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第41話

 あたかもそれを察したかのように、九段が言った。

「その娘、……高田社長の娘、危険だな」

 美佳がびくりと肩を震わす。勘違いしたようだ。

「ああ」

 俺はわざと同意を示す。

「これ以上、狙われないようにするには」

 九段はにやりと笑った。

「私が預かろう」

 さらに美佳が怯えるのが分かった。俺は美佳の頭を撫でてやった。

「預かるとは?」

 俺が尋ねると、九段は答えた。願い通りの答えだった。

「我々で彼女を護衛する」

 端的だった。俺は九段に頼るしかないと観念した。それ以外にない。ただし、なぜなのか。それにも九段は先走って答えた。

「娘に引きずられて、お前がまたこうなるとまずいんだ」

「は?」

「涼子をおびき出すにはお前が必要だ」

 俺は鼻白む。

「俺は……エサか?」

「そうだ」

 そのあとに俺はふっとこれまでの疑念が解消され、深い安堵を感じた。やはり、涼子は九段の女ではない!

 しかし、もう俺の体力も思考も限界だった。

 とにかく、美佳は大丈夫だ。美佳にもそのことを悟らせるように、頭を抱いた。運転する九段の横顔が霞んでいった。


 車の停車ではっとした。そして、何度目の停車だったかと頭をよぎった。

「着いたぞ」

 九段が言う。高田馬場の山手線外の通りのあたりだ。旧シチズンプラザが目に入った。

「その娘は部下に送らせる」

「神楽さん」

 問うように美佳が声を出す。俺は慌てて抱いていた美佳の頭をよけた。

「悪い、美佳」

「何がですか」

 美佳はまた目に涙をためている。不安と安心が入り混じっている。何より、俺に対して泣いているのがわかって胸を締め付けられた。

「とにかく、よかった、美佳さん」

 俺は「さん」をつけて呼び直し、できるだけ明るく笑って見せた。

「大丈夫」

 今度はとんと頭をたたいた。

 外人部隊上がりが彼女の後について行く。美佳は見かけは独りで家に戻って行った。早稲田通りに沿って。


「さて、と」

 俺は軽く咳払いした。

「何で、俺と美佳の居場所を知ったんだ? そんな追跡能力があって、なぜ涼子さんをおびき出す必要があるんだ? すべて話せ」

 意気込んだ俺をいなすように、再び車を発進させながら、九段は答えた。

「君の中にGPSが入っている」

 絶句した。それは、あのときか。俺が気絶していた間? そもそも、あの間、涼子と九段の間に何があったのか? 

「ふざけるな」

「ふざけてなどいない」

 九段の涼しい声。

「涼子は気を許すことはない。君というエサが必要なんだ」

 俺だって、気を許してはいない。しかし顔の熱くなる俺になど構わず、九段は続ける。

「礼ぐらい言って欲しい。君たちを助けたんだ」

「下心があるからだろう」

「にしても、礼儀は大事だ」

「何を言う、おあいこだろう」

 それきり、俺も言う言葉が見つからず、九段も黙って運転を続けている。

 九段は山手通りに入ってから、中井の辺りで車を停めた。

 俺は黙って降りた。

「また何かあったら、連絡をしてほしい」

 そう言って九段は走り去ったが、いつも澄ましかえっている奴がトラックを運転して去っていくのは少し胸がすいた。もっとも、爆薬を積んできたからトラックなのだ。気を引き締めねば。

 馬場のときもそうだったが、俺はやや他人、しかも危険人物に気を許しすぎる傾向がある。我ながら、自分がこれほど人がいいとは思わなかった。そういえば、竹橋に借りた本は現場に置いてきてしまった。奴らが回収しているだろう。用はない。


 自宅に帰ると、途端にじんじんと殴られた後の痛みが襲ってきて、その後一昼夜、寝込むことになってしまった。電気の点滅のような嫌な夢に苦しみながら。

 そのフラッシュの中に、しかし涼子の顔が見える。

 涼子は、九段の女ではなかった。その喜びが閃光のように時折走るのだった。

 はっと目が覚めた。着替えさえしていなかった。カーテンのすき間から入る光は午後のものだった。

 まだ残る痛みをこらえて起き上がり、キッチンに行って冷えたミネラルウォーターをがぶ飲みする。相当汗をかいたらしい。いくら飲んでも足りない。

 ふと、ドアの方に目をやると、ポストに何か紙包みがのぞいて見えた。郵便か。のっそりと近づいて取りだすと、封は開いている。不思議に思って中を見て目を瞠った。薬局で購入したらしいシップ剤。俺はそれをつかんだままドアを開けて外に飛び出し、外階段から下をぐるりと見渡す。望んだ人影はない。エレベーターに走り、もどかしく階下行きのボタンを押す。

 エントランスから外に飛び出し、駅方面に走った。駅方面が正しいのかどうかはわからない。とにかく走り、西武新宿線駅の改札から中をのぞき込み、さらに飛び出して今度は大江戸線中井駅の方に走る。

 そこも中を見渡してまた外に出る。

 スマホもPASMOも小銭さえも持ってこなかったので、中に入れないのが悔やまれた。

 外に出て、俺は茫然とした。

 なぜ、俺はこれが涼子のしたことだと咄嗟に確信したのだろうか?

 帰宅してシップ剤を取りだす。すると、紙片が落ちた。

『手を引いて。お願い』

 走り書きのような字ではなく、一字一字丁寧に書かれている。俺は胸が熱くなった。これが涼子の字。彼女らしいさっぱりとした筆跡。

 けれど、『手を引いて』とは? 涼子、それは無理だ。九段の言葉を思いだす。彼女が俺の前に現れたのは偶然ではない。俺は、命にかけてもそれを突き止める。

 彼女はなぜシップ剤を? 九段から聞いたのか。九段と、どこでどうやって連絡をとった? なぜ、彼女は俺が打ち身になったことを知っているのか。

 シャワーを先に浴びることにした。ぬるい水で体を流す。涼子はあまりにも謎に満ちている。彼女に会いたい、一分でも、一秒でも早く。彼女は本当に俺の家まで来たのか? なぜ知っている? 何もかも謎だらけだ。

 ふと、美佳のことが頭をよぎった。美佳の可能性の方がまだあり得るが、それは違うと思った。勘としか言いようがない。

 スマホを確認した。美佳からも、涼子からも連絡はない。美佳は遠慮しているのだろう。安心させてやらなければならない。

 あの時は、俺もへばっていて、美佳を十分に思いやれていなかった。

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