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第44話

 馬場の満面の笑顔が気色悪い。だが、何を話すのかはどうしても聞いてみたい。俺は誘惑に負けた。

「いいでしょう。この辺で落ちついた店は……」

「あまり落ち着いていない方がいいですな。会話が筒抜けじゃあ困りますから」

「じゃあ、小うるさいファーストフード店があったはずだ。そこにしましょう」

 新宿方面に少し向かっていくと、バーガー店があった。馬場も俺もアイスコーヒーを頼んだ。

「おや、今日は甘いものは要らないんですか?」

 にやにやとして馬場が訊く。さっきあんみつを食べたばかりだとはもちろん言わない。

「何だかあなたと会うのも久しぶりのような気がしますな」

「たった数日ですよ。その前が異様に会う機会が多かっただけです」

「ですな。なぜかいつも事件現場にいらっしゃる、けれど容疑者とは思えない、たまにそういう不運な人がいるものです」

 俺は無視する。

 シロップとミルクを入れて、フタをしてストローを差し込む。

 いざ飲もうというときに、馬場が妙なことを言いだした。

「調べものは進んでいますかな」

「は? 何のことですか」

「とぼけなくても知ってるんですよ。あなたがあの新宿の銃撃事件の犯人捜しをしていることは」

「別に、調べものというほどではありませんよ。そりゃ、気にはなるでしょう。あんな衝撃的な事件に出食わしたんだから」

「で、どこまで進んでます?」

「は?」

 何が言いたいんだ。こいつは。そもそも、こいつが九段と裏でつながっているのは間違いない。九段を通じて大体のことはつかんでいるはずだ。さっき出あったのも当然偶然ではなく、九段が俺に仕込んでいるというGPSの情報からだろう。俺が西武線方面に移動しはじめたので、馬場もどこからか現われたというわけだ。

「そんなこと、馬場さんの方こそ、九段さんから聞いて知っているんじゃありませんか」

「ん? 何のことですか?」

 白々しい。俺の方が畳みかけた。

「こっちが訊きたいですよ。高田社長殺害事件の犯人、いや犯人グループかもしれないが、少しは目星がついてきたんじゃありませんか」

 『それは捜査秘密でして』というだろうと予測していたが、意に反して声をひそめて馬場が言った。

「犯人グループです。実行犯は1人かもしれませんが、単独の犯行とは思えませんよ」

「なるほど」

「どうもやっかいなグループが新宿のわれわれの管轄内に根付いてしまっていましてね。いや、新宿が本拠ではないんだが。勘弁してほしいですよ。ヤクザだのチンピラだの、不逞外国人だの」

 俺はだんだん不快な気分になってきた。

「そこまでいうならはっきり教えてくださいよ。やっかいなグループってのはなんですか」

「過去の亡霊がリニューアルして現れたんですよ。異業種交流会という体裁で活動しています」

 馬場がかなりあからさまにいうことに俺は驚いた。

「本拠が新宿でないというなら、どこなんです?」

「中野です。当然でしょう。『陸軍中野学校』の残党なんだから」

「よくご存知で」

「そちらこそ」

「中野のどこなんです」

「あなたの行った事務所はただのダミーですよ」

 不快だ。全部行動を把握されているじゃないか。

「九段から訊いたのか」

「いや、九段さんは一筋縄ではいかないお人ですからね。あなたのことはなぜかあまり教えてくれない……というか、情報を小出しにするんです」

「面白くないな。容疑者でもないのにあんたに付け回されているわけか」

「そういうことになりますな。なにしろ鍵を握っている方ですから」

「俺はたまたまそこに、高田社長が撃たれたところに居あわせただけの人間ですよ」

「それはわかってます」

 そこで馬場は不味そうにコーヒーを飲んだ。

 俺も喉が渇いていたので、氷が解けて薄くなったアイスコーヒーを口に含む。

「でも」

 馬場は続けた。

「そこであなたは重要なことを聞いたはずなんですよ」

 またか。

 しかしこのことは美沙子夫人には聞いたはずじゃないのか。何でしつこく俺に訊き出そうとするんだ。揃いも揃って。

 ふと不思議に思った。九段だけはこれだけ首を突っ込んでいながら、高田社長の最期の言葉に全く関心を持っていない。奴が関心があるのはもっぱら涼子のことだけだ。

 美沙子夫人の見舞いにまた行こうと考えた。もう状態も落ち着いているだろうし、彼女しかしらないこともあるかもしれない。彼女からこの間の経緯を訊くのがいちばん確かそうだ。

 馬場はよほど喉が渇いていたのか、カップのふたを外して氷まで喉に流し込んだ。

「ところで俺に会ったのは偶然じゃないでしょう」

 一つ釘を刺しておこうと思った。

「九段から訊いたんでしょう」

「はぁ?」

 馬場はきょとんとしている。当てにならない奴だが、芝居には見えなかった。

「はっきり言いますが、つけてたんですよ。あなたがどう動くのかをね。おかげで喉はからからだ」

 九段のGPS情報ではないのか? これは九段にも確認しなければならない。とりあえず真相究明は保留にした。

「僕はそろそろ用事があるので、失礼しますよ」

 これ以上馬場と話していても面白い情報は得られそうにないと判断した。

「おや、もうお帰りですか。もっとお話したかったのに」

「暇じゃないんです」

「でも会社は出社停止でしょう」

「いろいろとプライベートで忙しいんですよ、これでも」

 変ににやにやする馬場を後にして、バーガー店を後にした。

 今度こそ西武線に乗る。

 いったん自宅に戻って、それから徒歩で美沙子夫人の入院している病院に行こうかと考えた。

 マンションの自分の部屋のドアポストを見てぎくりとする。

 本だ。この本は、あの竹橋に借り、美佳が閉じ込められていた洋館の地下にそのまま置いてきたものだった。

 引っ張り出してみると、べっとりと血の跡がついている。

 俺は臭いを嗅いだ。間違いない。これは本物の血だ。


 俺は思いかえす。九段が爆薬で半地下の部屋の一角を破壊し、それに乗じて俺は美佳を抱いて階段を駆け上がった。上に行くとすぐに九段に遭遇。九段のトラックで逃げた。

 周囲には九段の部下たちがjeepを停めていた。

 あの後何が起こったのか。それはこの血まみれの古びた本が物語っている。さっき美佳と確認した7人は、おそらくもう生きてはいない。俺はそう直感した。背筋がぶるっと震える。

 九段はやくざだ。そして側近の部下はフランス外人部隊の経験者たちだ。おそらく戦場にいた者たちだ。

 この血まみれの本を俺の部屋まで届けたのは、おそらく竹橋だろう。

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