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第15話

 美佳という中学生ほどの娘が逃げるとしたらどういう経路をとるだろうか? 俺は必死に考えた。

 明るいところよりも暗いところに逃げるのか。

 それとも、一気に明るい通りまで走り抜けようとするか。

 暗い方に行く方に俺は賭けて、まずは付近を探すことにした。もし通りまで抜けられていたら、無事な確率が高い。

 やがて、ブロック塀に挟まれた隘路に出た。これまでの周囲のようすと違う。重く沈むような建物。コンクリ。そう、ここは学校だ。小学校か、中学校。いや、確かどちらもこの辺りにあったはず。

 そう思うと、可能性の芽が見えた。

 学校か、この先の公園。そう、この先には公園があった。突如突き当りが鬱蒼とした森のように見える。以前ここを通ったことがある。念のため、しんと静まり返った中、左右に美佳の名を呼んでみた。が、予想通りだが返事はない。突き当りのところに学校の正門らしい場所が左手に。

 校内は青白い電気でぼんやり静かに照らされ、月明かりにも気づいた。大きな丸い時計の時計板が光っている。

 このT字路周辺をときどき声を出しながら注意深く確認した後、突き当りの公園を見た。入口は夜間閉ざされている。石垣のようなものが道なりにつづく。

 さらにその道を進みつつ、美佳の名を呼んだ。

 かさりと何かが動いた。ハッとしたが猫か何か小動物のようだ。

 そのままずっと道は左にそれていく。とうとう反対側に出たようだ。ぼんやりと角柱型の灯り。公衆電話の電話ボックスだ。

   公園の名は「おとめ山公園」。以前通ったことがある。

「美佳さん」と呼んでみた。

がさりと音がした。この気配は。

「あなた、誰ですか?」

 中学生とは思えないしっかりした声だと後で思い当たった。驚いたことに、塀の破れ目からあの少女が姿を現した。こんなことがあるのか。俺は一瞬の心理的躊躇ののち、ようやく安堵した。

「美佳さんですね」

「はい」

 間違いない。俺は立ち止まったままの彼女に駆け寄って手を伸ばそうとしてひっこめた。中学生とはいえ女性に暗がりで触れるわけにはいかない。

 数分ののち、俺と彼女は馬場ら新宿署の刑事たちと落ち合うことに成功した。


 少女は若い優男風の刑事に事情聴取を受けた。その間、馬場が俺に近づく。

「あなたはなぜこうも事件現場ばかりに居あわせるんです?」

 そんなことはこちらが聞きたいくらいだった。本当になんて日だ。

 正直にいうと、俺は煙草を吸いたくてイライラしていた。あいにく禁煙を始めたので、何も持ってないし、この辺一帯にはコンビニがないのだ。こんなことになるんなら、禁煙はもう少し先延ばしにしておくべきだった。

 本橋涼子を気にして禁煙を始めたばかり。なんてこった!

 馬場はそんな俺の心などお構いなく、絡んでくる。

「あなたと毎日のように会っている気がしますよ」

 という奴の目に疑るような鈍い光が宿っている。

 俺は煙草の煙を思い切りその顔に吹きかけてやりたいと考えて自分を慰めていた。

 馬場の話では、美沙子夫人はさほどの重傷ではなく、命に別条はないという。何はともあれそれはよかった。

 人の死など見たいものではないから。

 俺の感覚まで麻痺してしまいそうだ。

 夜も遅いので、美佳の事情聴取は手短に切り上げられた。しかし、彼女は今夜眠れるだろうか。先ほど見つけたときの彼女は、痛々しいほど自分を奮い立たせようとしていた。凛とした少女だ。こんな短時間のうちに、父が殺され母が襲われるなど、想像を絶する体験だ。とても気になったが、俺の出る幕ではない。

「神楽さん、神楽さん、聞いてるんですか」

 馬場の絡むようなうっとうしい声に俺は我に返った。

「今日はもう遅いが、明日また来てくださいね」

「強制ですか?」

「神楽さん!」

 実は俺もこの事件の経過を知りたかった。美佳のことも気になった。

 「ミサキ」。

 高田社長の最期の言葉を伝えるなら、妻の美沙子だろうが、彼女は病院だ。まだ俺のやるべきことは終わっていない。いつの間にか事件に主体的にかかわりつつある自分に苦笑が漏れた。

 帰宅すると、俺は泥のように眠った。


 翌日、俺は会社に連絡を入れて新宿署に向かった。新宿署から会社へも連絡があったようで、すんなりといった。電話に出た直属の上司は「神楽、お前、なんかやったのぉ?」とおどけて言ったが、冗談のようだった。


 またしても馬場が出て、まったく恐れ入るがまたカステラなどを出してくる。俺が下落合であんみつを食べたのがよほど印象的だったのだろう。こんなこと、ふつうはあり得ないと思いつつ、馬場という奴が多少のことではどやされない、警察内での一定のポジションを得ている存在なんではないかと俺は推測した。

 今度ももちろん手は付けない。湯飲みにもだ。

 しかしすべてを拒絶しつづけるわけにもいかない。

 どうせ中野からそれなりに訊き出しているのだろう。俺は馬場が口を開くのを待った。

「中野専務は完全黙秘だ」

 はじめに馬場がそういうので、俺は予測が狂った。が、チャンスだとも思った。あの「ミサキ」のことを話さずに済む。

 昨日中野に声をかけられたときのようすを、俺は正直に話してやった。


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