顔を見せた。

 笑顔になった途端、妙に人なつっこい好々爺に豹変する。


 小日向屋のような、商人の小ずるさとは違う。

 笑顔の影に、底知れぬ裏の顔が隠れていそうで、余計に不気味でもある。


(子分も連れず、直々に飛び出して来なさるたあ、辰五郎親方らしいやな)

 喜三郎は苦笑した。


 江戸っ子でも、とくに鳶の者、つまり火消しは、血の気が多いのが売りである。

 喧嘩と聞けば、熱くなる。

 棟梁みずから、張り切って、駆けつけたのだろう。


 堂々とした貫禄を持ちながらの、身軽さ、親しみやすさが、三千ともいわれる子分を惹きつけるのかも知れない。


「親方。ありがとうございました」

 喜三郎は、紺と浅葱の三筋堅縞物の着物についた、埃を払い、辰五郎に向かって丁重に頭を垂れた。


「しかし、えらい目に遭ったな。喜三郎」


 辰五郎は、改めて、諍いの場の惨状を見渡した。


「今日は、徹夜で直しに入りますが……」

 喜三郎は、壊されたお兼人形の頭を拾い上げた。


 鼻の辺りの顔料が、無残に剥がれ、粋な美女が、吹き出すような不器量女になり果てている。

 新たな悔しさが喉元まで迫り上がってくる。


 庄助をはじめ、弟子の秋山平十郎、木戸番や口上たちが、地面に散乱した、破片などを拾い集め始めた。


「明日一日、興行を休めば、なんとかなるんじゃねえのかい」

 辰五郎は、喜三郎の肩を、ぽんぽんと叩いた。


 軽く叩かれただけだが、初老になっても辰五郎は力が強い。

 痩躯の喜三郎は、体が揺さぶられる心持ちがした。


 辰五郎は、鬢に白いものも見えず、年齢よりずっと若々しい。

 大柄な上、背筋をいつもしゃんと伸ばしているので、さらに大男に見える。


(貫禄が違うもんで、どうにも頭が上がらねえんだよな)


 辰五郎の、押しも押されもせぬ、まさに侠客といった風貌は、周りを威圧する。

 苦み走った顔の中でも、鋭い眼光が、一等、幅を利かせている。


 辰五郎の後ろには、倅の丑之助の、親譲りの利かん気そうな顔が見える。


 紅潮した頬が初々しい。

 大喧嘩と聞き、親子二人して、円に二つ引両の法被を着込み、手には鳶口をつかんで、押っ取り刀で駆けつけたらしい。


「丑之助さんも、わざわざご苦労様です」

 喜三郎は、にこやかに頭を下げた。


「いいってことよ」

 丑之助は、若さゆえの生意気な態度で、顎をしゃくり、横柄な会釈を返した。


「な、喜三郎はん」

 庄助が、喜三郎の後ろから、要らぬ口を叩く。


「丑之助はんも、もう立派な仕事師で、纏に次ぐ、梯子を運ぶ〝道具持ち〟やそうやけど。辰五郎親分と並ぶと、えらい見劣りしてまうのが、気の毒でんなあ。へへ」


 小声なので、聞こえる恐れはなかったが、喜三郎は、振り向き、顰め面で制した。


 当の丑之助は、興味津々なのだろう。壊れた人形や小道具、大道具を拾い上げ、あれこれ、いじり始めた。


「辰五郎さんが、養い親の仁右衛門さんから〝を〟組の〝頭〟を引き継いだのは、二十四のときだったらしいからな。丑之助さんだって、その年になりゃ、纏を持つ、いっぱしの仕事師になってなさるんじゃねえのか」


「いやいや。辰五郎親分は特別でっせ。倅やいうたかて、同じようにはいかんのと違いまっか。現に、丑之助はんは、空元気ばっかしで、度胸はまだまだ、ちゅう噂でっせ」


「なまじ有名な侠客の倅に生まれついただけに、親父と比べられて、てえへんだろうな」


 丑之助が、大人物たる器量を持ち合わせているとは見えない。


 身上を潰しはしないが、大きくすることもなく、そのままなんとか維持して、三代目に、無事、受け渡す、可もなく不可もない、二代目の見本のように思え、喜三郎は、丑之助に少しばかり同情していた。


「なあ、喜三郎さん。親父はいまだに血の気が多くていけねえや」 


 丑之助が、喜三郎に慣れなれしく声を掛けてきた。

 喜三郎たち興行師や香具師も、辰五郎の子分とでも思っているらしい。


「なにせ、親父は四十五にもなってよ。火事場で、久留米藩、有馬家お抱え火消と喧嘩たあ、恐れ入るよあな」


「大名火消の中でも、有馬火消といやあ、『凶険極まる虎威を振るって』町火消を圧迫していたと聞きますからねえ。辰親分としちゃ、堪忍袋の、丈夫な緒が何本あっても足らなかったてえわけでしょうな」

 喜三郎も調子を合わす。


 丑之助の利いた風な物腰を含め、憎からず思っていた。


「有馬火消と互角に遣り合えるってえのは、うちの十番組、特に〝を〟組くれえのもんだった」


 辰五郎が、『待っていた』とばかりに、話に首を突っ込んだ。


「そりゃ、こちとらの楽勝よ。〝を〟組は怪我人がたったの七人、敵は死者が六人も出て、五十九人が大怪我でえ」


 昔の武勇伝は、誰しも語りたいものだろう。

 人を惹きつける得意の弁舌が冴え渡る。


 相手方の怪我人の人数は、確たるものではなく、大袈裟に語っている節もあった。


「わしが頭である以上、わしが責任をおっ被るしかねえ。南町奉行所に、神妙に届け出たわけでえ」


 辰五郎は、ここで大きく息継ぎをした。


「お奉行さまだって、事情は先刻、ご承知だい。命を捨てる覚悟だった、わしにとっちゃ、全くの肩すかしのお裁きでよ。江戸十里四方所払いってえわけだ」


 喜三郎らが相槌を打つ間もなく、辰五郎の長広舌は続く。


「けど、そこで大人しく引っ込んでるわしじゃねえ。わかるだろがよ。子分どもの差配もある。可愛い女房や、囲った女たちのご機嫌伺いもあらあ。たびたび舞い戻るというより、浅草近辺に入り浸りでえ。とうとう、ばれちまってのお咎めで、結局、石川島の人足寄場に送られちまったんだがよ」


「そこからがまた、親父の独断場でえ」

 丑之助が、絶妙の間の手を入れる。


「わしが、寄せ場送りになった、翌、弘化三年(一八四六)。忘れもしねえ、正月の十五日だ。ひでえ北風が、砂塵を巻き上げる夕刻だったが……」



 小石川片町の北、武家地から失火し、瞬く間に猛火は、丸山に燃え移った。


 翌十六日、炭町の竹河岸で鎮火するまで。およそ一里十余町、町数にして二百九十町を焼き尽くす大火事が起きた。


 石川島とも呼ばれる佃島も、類焼の恐れが出た。

 流人は、三日間のお解き放ちになったが、辰五郎は、日頃から名主として傘下に置いていた流人たちを率い、懸命に消火に努めた。


「お上の大事な蔵があったんでっしゃろ」

 庄助も、ちゃっかり話に加わる。


「お。大坂者でも、知っているのか。わしは、貯油された大蔵に、火が入らねえよう、人足どもを使って、目塗りをさせたんでえ」


「新門の辰親分のお噂は、大坂まで鳴り響いてまっさかいな。わいかて、餓鬼の頃、おっかあの寝物語に聞かされてまっせぇ」 


 弘化の頃、庄助はもう十八を過ぎている。

 幼い子供などでは決してない。


 辻褄の合わぬ、いい加減な話だったが、喜三郎以外、気付かない。


「そうかい。そうかい」

 辰五郎と丑之助が、同時に大きく頷いた。


「なんといっても、あの遠山さまのお陰でえ」

 辰五郎は、目を細め、誇らしげに言い放った。


「佃の火事場での、わしの働きを、あの南町奉行、遠山左衛門尉さまが、ことのほかお喜びになったお陰で、御赦免になったんでえ」


 いつの間にか、喜三郎と辰五郎の周りに、人垣ができていた。


 ひときわ声が大きくなったのは、周囲にも聞かせたいかららしかった。


「な、喜三郎はん。ほんまは、お偉い、南町奉行所の遠山さまのお計らいやら、下っ端の寄場奉行はんのお口添えのおかげやら、はっきりせんくせに」


 庄助が、小さくぼそりと呟いた。



 人足寄場は、火付盗賊改で名を馳せた、長谷川平蔵宣以の尽力で開かれた。

 寛政四年から寄場奉行の支配となり、南北町奉行所の寄場掛同心が勤務している。


 南町奉行は三千石の旗本、かたや寄場奉行は、若年寄支配の、たったの二百俵二十人扶持と、吹けば飛ぶような役職で、天と地の開きがある。


(ま、辰五郎さんが、無類の喧嘩好きってことだけは、確かな話だな。歌舞伎の『神明恵和合取組』で有名な〝め〟組の喧嘩は、文化二年(一八〇五)のこったから、め組の辰五郎と、目の前にいなさる辰五郎さんとは、組の名も違うし、むろん別人なんだが、喧嘩好きにゃ変わりはねえな)


 喜三郎は、いつまでも老成しない辰五郎のやんちゃぶりを好もしく思っている。


「おかげで、遠山さまから、三千人の子分を束ねて、江戸市中の警固をおおせつかる光栄に預かったってえこった」


 辰五郎は、豪快に笑いとばした。

 だが……。


「ただ、残念なのは……」

 辰五郎は、大袈裟に表情を曇らせ、大きな溜め息をついた。


 芝居がかっている。

 こういう緩急が、大勢の荒くれ者たちの心を上手く取り纏めるのだ。


「皆も知っての通り、遠山さまは、去年の二月二十九日にお亡くなりになった。まだ六十一だったってえのによ。わしも葬儀に参列したんだが……。まったくもって惜しい人を亡くしたもんでえ」


「遠山左衛門尉さまと言やあ……」

 喜三郎も話を合わした。


「天保改革では、老中の水野忠邦さまにお力添えなさったおかたと聞いておりますが、それよりなにより、江戸歌舞伎三座の大恩人ですな。芝居小屋が、お取り潰しになりそうなところを、『一つ所へ纏めては』と、水野さまに進言された。見世物小屋とは直接、関係ねえ話ですが、この辺りの賑わいも、遠山さまのお陰といえますな」


 気持ち良く語る辰五郎の臍を曲げさせると、ろくなことがない。

 せいぜい、持ち上げるに限る。


「そうそう」

 辰五郎が、またも自慢話を持ち出すらしく、細い目を、子供のように輝かせた。


「わしは、一橋慶喜さまとも昵懇の間柄なんだぜ。あの殿さまは、お偉いお方に似合わず、ざっくばらんでな。新しいもの好きの写真術ちゅうものから、殿様らしい狩に謡曲、果ては、投網、囲碁なんぞ、貴賤を問わず、何にでも興味のある、不思議なお方でえ」


「知り合いはったきっかけは、辰親分がやったはる、稲荷町の寄席で、一橋家の御家中が起こさはった騒ぎやそうでんな。親分の度胸に、慶喜さまがえらい感激しはったて噂ですで」

 庄助が上手い具合に、間の手を挟む。


(噂はあくまで噂で、尾鰭がついてるんじゃんえか。本当に昵懇てーのも、眉唾もんだ。会っただけ、いや見ただけってえ落ちじゃねえのか)


 喜三郎は、心の内で、茶々を入れた。


『長いものには巻かれろ』「寄らば大樹の陰』は、俗物の悲しさだろう。


「とにかくだ。御府内で、うちの親父に適う〝漢〟はいねえやな」

 丑之助が、したり顔で、自慢げに締めくくった。


 丑之助の生みの母は、辰五郎の養父、仁右衛門の実の娘、おきんであるが、病のため、早くに亡くなっている。


 後妻に入った、おぬいは、芸者上がりの鉄火肌で、子育てに向かない女だった。


 おぬいに丑之助を育てる気はなく、辰五郎の妾だった秋葉屋のお六という女に育てられたと聞いている。


 辰五郎には、他にも、お芳という娘がいる。


 辰五郎は、目の中に入れても痛くない、可愛がりようだが、お芳が、いったい、どの女の腹なのか、喜三郎も知らなかった。


 妻と、数知れぬ妾が入り交じる、複雑な生い立ちの丑之助だったが、辰五郎とは上手くいっている様子である。


「辰五郎親方には、お世話になりっぱなしで……」


 話題が一段落したところで、喜三郎は、あらためて礼をいうことにした。


 親分肌の人間は、感謝に弱い。


 思ってもいないお世辞は見抜かれそうだが、感恩の気持ちを表す機会は多いほどいい。


「金主の小日向屋さんに引き合わせていただいたからこそ、今の私があるわけですから」


「いやいや。興行の手助けも生業の一つなんだから、どうってこたあねえ」


 辰五郎も、喜三郎を憎からず思ってくれているようである。


「しかし……。二年前の、秋にゃ、失礼しやした」



 安政元年、大坂での興行で成功を収めた喜三郎は、自信満々だった。


 興行終了後すぐ、何の伝手もなかった辰五郎に、『私の人形を御覧になってください』とばかりに、異国人物四体と、長崎丸山遊女二体の生人形を、送りつけた。


「いきなり大きな荷物を送りつけられたときゃあ、驚いたもんだ」

 辰五郎は鷹揚に頷いた。


「いやいや。親父は、驚くっていうより、怒って、荷ほどきもさせずに、蔵に放り込ませたんだよな」

 丑之助が、またまた要らぬ口を叩く。


「いやあ。すまん。そうだったっけな。しばらく経ってから、ふと気が向いて、開けさせてみて、精巧さに驚いたのなんの。すぐさま、わしが世話を引き受けたってえことだったんだ」


 辰五郎は、月代を撫でながら、豪快に笑いとばした。


 新門の辰親分ほどの大物ともなれば、笑い飛ばせば、大概の不都合は誤魔化せるらしい。


 誤魔化せなければ、力ずくでなかったことにするのだから、なおさら簡単だろう。


「道理で、お返事が遅いと思いましたよ。今となっては、笑い話ですが」


 興行するには、地場の〝地方〟と、興行収入の取り分を決めてから、小屋掛けを行う。

 辰五郎に渡りをつけずに興行は、金輪際できなかった。

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