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第22話 納得のいく、黛人形を作ることも…

「情けねえこってえ」


 喜三郎の小屋は、昨日から片付けの作業に入っている。


 小屋を十重二十重に取り囲んでいた長蛇の客の列が、すっきりとなくなったお陰で、裏隣の蛇遣い小屋は、目立つようになり、たちまち客足が戻った。


 戻ったとはいえ、たいした入りではないが。



 葛篭を裏木戸から運び出していた秋山平十郎が、大声で「爺ィ。覗くな」と叫んでいる。


 蛇遣い小屋の豊吉は、喜三郎の小屋の様子が、よほど気になるのだろう。

「いい気味だ」と言わんばかりの、小馬鹿にした顔で、たびたび覗きに来る。


 その都度、小屋の誰かに追い返される繰り返しだった。


「五日のうちに、綺麗さっぱり、っちゅうのは、ぎりぎりの日にちでんな」


 庄助も、落胆の色を隠しようがないが、明るく振る舞ってくれている。


「準備のための小屋掛けには、五、六日は掛かるが、片付けと荷造りは、四、五日と、多少は短くて済む。小屋は、簡素な仮作りだし、片付けが済めば、取り壊しは造作ない。五日のうちには、なんとか綺麗さっぱり片付くだろうよ」


 喜三郎も、軽い口調で応じる。


「けど、敵いまへんなあ。この先の興行の目途も、まだ立ってまへんのやろ」


「目途が立たなきゃ、大荷物の送り先も、決められねえからな」


 喜三郎は、ことのほか注意深く、黛人形の頭を取り外した。


 庄助が受け取り、駄布で丁寧にくるみ、木箱に収める。


「当面のところは、辰五郎親方に頼んで、保管してもらうしか手がないが……」


 人形以外にも、大道具、小道具がある。


 大道具は文字通り嵩張るし、小道具は、大量な上、形が雑多なので、意外に嵩を取る。


「場所を取りまっさかいな。長いこと、預けるのは、いくら辰五郎親分が、豪儀なおかたでも、難しおまっしゃろなあ」


 庄助は、柄に似合わぬ、しみじみした口調で答える。


「すぐに次の興行先が決まらなきゃ、〝端役〟の人形やら、大道具、小道具は、処分しちまわないとな」


 最悪の場合、主要な人形だけ、大坂に送り返し、四ツ橋にある家に引っ込み、次の興行先が決まるまで、時機を待つしかない。


「こんなことになるとは、思ってもみまへんでしたなあ」


 片付けが終われば、庄助たち口上とも、すぐさまお別れである。


 庄助の大坂訛りも、湿りがちになる。


「庄助。世話になったな。またの機会が来りゃあいいが」


 興行ができなければ、庄助との縁も、ぷつりと切れる。


「なに言うてはりまんねんな。江戸があかんかっても、また難波新地で、大きい興行やらはったら、よろしおますがな」


 庄助は、貧弱な胸板を叩いた。


 だが、次の言葉がじり貧で、余分だった。


「大坂でのうても、興行の盛んな土地は、仰山、ありま。堺、京都に、お伊勢さんもあるし、吉野山やら、宮島、徳島もありまんがなー。興行先は、なんぼでも、すぐ見つかりますでー」


 庄助の慰めの言葉が、喜三郎をなおさら惨めにした。


「ほとぼりが冷めるまで、しばらく全国津々浦々を回って、また江戸に、捲土重来を期すか」


 喜三郎も、笑ってみせた。

 だが、笑顔には見えなかったかも知れない。


(お上に、差し止めになったとあれば、何処の地場の〝請元〟に渡りをつけるのも、難しいかもな)


 黛の人形の、白い腕を外しながら、気持ちが、どんどん落ち込んでいく。


(このまま、生人形の興行ができなくなれば……)


 最悪の予想が、胸を締め付ける。


 疲労が、津波のように一時に押し寄せてくる。


 実地検分が入って以来、まともに眠っていない。


 悲観と楽観が交互に、鈍った頭を混ぜ返す。


(納得のいく、黛人形を作ることも、金輪際できなくなっちまうのか)


 人生の目標が、がらがらと音を立てて崩れ落ちる。


 弱気の虫が、卵から孵り、腹でもぞもぞ蠢く。



 ひょいと、大坂に戻っている女房、お秀の老けた顔が、頭をよぎった。


(お秀なら……)


 尾羽うち枯らして、大坂に戻ったとしても、興行の失敗を詰るどころか、あれこれ事情を聞きただすこともなく、「そうかいな」と、自然に受け入れてくれそうだった。


 むしろ、喜三郎が平凡な職人に戻るほうが、お秀にとって嬉しいことなのかも知れない。


(八年前の振り出しに戻るだけじゃねえか。簡単なこった)


 腹を括れば、何も怖くない。


 開き直れば、急に気持ちが上向く。


(お秀とやり直そう)



 八年前に上方に出た喜三郎は、大坂で細々と細工物作りの稼業をこなしながら、人形を少しづつ作り貯めた。


 支えてくれたのが、お秀だった。

 人形作りに金を注ぎ込み過ぎて、食うにも困る日々だった。七歳年上のお秀は、隣家にあって、弟か息子のように、世話を焼いてくれた。


 ついでに、性の処理まで世話をしてもらった。成り行きで、夫婦になった。


 どっしりと、大地に根を張ったような、お秀の笑顔が、急に懐かしくなった。


「考えていても、どうにもならねえ。なるようになる」


 喜三郎は、黛人形の、胴の部分の解体をし始めた。


 黛の人形の場合、胸が見える作りである。


 外から見える胸まで、しっかり作り込んである。


 だが、衣装で隠れる下半身は、他の人形と同様、提灯胴の張りぼてだった。

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