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第8話

「いえね、大したことじゃないんですよ。あの事件の直後、付近に不審な人物はいなかったかと思いましてね。ようく、思い出していただきたいんですよ」

「と言いますと」

 単にそれだけのことではないような気がした。俺以外にも、あのとき、周囲を囲んでいた目撃者は大勢いた。彼らからも、事情を聴いているに違いないのだ。

「何でもいいんですよ。気になったことがあったら」

「俺はともかく高田さんを介抱するのに必死でしたよ。医学の心得なんてないから、周りに怒鳴ったんです。医者や看護師はいませんか、と」

「そういう人は現れたんですか」

「いいえ、残念ながらいませんでしたね。誰も名乗り出なかった」

 俺は思い出していた。そこにいる多くの通りすがりの人間が、立ち去ることもできず、かといって何かできるわけでもなく、あの最初に声をかけてきた丸顔のOLをはじめ何人かは手を貸してくれたものの、どうしていいのか分からず、ただひたすらに救急車が早く来てくれることを希った。多くの人間は、スマホを取りだして、何やら知人や家族に連絡を取っているようだった。写真や動画を撮っている者もいた。一種奇妙な光景。

「共犯者は、下にいたんだと思うんですよ」

 馬場は言った。

「狙撃は離れたところからなされています。プロの腕前だ。でも、同時に高田社長の近くで成り行きを観察していた人間もいたと考えるのが妥当でしょう」

「共犯者」

「そうです」

「どこから犯人は撃ったんですか?」

「いや、それはまだ分かっていません」

 嘘だと思った。本当はそのくらいはすでにつかんでいるに違いない。ただし、犯人自体にはまだ見当がついていないのだ。俺などにこんなことを訊いてくるくらいだから。

 いや、とふと俺の頭をかすめた考えが口をついた。

「まさか、俺がその経過を見届ける係だったとかと考えてるんじゃないでしょうね」

 馬場は笑った。

「いや、あなたはずいぶんと疑り深い方ですな」

 その笑いが演技かどうか観察する。

「さすがに、それはリスクが大きすぎるでしょう。あなたの標的からの距離は近すぎた。しかも、かすり傷を負っている」

 常識的に考えればそうだ。けれど、馬場はなお含んだものを持っているような気がしてならない。

「で、どうなんですか。少しでも、気になった人物は周囲にいましたか。妙な動きをした車両などでもけっこうです」

 そんなことが、とりわけあの状況で分かるわけがないではないか。あの駅前の広場は、広い道路に面している。人の動きは激しいし、車両の通行も多い。ごちゃごちゃとした街並みだ。しかも、喫煙所、奥まった宝くじ売り場、大ガード下。夕暗がり。どこへだって身を潜められる。

「そういう人物がいたのなら、遠くから双眼鏡かなんかで見てたのかもしれない」

「そうかもしれない、でも、そうでないかもしれない。それをいちいち調べていくのが我々の仕事でして」

「思い当たりませんね」

 実際、そうだった。

「では」

 馬場は少しだけ口調を変えて言った。

「高田社長自身は何か言ってたんじゃないですか」

「え」

 俺は声音を変えずに訊き返す。

「しばらく息があった。あのとき警察と救急に通報した女性は、高田さんはすでに意識がなかったと証言しているんです。でも、あなたとあの女性との間には、若干のタイムラグがある」

 少し間をおいてから、俺は答えた。

「何も、言っていなかったですね」

 言ってからあまりいい答え方ではないと気付いた。すでに中野専務に高田社長が言い遺した言葉があるとは伝えてある。それに、近いうちに家族にも伝えることになるから、いずればれる嘘だった。仕方ない。そのときはそのときだ。

 俺たちが話し込んでいるのを見て、先ほどの女の子がまたお茶を運んできた。代わりに食器をさげ、「ごゆっくり」と言う。俺は潮時だと思った。

「もう、いいですか。俺にも予定があるんで」

「そうですね。お忙しいところ、失礼いたしました」

 馬場はまた、やけにあっさりと引き下がった。しかし、俺が伝票をつかんで立ち上がろうとすると再び声をかけてきた。

「あ、そうそう。先ほどのフランス外人部隊の話ですがね」

 俺は眉根を寄せて見せたが、好奇心がうずいたのも事実だ。

「ご存じですか。日本人もけっこう入隊しているんですよ。何でなんでしょうね。せっかく平和な国に生まれたというのに」

「さあ」

 不満がもたげた。何のためにこんな話をしているのか、はっきりと言え、と言いたかった。

「訓練は厳しく、期間は5年です。戦場にも行きます。若い時期をわざわざそんなところで過ごしたいというのはなぜなのでしょう」

「それと、今回の事件と、何か関係があるんですか」

 痺れを切らして俺は訊いた。

「いえ、最近ニュースでその話題を見たもんで、お若い方に意見を訊きたいと思いまして」

「分かりませんね」

 見切りをつけてさっさと会計を済ませようとする俺に、馬場が最後に言った。

「あなたは、正直じゃありませんね」

 訳が分からない。俺は黙って外に出た。馬場はまだ店内に残るつもりらしく、ついては来なかった。

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