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第28話

 やがて車は表参道の方に折れ、とある地下駐車場に滑り込んだ。見上げると高級ホテルだった。運転手が降りて後部ドアにまわりドアを開けた。その運転手は、背が高く明らかに昨日の猛獣とは別人だったが、どこか同じ臭いを感じさせた。

 九段はドアが開けられると降りて、俺を促すような仕草をしたが、無視してやった。


 運転手だった背の高い40代くらいの男が先にたって案内する。単なる案内役ではなくボディーガード兼務なんだろうと思った。

 さりげなく、前後左右360度に目端を利かせている。


エレベーターで最上階まで向かった。表示を見ると、展望レストランと記されていた。


「ここは涼子もお気に入りの店なんだ。君もお気に召すと思うよ」


 さりげなく涼子のことをアピールしてみせてきた。


 ふいにドレスコ-ドが気になったが、そのときはそのときだ。

『顔パスかよ』

 内心俺は舌打ちした。九段の顔を見るやいなや、奥から正装をした責任者とおぼしき50代ほどの男が現れ、俺たちを案内する。

 しきりで区切られた半個室状態の一角に案内された。広いテーブルの中央には生花が盛大に飾られ、正面と右側にもうけられた広い窓からの景色は見事だった。陽が落ちた後ならば夜景の眺望を存分に楽しむことができるだろう。


「服装のことは気にするな。私の連れだからな」

 耳打ちする九段の嫌味なささやき声に背筋がぞわりとする。


 本当にこの店が涼子のお気に入りなのか? 彼女だって若い女性だ。こういうホテルのレストランに憧れは抱くだろうが、やはりどうしても彼女のイメージには合わなかった。


「ランチで」

 ボーイが来ると九段はいかにも慣れたふうに言った後、俺の方を見て「神楽くん、飲み物は」と尋ねる。腹立たしいが答えないわけにもいかず「コーヒー」と答えると、九段はメニューを開いて何か指さしながらボーイにささやいた。


「さて」

 3人になると、九段は片ひじをついて俺に正面から向き直った。

「神楽くん、昨夜は失礼したね」

 何をいまさら。俺は黙っていた。前置きはいい。早く涼子のことを話せ。そう言ってやりたかった。

「早く彼女のことを話せ、顔にそう書いてある」

 そういって九段はにやりとした。当たり前だ。俺は開き直って九段の顔をじっと見る。

「君は彼女の何が好きなんだ」

 やや予想外の質問が発せられた。てっきり『手を引け』といった類のことを言うつもりかと思っていた。

 九段の質問に対し、俺は躊躇するところはなかった。

「全部だ」

 一言でそう答えた。それ以外に言いようがないのだ。

 それを聞くと九段は体をゆすってはははと笑う。俺は腹立たしさを必死に抑えて奴が笑いやむのを待った。知らず知らず体全体に力が入っている。

「重症だな。まだ出会って日も経っていないのに」

「何でそんなことまで知ってるんだ」

「涼子のことなら何でも知ってるのさ。あいつは俺の女だからな」

『俺の女』――さらりと言ってのけやがった。

 やはり腹の底がずきりとする。けれど、涼子の眼差しが浮かぶ。彼女が、やくざの女だとはどうしても信じられない。理屈抜きに、だ。

「案外、彼女のストーカーなんじゃないか」

 俺は言いかえしてやった。九段は動作を止めてもう一度俺に視線を向ける。

 下品ではない。やけに吸い付くような底のしれない視線だった。俺は耐える。

「一目ぼれ、か。厄介だな」

 吐き出すように小声でつぶやいた。

 俺は固く唇を引き結んだ。余計なお世話だ。昨夜、思わず彼女に告白してしまったときから、俺の心は決まっていた。振られたのかもしれない、いまだによくわからない。思わぬアクシデント――九段のおかげで悲しむ暇さえなかった。だが、それでも俺は彼女が好きだ。彼女のことを知りたい、そして信じたい。

「涼子は君に何と言っている?」

 質問の意味がよくわからない。訊き返そうとしたときに、ボーイが現れた。

ランチというには皿数が多い。さすが高級ホテルのレストラン。一見して何だかよくわからないような色とりどりの食材が一皿ずつ美しく盛りつけられている。だが俺はもちろん口はつけない。九段は焼き立てのパンを手にとった。

 何でこいつのランチタイムにつき合っているんだ? ふとそういう気分になり、コーヒーにだけは手を出した。

「彼女の生い立ちは知っているか?」

 パンを一口かじったあと、俺に答えやすくさせるためか、九段が言葉を重ねた。俺はコーヒーカップをソーサーに戻す。

「両親を幼いときに亡くして、福島の親戚の家でなかばネグレクトされながら弟とともに育った」

 俺は答えながらあらためて幼い頃の彼女に思いを馳せた。今の彼女に、そういった生い立ちの影はない。それには、弟の存在が大きいのだと推測できる。昨日の都電車内で聞いた話。弟の自慢話を熱心に語っていた彼女を思い出す。俺はあのとき焦ってしまった。だんだん耐え切れなくなって、つい彼女に詰めよってしまった。今思い返すと頬がほてるようだ。

 九段は目を細めている。表情から、この話は九段の認識と一致していると悟り、俺は秘かに安堵の息を吐く。

「いつから彼女を知っているんだ?」

 つい俺も九段に尋ねてしまった。

「もう5年になるか」

 九段はつぶやくように答え、窓の外を見る。

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