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第27話

 気分をさっぱりさせようとシャワーを浴びた。

 昨日の朝はまだふつうに出社して仕事ののちは涼子に会えると心が弾んでいた。

 ずいぶんと予測と違う日になったものだ。

 会社からは退社を命じられ、その後美佳に会って話を聞いた。そして涼子が合流し、二人で神田川沿いを歩いて都電に乗って。


 いったいなぜあんな展開になってしまったのだろう。自分でも理解できない苦しさにとらわれて、気づいたら涼子に告白していた。

 その結末は何だったんだろう。


 そして帰り道俺を襲った奴は? 明らかにプロだった、あの猛獣。澄ましかえって口の端が笑っていたスーツ野郎。その男を「くだん」と呼んだ涼子。涼子はなぜあそこに? 俺のあとを追ってきていたのか?

 そう思うと少しだけ心が軽くなる。

 しかし、彼女を「涼子」と呼び捨てにしていたあのスーツ野郎。「久しぶり」? 明らかに二人は知り合いだった。しかもただならぬ……。

 それ以上は考えたくない。痛い傷口に触れてしまうような感覚。


 涼子は自ら車に乗りこんだ。そのあとに何があったのか?

 最後は涼子が俺を助けて病院に運んでくれた。俺が知っているのはそこまで。

 それまでの間に、あの男と涼子との間に何があったんだ?


 どうしてもそれが気になる。そして、涼子はいったい、何者?


 少し冷静になって頭を巡らした。

 涼子のあの眼。見開いた眼は怒りに輝いていた。あの眼は何を意味するのだろう?


 少なくとも、あの連中が俺を襲ったことを涼子は怒っていた。あのあとどうなったのかはわからないが、彼女は俺を病院まで運んでくれた。


 どんなに謎があっても、まだ俺は救われている。涼子とあのスーツ男との関係が何であれ、彼女はあの男の行為に怒りをたぎらせていた。何よりも、あの眼の光が俺のなかに残っている。

 あんなに美しい涼子を見たのは初めてだ。


 ひとつため息をついた。

 振られたのであれ何であれ、そして彼女が何者であれ、俺はいまだに彼女にぞっこんだ。


 だとしたら、信じ抜くしかないだろうが。


 そう思うと家にくすぶっていることはもはやできない気分だった。俺は着替えてスマホとカード入れを持ち、外に飛び出した。

 とにかく西武新宿駅行きの上りに乗った。どこにいくという当てはない。ただじっとしていられない、それだけだった。

 涼子の不思議な行動は、そもそもの出会いからだった。初台に住む彼女が何の用で歌舞伎町に現れたのか。それも一人で。誰かと飲みに来たわけでもない。飲んだ後でもないのは、酔っていなかったことから明らかだ。彼女の手際はあまりに鮮やかだった。

 けれど俺はそこに疑念を持ちつつも、それよりもなによりも一発で彼女に魅せられてしまった。

 それ以来、奇妙な事件につぎつぎと巻き込まれるようになったけれど、いつも頭のなかには彼女への思いがあった。

 一種、酔っていたようになっていた気さえする。

 次々と起こる非日常な出来事に追われながらも、これらの片がついたら早く涼子に会いたい、声が聴きたい、そればかりが頭の半分を占めていた。


 今でも、彼女が何者かと思うとき、あの銃撃事件から起こる出来事とはどう考えても結びつかないのだ。これまで俺は意図的に彼女を巻き込んだり不安にさせたくないと思って、あの事件にまつわるもろもろの出来事は彼女には話さなかった。

 今、あのいけ好かないスーツ野郎と彼女に何らかの関係があると知っても、それでもやはりあの事件とは結びつく気がしない。


 いや、それよりまだ全く俺が思いもかけないような何かのからくりでも秘められているというのなら別だが。


 とにかく、俺は謎につぐ謎にとらわれてしまっている――好むと好まざるとにかかわらず――ということだけは間違いがなさそうだった。

 俺はふらふらと西口の小田急ハルクに入り、ビッグカメラのフロアをうろついた。

 平日の店内は空いている。

 見るともなく見て歩き、外に出た。

 心はこんなに騒いでいるのに、何をすべきかが定まらない。

 小田急から京王の方に歩き、南口に出て、向かいに渡ろうかと思ったときに目の前の車から男が降りてきた。


 昨日今日だ。忘れるわけがない。この車、薄暗いなかでも目に焼き付けた顔、何と早いことか。スーツ野郎のお出ましだった。


 俺は改札前の広場に立ち止まり、にやけながら男がこちらにゆっくりと歩いてくるのを見守った。一瞬だけ、車のなかをうかがったが、運転手以外は誰も乗ってはいなかった。


 ずいぶんと仕立てのよさそうなスーツ。オーダーメイドだろう。

 ふん、と俺は鼻を鳴らした。

 男が十分に近づいたとき、言ってやった。

「何の用だよ」

 男は目を細めて笑う。

「君が手持無沙汰にしているのを見かけたんでね、少し話さないか、神楽恭介くん」

「お前の名は」

 一方的に名を言われて黙っていられない。

「九段重彦だ」

 くだん。涼子の口走った通りだ。

 九段重彦は俺を車に導いた。ここで怯むのは胸糞が悪い。堂々と乗ってやった。車はゆっくりと走りだし、明治通りに入っていった。高級車だな、乗り心地がやけにいい。それも鼻についた。

 俺は座席に背中をあずけて腕を組んだ。

 そっと奴をうかがうが、何か話す気配もしない。ただ口元に微笑を浮かべている。

 めちゃくちゃにいけ好かない奴だ。こんな奴が涼子を呼び捨てにした声を思い出すだけでもむかっ腹が立って仕方がない。

 髪は短くきっちりとまとめていて、いかにもシャープな美形、背が高く痩せ型だが明らかに筋肉質。

 年のころは30代前半位だろうか。

 そして醸し出す雰囲気はやはりカタギではない。

 かすかに香水まで漂わせてやがる。

 なんて気障な奴なんだ。


 むかむかする腹の内を見透かされたのか、奴の視線を感じた。

「神楽くん、そんなにムキにならなくても、着いたら君の聞きたいことを教えてやろう」

 澄ましかえっているのがまた神経を苛立たせる。

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