「ところで、お蔦。小屋を放っぽり出していて、大丈夫かい」
辰五郎が急に目尻を下げ、恵比寿顔になった。
「あ。親分さん。うちの小屋なんて、大丈夫もなにも、ありゃしませんよ。てんで客なんて来やしませんよ」
喜三郎の体の影に、何故か隠れるように立っていたお蔦が、面倒臭げに応じた。
「あの男は、確か、去年、お蔦の小屋で迷惑をかけた中間だったな。わしが出張った途端、今日みてえに、尻に帆かけて、一目散だったが」
辰五郎の口調は、妙に恩着せがましく聞こえた。
「その節は、親方にはすっかりお世話になっちまって……」
お蔦は改めて、他人行儀なお辞儀をした。
腰の動きがしなやかで、大きめな尻が卑猥に振れ、辰五郎の目が、お蔦の腰の辺りに移る。
「あのあと、あたいにゃ、近づきもしないので、安心してますよ。みんな、辰五郎親分のおかげで、有難いことですよ」
お蔦は、もう一度、丁重に腰を折った。
動きのぎこちなさが、不自然に感じられた。
すねた素振りにも見える。
「いやいや。お蔦のために、わしの名前が役に立つなら、お安いこった」
辰五郎は『英雄、色を好む』を地で行く、無類の女好きである。
若い頃から、眉目清秀で通っていたが、今では貫禄が加えられ、なにより金が従いて回ると来た。
気に入った女は、すべて、ものにするといったところだろうか。
「なあ、喜三郎。お蔦の人形を作っちゃどうだい」
辰五郎は、お蔦の裸体を想像するかのように、視線でお蔦の輪郭を辿った。
「ええっ。親方。馬鹿ぁ言わないでおくんなさいよ」
お蔦の強張った顔が、一転。
おぼこ娘のように、目を輝かせた。
「あたいなんか、無理に決まってますよお」
お蔦も大乗り気。
蓮っ葉な素振りで、大袈裟に照れてみせた。
「な、喜三郎はん」
庄助が、喜三郎の脇腹を小突き、
「人形に作るいうたって、別嬪の人形とは限らしまへんもんなあ。へへ。婆ァの人形もおるし、意地悪い大年増も、幽霊やら、物の怪の人形かておますがな。なあ」
小声で言った。
「な、喜三郎。お蔦がすぐ近くにいるってえのに、人形にしねえのは、どうしてなんだ。お蔦みてえな色っぽい女は、そうそういねえよ」
辰五郎は、下心が見え見えで、随分とお蔦に肩入れする。
「いやですよお。親方。あたいなんか……」
お蔦が体をくねらせ、袖で顔を覆った。
辰五郎もお蔦も、お蔦が、美形の役柄に振り当てられると信じている。
(こりゃ、無下に断るってえのも拙いな)
黛を生人形に写し取ったときの、表現しがたい、心のざわめきや、餓えはない。
人形の素材として、別段、お蔦に食指は動かなかった。
だが、喜三郎は、ふと名案を思いついた。
「そうですな。じゃあ、次の出し物には、お蔦さんを使わせてもらいましょうかね」
「そうしねえ。それがいい。招き人形に仕立てるってえのは、どうだ」
辰五郎は、満足げに頷いた。
このままいくと『弁天さまと六福神で、七福神の場面を作れ』などと、指図されそうな勢いである。
「それなら、いっそ……ですな」
喜三郎は、勿体をつけた。
「いっそ、なんだい」
お蔦が目を輝かせ、一歩ささっと前に出る。
庄助も、釣られて首を突き出す。
「俺としちゃあ、生人形が、まさに人そっくりなところを、お客にとくと見ていただきたいんです。ですから、生人形と、本人を並べて、『どちらが人形か』って、当ててもらう趣向はどうかな、と考えてみたんですが」
「おお。それはいい」
辰五郎は、ぽんと、膝ならぬ、腹を打った。
「なあ、お蔦」
お蔦に向き直る。
「おめえだって、いつまでも若えわけじゃねえ。こんな因果な商売をやめる潮時だと思わねえか。喜三郎の〝招き人形〟になって、興行に加えてもらやいい。で、華やかに着飾って、引退の花道を飾るって寸法だ。衣装ものなら、わしが買ってやる」
辰五郎は一つ、わざとらしく、咳払いをした。
「で、だな……。喜三郎の興行が終わったら、江戸に腰を落ち着けてみたらどうだ」
結局、辰五郎の囲い者になれという結論らしかった。
「おおっぴらに女を口説かはるところなんざ、さすが辰五郎親分らしいでんな」
庄助が冷やかす。
だが、あいにく、冷やかしが裏目に出た。
お蔦は、たちまち眉根を、きゅうっと寄せた。
「あいにく、蛇遣い稼業に未練があるもんで。江戸でやってけないなら、何処へでも流れて行くだけでさあね」
お蔦は、ほつれ毛を撫でつけながら、きっぱり言い切った。
(ついさっきまで、人形の話で、いやに意気投合していたってえのに、掌を返したような言い草じゃねえか)
喜三郎は、吹き出しそうになったが、ぐっと堪えた。
「蛇遣いを辞めなくたって、あたいが、二つの小屋を、交互に掛け持ちすりゃいいんじゃござんせんかねえ。〝人形になった女蛇遣い〟ってことで、うちの小屋も、ちっとは客が増えるかも知れませんやね」
お蔦は、あくまで、蛇遣い稼業を続けたいらしい。
「まあ、無理にとは言わねえ。気が向いたらでいい。もし、そのう……どうしても太夫を続けたいってえのなら、わしの寄席で〝女義太夫〟ってえのは、どうだ? なあに。心配は要らねえ。お蔦の勘の良さなら、大丈夫でえ。習えばすぐできるもんだ。な。考えてみな」
辰五郎は、お蔦の肩を優しく叩くと、肩を揺すりながら立ち去った。
「お蔦。よっく考えるんだな。親父の気持ちも汲んでやんな」
丑之助が念押ししながら、辰五郎に続いて、雑踏に消えた。
お蔦は「ふん」と、草履で足下の小石を蹴飛ばした。
「お蔦はん。悪い話やないやんけ 一生安泰になるで」
庄助までが、妾奉公を勧め始めた。
「親分は一度、縁を結べば、飽きて捨てるような人やあらへんで。親分自慢の〝文身〟かて、間近でとくと拝めるで。白い肌に、色鮮やかな龍の彫り物は、そら、よう映えて見事やろなあ。わいが見たいくらいや」
庄助の言い草に、お蔦は、口をへの字に曲げた。唇がわななく。
「へん。女なら誰でも靡くと思ったら、大間違いさ。一昨日にでも来やがれってんだ」
お蔦は、辰五郎の立ち去った方角に向かって、悪態をついた。
「何の恩義も感じちゃいないさ。小屋の上がりの中から、付け届けしているんだ。守ってくれて当然じゃないか。なにが、いま流行りの〝鯔背〟だい。そもそも〝一円二画〟の紋印を、法被だけじゃなくって、家具やら器やらにまで表識(しるし)てるような奴なんて、願い下げさね」
「おい。おい。お蔦さん。そりゃ、言い過ぎじゃねえか。誰かが聞いていて、親方に〝ご注進〟しねえとも限らねえよ」
喜三郎は、慌てて窘めた。
(こういう侠な女が、好みってえわけかも知れねえが)と、妙に納得しながらだったが。