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第36話

 男は泰然として俺を見ている。胃がせりあがってきた。吐くしかないか。

「どうなさったのです。青い顔をして。ああ、吐かないでくださいよ。これには中国の珍味竜骨の粉といわれるものを入れてあるのです」

 そしてこらえきれないという様子で大笑いした。

「毒なんかじゃないですから」

 口を押さえながら俺はこいつを睨みつけた。ふざけた野郎だ。悔しくて恥ずかしくて、今度は顔がほてってきた。

「面白い方ですねぇ、あなたは」

「あんた、名前は?」

 憮然として俺は訊く。

「これは失礼しました。竹橋慎吾と申します」

 それから俺が口を挟む間をおかず、

「神楽圭介さん、あなたはいつかここにおいでになると思っていましたよ。実は少々待ちくたびれておりました」

 どいつもこいつも、と俺は思った。九段にしろ馬場にしろ、中野にしろ、この竹橋という男にしろ、なぜか最近いけ好かない連中とばかり知り合いになっている。すべてあの事件が引き金になっていることを俺は疑わない。そして、その一方で、彼女が現れた。涼子。涼子はあの事件にどうかかわったというのだ? いけ好かないが、少しでも情報をつかみ真相に近づきたいのだ。それはまた、美佳のためでもある。

 俺はやけくそ半分中国茶を飲み干した。こつん、と音が出るくらいの力でテーブルにおき、男をわざと上目遣いでみてやる。

「俺が来るのを待っていたって、どういう意味だ?」

 やっぱり、この「アマテラス情報交換会」は、あの新宿の銃撃事件と何かがつながっているのだ。

「高田さまは私たちの会に寄付をしてくださっていた方です」

「寄付?」

「それはお世話になっていました。あんなことになって、本当に言葉もありません」

 竹橋は神妙な表情をするが、目つきは鋭いままだ。

「だからって、何で俺を待つ必要がある? そもそもこのアマテラス交換会ってのは、どういう会なんだ」

 男は急に外国語をしゃべりだした。中国語らしいということはわかる。しかし、まったくわからない。このお茶といい、こいつは中国系なのか。俺はドイツ語を選択してたから、さっぱりだ。

「日本語でしゃべれ」

 すると、男はまた違う言語で話しはじめた。フランス語のような気がする。

 黙って睨んでいると、また違う言語だ。何となく、ロシア語だというのはわかる。

「日本語でしゃべれ」

 俺は二度言った。

 男はにこりとして、言った。

「わが会はビジネスパーソンのための語学教室を行っている集まりなのです」

 人を食った答えが返ってきた。

「それで何で、アマテラスなんだ?」

「日本文化です」

 涼しい顔で竹橋は答えた。

「よく言われることですが、国際的に活動するには、我々の根であるわが日本文化を深く理解しておくことが不可欠です。ビジネスパーソンに日本文化への深い造詣を持っていただきたい思いから、『アマテラス』としたのです」

 とってつけたようなことを言っている。

 何が日本文化だ。

 いや、待てよ、ある意味それが本音か。

「なるほど」

 俺は無難に答えた。

「ところで何で俺の名を知っているんだ? 名前だけじゃない、顔も」

「ああ、それでしたら」

 言いながら竹橋はポットに手を伸ばす。

「お茶のお代わりはいかが?」

「要らない」

「では」

 竹橋が向き直る。

「あなたが我々の恩人である高田さまを看取られたということは奥様から伺っております。失礼かとは存じましたが、いずれあなた様にお礼を申し上げるつもりで、奥様にお名前を教えていただきました」

「だからって、顔はわからないだろう?」

「高田家の防犯カメラで拝見しました」

 明らかにおかしいが、次に何というか俺は少し口ごもった。

「『待ってた』という意味が分からない」

 俺の名前や顔を知っていた理由までは百歩譲って是とするとして、俺が来ると思っていたということには解答していないではないか。

「あなたは高田さまを看取られてから、あの忌まわしい事件に何かと首をつっこんでおられます」

「いや」

 今はともかく、最初から好き好んで首をつっこんだわけではない。俺はただ、高田社長の最期の言葉をご遺族に伝えたいと思っただけだ。それがなぜか、馬場のいうように、いつも何かと事件の中にいることになったというだけだ。

 だから、この一連の事件はつながっている。

 そして九段の謎の言葉。

 「涼子が俺の前に現れたのは偶然ではない」。

 今の俺は、九段の言葉の謎を解く意味でも、そして美佳のためにも、確かに積極的にこの一連の事件にかかわろうとはしている。でも、最初からではない。

 そんなことを考えている俺を観察するように見ながら、竹橋は言葉を継いだ。

「ですから、いずれあなたは私どものもとへもいらっしゃると思っていました。それだけのことです」

 「それだけ」というが、まったく「それだけ」ではないではないか。かなり飛躍している。

 どういうふうに話を持っていこうか。

 小皿にのった菓子を口に放り込んだ。万一こちらに毒でも入っていたところで、もう構わない。それより怖気づいていると思われる方が癪だっだ。


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