〈第四話
キュイーン……
あの音が聴こえてきた。
見上げればジリジリと照り付ける陽射しの下、
昨夜殺された
しかしここが橙子の殺害現場だと特定できる様な痕跡は他に見当たらない。これがナイフによる刺殺とかなら血痕が残っている可能性もあるが、今回は素手で首を絞められた
ボクは改めて傍らの家を見上げ、ポオのリードを曳くジャッキーに声を掛けた。
「よし、この歯車屋敷とやらに乗り込んでみよう」
「え?この家が事件に関係あるの?」
ジャッキーが驚くのも無理はない。ボクが死体遺棄現場の森の中で犯人に襲われたのは、この鬼娘が警察を呼びに行っている間だ。しかしあの時背後から頭を殴られた時、ボクは気を失う寸前に聴き、そして見た。
『キュイーン』という機械的な駆動音──
右目の中で回る歯車──
その駆動音がさっき、確かに聴こえたのだ。ほんの一瞬、微かな音だったが空耳などではない。よく聴こえなかったのはそれが
この
しかし…どうも嫌な予感がする。
ボクはパーカーのポケットの中の手を握り締めた。
モルタル造りの二階建てだが、こちら側に裏口や勝手口は見当たらない。
家の脇の細い抜け道から表に回ったが、そちらにも普通の入口は見当たらなかった。
一階部分の前面はシャッターになっている。と言っても前庭には普通に鉄柵と
しかしサーフボードを積んだアメリカンなスポーツカーが置いてありそうなお洒落感は、この家には一切無かった。壁同様にガレージのシャッターも古びていて、鉄柵や鉄の門扉共々赤錆だらけである。前庭も雑草が伸び放題で荒れ果てていて、この家の事を教えてくれた老婆が『ちゃんと剪定してないから勿体ない』と言っていた裏手の萎びた紫陽花と、ある意味対を成している。表札の類も見当たらず、一見、廃墟と見紛うレベルだ。
「ここ…人住んでるの?」
ジャッキーの疑問も尤もだが、ガレージ前には白い軽トラックが停めてある。こちらも車体に汚れや傷が目立つ古いモノだが、そのタイヤが草を踏み潰した庭の
ガガッ…ガガガッ……
不意にシャッターが開いて思わず飛び
中から誰かが持ち上げているのではなく、電動で開閉するタイプの様だ。しかしそれも古い装置なのか、時々引っ掛かりながら上がっていく。
そしてようやくガレージの中が見えた瞬間──
「ワゥッ!」
「けけっ…」
「何なのこれっ…?」
犬と鳥が怯え、鬼が動揺したのも無理はない。
そこには、
身長2メートルを優に超す体のパーツ全てが、金銀の歯車で出来ている。よく見るスタンダードな円盤型の歯車や歯の部分が捻れた歯車を大小組み合わせた胴体から、ネジ型の歯車を関節代わりにして、棒状の金属が腕や脚の様に生えていた。その金属棒にも歯が刻まれていて、その上を円盤が平らに回転していく歯車の一種なのだろう。
そして極太のネジの様な円柱状の歯車の首に、一番大きな円盤歯車の顔が載っていた。その直径にして50センチ以上はある銀色の盤面が油でヌラヌラとテカり、呆然と見上げるボク達を鏡の様に映している。
怪物─いや、その金属的な外見はロボットと言った方が近いかもしれない。全体の重量は何百
その足元はガレージの床一面、大小様々な無数の歯車で埋め尽くされていた。まるでこの異形の
あまりに非現実的で異様な光景だ。シャッターの開口部から射し込む日光に金属の体が光と熱を帯び、ゆらゆらと揺らめいて動き出しそうな錯覚を覚えた。
今にもあの音を立てて、全身の歯車が回り出す様な……
─まさか…
「ヒヒヒッ…ビックリしたじゃろぉ〜?」
ハッとして見れば、ガレージの左隅に人がいた。その前の壁に開閉装置のスイッチがあるので、この人物がシャッターを開けたのだろう。
オッさんの独り暮らしと聞いて中年男性を想像していたが、それは痩せた老人だった。年齢はおそらく七十代、長髪の白髪はボサボサで頬は痩け、眼鏡の奥の目ばかりギョロギョロと異様に光っているが、鼻と口元に不織布のマスクをしているのでそれ以上の表情は分からない。どこかの工場の工員なのかグレーの
老人はガシャガシャと歯車の海を掻き分けて歯車のバケモノに寄っていく。足元は安全靴で歯車を踏んでも痛くはなさそうだが、その足元は
「ヒヒヒッ…どうじゃ?ワシの造った〈ギアレム〉は?」
「ギアレム?…あ、もしかして……
「おう、よく分かったな坊や!」
嬉しそうな声を出す老人だが、坊やとは失礼な。見た目は中学生でも年齢はボクの方が上だ。
「ゴーレム?」
精神年齢が小学生の鬼が首を傾げて尋ねてくる。
「〈ゴーレム〉はユダヤ教の伝承に登場する動く泥人形の事だ。ヘブライ語で『未完成のモノ』を意味し、胎児や
元がただの泥であるゴーレムは自らの意思を持たず、創造主の命令を淡々と実行していく召使いロボットの様な存在だ。実際、最初にゴーレムを造ったと言われるラビ・レーフは、家の雑用をやらせるのが目的だったそうだぜ。〈ラビ〉とはユダヤ教の律法学者の事なので『先生』ってところだが、そのレーフ先生は泥人形に或る言葉を書いた御札を貼る事で、土くれをゴーレムに出来たんだと。ヨハネの福音書にも『まず最初に言葉があった』と書かれてるが、陰陽師の
で、その言葉ってのがヘブライ語の『Emet』─『真理』でね、スイッチを切る時はその『Emet』から『E』を取る。すると『Met』─『死んだ』って意味になって動かなくなる訳だ」
「へえ……」
「詳しいじゃないか坊や〜」
ジャッキーは感心し、老人はまた小馬鹿にした様な軽口を叩いているが、ボクは話しながら
顔に見立てた大歯車の頭頂部に小さな金色の歯車が三つ嵌め込んであり、それぞれに『M』『E』『T』と彫られている。
─本気でゴーレムを造ったのか?この爺さん……
老人も歯車の頭を見つめ、愛おしげに目を細めた。
「ヨハネの名前も出たがな、聖書では神が泥人形に生命を吹き込んで人間を創ったと言うじゃろ?だからアダムとイヴの『Adam』はヘブライ語の『土』なんじゃ。ワシら人間もゴーレムなんじゃよ。
じゃがゴーレムは土だけじゃなく、何からでも造れるからな。木材や金属だけじゃなく肉や野菜、果ては水や電気なんかの形の無いモノでも、創り手の意のままに働く
勿論、歯車でもな。
見ろ、この顔のスプルーギア!いわゆる
マスクで隠れてはいるが、その口元はニタニタと笑っているのだろう。興奮して吐いた息がマスクから漏れ、眼鏡が白く曇った。
「それで何じゃ?お前さん達は何の用でウチに来た?
もしかして
なるほど、普段この歯車人形を見せびらかしていたなら、ここが『歯車屋敷』と呼ばれていた理由も分かる。それだけならこの老人が事件に関係しているとは言えないが……
ボクはまだ怯えて唸っているポオを指差した。
「ボク達はこの犬の飼い主を探してるんだ。小柄で痩せたジャージ姿の女性でね。昨日の夜もこの辺りを散歩してたはずなんだけど、見かけてないか爺さん?」
相手の様子を探る為オブラートに包んで話しているが、橙子の首を探しているのは本当だ。
しかし老人は首を振る。
「さあてねえ…ワシは夜中スーパーの警備員しとるから、夜に散歩しとっても知らんわい。まあ警備員って言ってもこんなヨレヨレのジジイじゃからな、モニターをチェックしとるだけじゃが……それでも
しれっと昨夜の
「スーパーの警備員?じゃあその格好は?あんた、工場で歯車を作ってるんじゃないのか?」
ガレージの奥には幾つか工具も並んでいるが大きなモノではないので、てっきり仕事場が別にある歯車造りの職人だと思っていた。グレーの
老人はちょっと黙って、曇った眼鏡を指で拭う。
「体力の限界でのぉ…三年前に引退したんじゃ。
ウチの工場でも歯車造んのは自動化が進んで、手作業の工程はずいぶん減ったけどな。それでもオーダーメイドの小さい歯車なんかは最後、丁寧に人の手で仕上げるんじゃよ。ワシはそこで
ところが
命懸けとった仕事じゃが、もういかんよ……」
そう言ってヒラヒラ振る老人の手先は、確かに細かく震えていた。
「仕事一筋で結婚もしとらんし、親兄弟も皆くたばりおった。趣味も無い。工場辞めたら何もやる気が起きん。
ワシは地元はもっと北なんじゃが、働いとった仕事場を見るのも辛いんで、この美浦に安い家を買って越してきたのよ。ここで独りで何もせんと、毎日ボーッと湖眺めてのぉ……」
「おじいちゃん…」
ガックリと肩を落とす老人に、案の定ジャッキーが同情して目をウルウルさせる。励まそうと肩に手を置きかけるが──
老人が勢い良く顔を上げてその手は弾き飛ばされた。
「それがの!近所で潰れた工場が大量の歯車を廃棄するって聞いてな、引き取ってくれるなら
だから思い付いたんじゃ、歯車を使ってワシの
「それがこの…ギアレムか?」
「からくり人形みたいなのも考えたんじゃがな。ほれ、からくり
そこで動力の要らんゴーレムにしたんじゃ。考えてみればそもそもワシは歯車が好きなんじゃから、動く人形自体も歯車じゃなきゃいかんしな。じゃからワシは貰った歯車を厳選してこのコを組み立てた。あとはこの頭に『E』の
結局老人はまた自慢ムーブに戻ってきた。動力が要らないからゴーレム?この爺さんどうかしている。衰えたのは体だけではないのか?
老人は手を伸ばし、歯車人形の腕をそっと撫でる。
「ワシの家族は一人だけじゃ。
この家で誰にも邪魔されず、いつまでも二人で暮らせたらそれでいい……」
その恍惚の表情に、さすがのジャッキーも差し伸べていた手を引っ込めた。
しかしどう考えればいいのだろう。
老人の話が本当なら彼には昨夜橙子が殺された時間アリバイがあるし、そもそもこんなヨレヨレで手足も不自由な痩せっぽちの老人が、死体を森の中に遺棄したり首を切断したり出来るだろうか?
ならば…ボクが襲われた時、確かに『キュイーン』と聴こえた。あれは人間が動いて出る音ではない。歯車も見た。この
─まさかな……
苦笑して首を振る。
そしてもう一つ大事な事は、
橙子は
「…さて、それじゃあんたらの用事は済んだんじゃろ?
ゆっくりこのコを見て欲しいところじゃが、あいにく今ワシも忙しくてな。ちょっとこのガレージの中を整理しとって…」
老人の言葉に何気なくガレージの奥に目を遣る。
何かがキラリと光った。
床一面の歯車の上に一枚の歯車が
こちらに盤面を向けていて、それがちょうど歯車の海から昇る太陽の様に日光を反射したのだ。
ギアレムの顔に使っているのと同じタイプの平歯車だがだいぶ小さく、直径にして20センチ程度だろうか。他の歯車と違うのは歯がずいぶん尖っていて、まるで手裏剣の様だ。こういう種類の歯車もあるのだろうが、気になったのは別の事──
あの手裏剣歯車、立っている根元は埋もれて見えないが、どうやって自立しているのだろう?何かに刺さっているのかもしれないが、周りは全て金属のはずだ。
細かい事が気になるのがボクの悪い癖ではあるが……
そのボクの視界と思考を遮る様に、老人が両手を広げて立ちはだかった。
「それじゃあのぉ!」
そして再びガレージの隅に行き、壁のスイッチを操作する。
ガガガッ…。
また不規則な異音を立てながら、上がっていたシャッターがゆっくり下りてくる。そして完全に下りきった後、中からガチャガチャ音がしたのは鍵を掛けたのだろう。
ボクは閉ざされたシャッターの前で、パーカーのポケットに両手を突っ込んで考え込む。
「どうするテンちゃん…怪しいおじいちゃんではあったけど……」
ジャッキーの声に振り返ると、停めてある軽トラックの荷台が目に入った。そこにも工具箱と大量の歯車が積まれていたが、それに混じって大振りのスコップが載っている。
─スコップ…?
一つの可能性に思い至る。
「おい、お前らちょっと来い」
「へ?あたし?」
「お前じゃない、
ボクは間抜け顔の鬼は無視して、その肩の上の鳥と曳いている犬を指差した。
「お前ら、この
「ワウ?」
「け?」
とりあえず犬と鳥は軽トラックの荷台に上がり、ポオはスコップの匂いを嗅ぎ、ぬえは突付き始めた。
「あの……」
不意に声が掛かり、ボクとジャッキーは顔を上げる。
十代後半か二十代前半と見られるショートカットの女性が、柵の向こうからこちらを窺っていた。
Tシャツにハーフパンツという普段着で手ぶら、特別な化粧などもしていない。近所の住人がちょっと表に出てきた風情だ。平日の昼間に自宅にいるのなら学生だろうか?
「えっと…こちらの家の方ですか?お爺さんの独り暮らしだと思ったんですけど…あの白髪で作業着着て、眼鏡とマスクの……」
その推定女子大生の表情にはボク達を不審がる色もあるが、何か思い詰めた感じもある。ジャッキーが用があって訪ねただけだと伝えると、女子大生は「そうですか……」と逡巡した後に、意を決した様に続けた。
「ウチの母が、お昼に足りない材料買いに近くの八百屋さんに行くって出たきり、もう二時間近く帰ってこないんです。二十分もあれば往復できるのに…それでお昼も過ぎちゃって、八百屋さんに見に行ってみたら来てないって言うんですよ。それで探したんですけど、普段いそうなお店とかにも見当たらなくって……
母を見ませんでしたか?五十代で、割と体格が良くて…いつも母はこの裏の川沿いの道を通るんですけど、先月、その川が流れ込む霞ヶ浦で水死体が見付かったんですよね。それで私、怖くなっちゃって……母は夜もここら辺ジョギングコースにしてて、だから慣れてる道なんですが……」
夜。
いつも通るコース。
そこから姿を消した女性。
それは、
「ワン!」
「けえ!」
犬が吠え、鳥が啼いた。
「ジャッキー!そのシャッターぶち破れっ!」
「えっ、あっ、ハイ!」
ボクの切迫感に相棒が反応し、ポオのリードとゴルフウェアの紙袋を瞬時に手放す。
そしてシャッターに向かって突進した。
ドガシャアッ!
鬼娘の渾身のタックルに、錆だらけのシャッターはあえなく折れ曲がった。
それを両手でベリベリと引き剥がす。
刹那。
キュイーン……
駆動音がして、巨大な歯車の怪物がこちらに襲い掛かってきた。
「キャアアアッ!」
「なっ…ホントに動いてるっ?」
女子大生の悲鳴にジャッキーの動揺が重なる。
ボクは檄を飛ばした。
「そいつを倒すんだ!」
「うん!」
ボクの指令に瞬時に戦闘モードに入るジャッキー。何かの鉄人かロボを動かしているみたいでちょっと気分が良い。出来れば返事は濁点付きの『ま!』が良かったが……
「うっ重っ…」
さすがの鬼娘ロボもこの重量には苦戦するか。
「いけっ…その歯車の首叩き折って息の根止めろ!
「や、やってみるっ…」
ジャッキーは胸でギアレムの体を受け止めて、空いた両手を
その首根っこを鬼の手がへし折ろうとした時──
「やめろおおお━━━っ!」
キュイーン……
駆動音を響かせて、別の影がジャッキーに飛び掛かった。
手にした棒状の金属─ラックを振り下ろす。
キュイーン……
「けえっ!」
ぬえが殺意を感知して膨らむ。
ガキッ。
咄嗟にジャッキーが左腕を掲げ、ラックが直撃して骨が砕ける音がした。血も飛び散っているが、まあ大丈夫だろう。
「
「う、うんっ…」
右手でギアレムを支え、折れた左手で襲ってきたヤツを抱え込むジャッキー。そいつはもがいて暴れ、その度に『キュイーン…キュイーン…』と駆動音を発する。ジャッキーは必死の形相で抑え込み、砕けた左手首はブラブラしているが、まあ大丈夫だろう。
その隙にボクはガレージの奥に走り、あの手裏剣の様な歯車の周りを掘り起こす。
やがて顕れた光景に、それまでガレージの入口で固まって声も出せず
「お母さんっ?」
ロングスカートにサンダル履きの女性が
歯車が自立していたのはその為だ。
「お母さんっ…お母さんっ!」
歯車の海に足を取られて転びながら、女子大生は母親の
ボクは鋭く指示を飛ばす。
「まだ息がある。早く救急車を!」
顔面蒼白の女子大生が慌ててスマホを操作するのを横目に、ボクはポケットから癒し効果のあるラファエルの青い羽根を取り出した。刺さっている歯車を抜くのは大量出血を招いて危険なので、羽根を母親に
「ぬえ!お前がさっきスコップの
「けえけえ!」
やはりそうか。
スコップにポオとぬえが反応したのは、そこに橙子の血の匂いと、その首を切断した犯人の殺意が
あの首を切った凶器は何だろうとずっと思っていたのだが、切断面から見てスコップで叩き切ったとすれば腑に落ちる。犯人はあの森に橙子の死体を軽トラックで運び、ただ遺棄するだけじゃなく埋めようとしていたんだろう。それが死体を見られたから、予定変更で持ってきていたスコップでボクを殴り、扼痕の遺る首だけを切断して持ち去ったんだ。
だから
キュイーン……
この、
伝助と名乗った元歯車職人だ。
〈パワーアシストスーツ〉は身体に装着し、電動の
老人の上半身は背中に背負ったランドセル状の動力部が、肘まで覆うグローブとベルトで繋がっている。これで握力と腕力を強化しているのだろう。
そして下半身には腰回りから両脚の外側に沿って強化プラスチック製の補助具を装着しているが、まるで体を外から支える外骨格の様だ。これで脚力もアシストしているだろう事は、さっきジャッキーに飛び掛かってきた勢いが物語っていた。
その腕や脚を動かす度に、あの「キュイーン」という駆動音がするのだ。電動のモーター音だと思われる。背中のランドセルにはバッテリーも入っているのだろう。
「パワーアシストスーツは重い資材を取り扱う建設現場や迅速に荷物を運ばなくちゃいけない物流業、中腰の姿勢で長時間作業する農業など様々な分野で活用されてるけど、怪我人や高齢者のリハビリテーションにも活用されててね。運動能力が低下している患者が筋力を回復し、自立した生活を取り戻す為にも役立つんだ。
爺さん、あんたはそれを殺人に悪用したんだな?
体が衰えてるのは本当の様だから、犯人なら何か
ジャッキーに動きを止められた老人は、黙ってボクを睨み付けていた。時折その腕や脚を外そうと動かしているのか「キュイーン」と鳴る。見れば脚を支える外骨格の関節部分には歯車の様な部品もある。
「つまりあんたの方が動く歯車人形で、ギアレムはただの
「オモチャ?だって襲いかかってきたよっ?」
まだ老人とギアレムから手が離せないジャッキーが戸惑った声を上げる。
ボクは思い切り冷たい目で返した。
「バーカ。
お前がシャッターに体当たりした衝撃で倒れてきただけだ」
「えっウソっ…」
そう、
殴られた時にボクが見た歯車に関しては、既に解答を思い付いていた。
あれは脳の視覚中枢の血管が収縮し、一時的に血流が変化する事で起こる視覚異常──〈
網膜剥離などの目の病気が原因の時もあるが、多くは脳梗塞や脳腫瘍等の脳疾患で脳内の血流が阻害される事で発症する。そしてボクの様に頭部に衝撃を受けた時にも起きる事があるのだ。
その症状は突然視界にギザギザした稲妻の様な光が現れ、その後その光が徐々に広がり視界の一部が欠けたりする。これは偏頭痛の前兆現象としても知られているが、かの文豪・芥川龍之介がやはり偏頭痛持ちで、彼がその閃輝暗点の症状に襲われた時の事を作品中でこう書いている。
右目の
その作品の
ボクは老人を見据えて言う。
「爺さん、あんたがその歯車のオモチャをずいぶん大事にしているのは充分に分かっていた。それでジャッキーならギアレムを壊せるって煽ったのさ。そうすりゃあんた、頭に血が上って殺意を抱くだろ?そしたらそれをスコップに遺ってた殺意と照らし合わせる事で、あんたが犯人だって確定できるからな」
「殺意…じゃと…?」
老人の絞り出す様な声に、ボクは冷たく返す。
「ついでにこの手裏剣みたいな歯車が立ってた意味にも気が付いた。今このガレージでも、あの森の中と同じ事が起きてるってね。つまり、殺人の証拠隠滅だ。
あんた、このオバさんが死んだと思って、橙子みたいにどうにか誤魔化そうとしたんだろ?それでそのスーツを着て力仕事しようとしてた音、さっきも聴こえたぜ。そこにボク達が来たから、慌ててスーツを脱いでオバさんも歯車の中に隠した。そして邪魔者を追い返してまたそのスーツを装着して…今度は背中の傷を隠すのに胴体だけ捨てようと思ったか?」
女子大生が「ひいっ」と引き攣った声を上げた。ああ悪い悪い。
「とにかく細かい動機は分かんないけど、あんたは近所で見かけた二人─橙子とこのオバさんを連続で狙った訳だ。ま、そこら辺は犯人だって確定したら自白してもらおうか。
ぬえ、この歯車も突付いてみ。それでまたこの爺さんの殺意が感知できりゃ──」
ボクはニッコリと
「
ドタバタ騒ぎにポオと身を寄せ合って避難していたぬえが、パタパタと飛んできて手裏剣歯車をコツコツ突付く。
「けえ!」
案の定殺意を感知して、綿菓子の様に膨らんだ。
「どうだ?爺さんの殺意だろ?」
ボクは
だが。
「けぇ…?」
首を捻るぬえ。
何を悩んでる?
「オイ…橙子の首を絞めた
「けえ!」
やはり同一の犯人による連続殺人だ。
「それがこの爺さんの殺意と同じならコイツが犯人なんだよ。スコップでボクを殴ったのは爺さんなんだろ?」
「けえ!」
「で、それが殺人犯の殺意と一致すれば──」
「けぇ…?」
まさか…
そこで思い出す。
そうだ…この爺さんには、橙子の死亡推定時刻にアリバイがあった……
「ヒヒヒッ…すまんのぉ!」
老人が唐突に嗤い出した。
「確かにワシは坊やを殴って女の首を切ったし、そのオバさんも隠そうとした。そういう意味じゃ
そう言って老人は、
「いやあ、ワシが目を離した隙に、二人も殺しちまうとは…すまんすまん。このコ可愛さについ証拠隠滅してしもうた。でも泥人形のゴーレムを殺人罪で逮捕なんて出来んじゃろ?
ワシの共犯の罪は重いかのぉ?やっぱり刑務所に入るんだよな…その間このコを磨いてくれる人はおらんかなあ……」
─何を…言っている?
ジャッキーが嗤い続ける老人とギアレムを怯えた目で見ながら、更に力を込めて押さえ付ける。絶対に動き出さない様にと、必死に。
─そんな…馬鹿な……
たかが人間ごときが、そんな簡単に無生物から生命を生み出せるなど………
遠くから救急車のサイレンが聴こえてくる。
「あり得ない……!」
「
不意に耳元を何かが掠める。
ガラランッ。
見れば左手の壁に10センチ程の歯車が跳ね返って転がった。当たっていればそれなりの怪我をしただろう。どこから飛んできた?
右手を見ると二階から下りてくる鉄製の内階段があり、そこに人影があった。
白髪で眼鏡を掛けてマスクを着け、グレーの汚れた作業着を着た老人が、物を投げた形で右手を前に突き出している。
「えっ…おじいちゃんがもう一人っ?」
驚くジャッキーの腕の中で、同じ姿のアシストスーツの老人が「キュイーン」と暴れた。
「出てきちゃ駄目だよ、伝助さんっ!」
─伝助さん?
もう一人の老人は俯いて階段を下りてきながら、ブツブツと呟く。
「人ん
犬の散歩する女もジョギングするババアも、毎晩ワシの悪口言いおって煩ええっ!」
「あんたの悪口?」
思わず反応してしまったボクに、もう一人の老人は瞬時に顔を向けた。眼鏡の奥の目がギラリと光る。
「お前もワシを馬鹿にするのかあ━━━っ!」
「けええっ!」
派手に膨らんだぬえがパタパタと飛び上がり、ボクに向かってコクコクと頷く。そうか──
殺意が一致したんだ。
連続殺人犯は
「危ないっ!」
ジャッキーが叫ぶ。
ぬえとのアイコンタクトの隙に一気に階段を駆け下りた老人が、ボクに飛び掛かってきていた。こちらはアシストスーツが無くても素早く動けるのか。
その手にはギアレムの腕に使っているのと同じ棒状の金属を持っているが、ご丁寧にその先に太めの歯車を嵌め込んでいる。ちょうどゴツい
また殴られて…歯車が回るのか。
今度は気絶で済むかな──
「テンちゃあんっ!」
白い風が吹き抜けた。
ガゴッ。ガラガシャアッ。
金槌的な凶器が吹き飛んで天井に当たり、歯車の海に落ちる。
ドガララアッ!
老人も吹き飛んで、歯車に塗れながらガレージの奥の壁に激突した。
「伝助さぁ━━んっ!」
アシストスーツの老人が悲鳴を上げた時には全てが終わっていた。
静まり返ったガレージの中央で翼の様に広がっていた白いワンピースの裾がフワリと鎮まり、黒髪がサラサラと揺れる。
超高速で駆け込んでくるなり凶器と老人を手刀で弾き飛ばしたのは、日本人形の様な鬼娘だった。
「マキ……?」
「ウフフ…鉄斧で切り裂いたり鉄の巨象に踏み潰されたりする責め苦がありますが、歯車もなかなか痛そうで良いですわね」
「……わたしが伝助さんと同僚として工場で出遭った時、最初は全く口も聞いてくれなくてね。てっきり嫌われてるんだと思いましたよ……」
アシストスーツを脱ぎ、マスクも外した老人は淡々と語り出した。
ボク達は歯車が刺さったオバさんと娘の女子大生が救急車に乗っていくのを見送った後、マキのスマホで110番にも通報した。その警察が到着するまでの僅かな間にこの老人から話を聞いている。彼が名乗った『伝助』は実は殺人犯の老人の名前で、本人は吾朗というそうだ。
その吾朗が歯車の上に座り込んでいる傍らで、伝助はマキの一撃により気を失ったままだ。弾き飛ばされた衝撃で眼鏡は吹き飛び、ダメージを確認するのにこちらもマスクを外した。大した怪我もしていなかったので救急車は断り、まだ効力が残っていたラファエルの羽根を載っけてあるが、しかしこうやって並んでいると二人の印象は本当によく似ている。マスクを外してやっと見分けが付いたほどだ。それを告げると吾朗は恥ずかしそうに笑った。
「いや…わたしが似せたんですよ。嫌われてるとは思ったけど、伝助さんを尊敬してたから…年齢はわたしの方が一つ上なんですよ?でも伝助さんの
わたしは嫌われててもいい、少しでも伝助さんに近付きたいって傍にくっ付いて、一生懸命そのやり方を真似してね。そのうち髪型とか格好まで真似する様になって……まあもう、熱狂的なファンですね」
今時の『推し活』だな。
吾朗は見た目こそ同じだが、さっきまでとはまるで違う穏やかで理知的な語り口で続ける。喋り方もコピーしていたという事か。
「そうやって真似してたら、わたしもそれなりの職人として周りから一目置かれる様になりましてね。元々わたしは社交的な方なんで、同僚や先輩後輩、出入りの業者さんとも上手くやってましたし。
でも相変わらず伝助さんとは親しくなれなかった。ただその頃にはわたしが嫌われてるというより、伝助さんが誰に対しても同じ態度で接してるのが分かってきた。人付き合いが苦手で結婚もせず、趣味も無く歯車造り一筋で──この人はシャイで不器用なんですよ。手先はあんなに器用なのにねえ……」
優しい目で伝助を見つめる吾朗。
「でもね…そのままだったらそれで終わったんですよ。名人とそれに憧れるファンとして、同じ工場でずっと歯車を造り続けて…それで終わったんです。
だけど或る日、勤め始めて十年近く経ってたかなあ…偶々伝助さんとわたしが二人だけで残業しててね。そこだけ照明を灯した工場の隅で並んで、黙々と機械を整備してた。
そしたらね、突然伝助さんがポツリポツリ話し始めた。全然わたしの方を見ないから最初は独り言かと思ったけど、違うんです。わたしに話しかけてくれてたんです!
それだけでも感動モノだったんだけど…その時言われたのがね……
『なあ吾朗。
歯車の歯の数の組み合わせは自由だけど、常に同じ歯同士が当たると傷が大きくなったり、特定の箇所で音が発生して、長持ちしなくなる。
それを防ぐ為に、歯数が互いに
「そ?」
精神年齢だけじゃなく学力も小学生のジャッキーが首を捻る。仕方無く説明してやる。
「〈
〈互いに素〉と言う場合、それぞれ異なる素数同士をペアにするって事で、歯車なら歯数を異なる素数にして組み合わせるんだな」
「そうです。例えば片方の歯車の歯数が17ならもう片方は23とか、そんな互いに素である組み合わせにすると、回転する度に毎回当たる歯が変わるんです。そうすると全体の歯のすり減り方が均一になって、歯当たりが滑らかになる。英語だと『ハーモニック・ウェア』とも言いますけどね」
「ふうん…『調和しながらすり減る』って事ですわね」
「へえ、マキの方が学があるな」
何気なくそう言ったら、ジャッキーの
「そして伝助さん…こう言ったんですよ。
『ワシらお互い性格も歯数も違う歯車だけど、仲良くすり減っていこうや、ヒヒヒッ』て……
伝助さん、わたしを認めてくれて、受け容れてくれたんです。わたし…わたし…嬉しくってねえ……」
吾朗はうっとりとした目で伝助を見つめ、涙ぐむ。
良い話の様だが伝助の笑い方が気になるな。
「それからずっと…四十年、二人で歯車造り続けて、互いに独り身のままで……でも幸せだったんです。ずっと、二人でゆっくりすり減って……
それが五年前位から、伝助さんの様子がおかしくなってきたんです」
それまで幸せそうに遠くを視ていた吾朗の顔が歪む。
「あんなに確かだった
そして或る日わたしの顔を見て言ったんです。
『あんた誰だったっけ?』って。
その時はすぐ正気に戻って思い出してくれたんですけど、それから度々そういう事があって……
遂に回ってる旋盤を素手で触ろうとして。そんなの指が吹っ飛びますからね。大慌てでその場の工員皆で羽交い締めにして止めたんだけど、伝助さん、激怒して喚いて…それで細身だけど筋肉質で力強いから、何とか収まった時には転んだり頭ぶつけたりで二人怪我人が出てた。だけどわたしがフォローするからって社長に土下座して、何とか工場にいさせてもらったんです。だって歯車造る以外、伝助さんに…わたしに…何があるんですかっ?
それでもね、伝助さん、歯車造りの工程はちゃんと覚えてた。確かにミスが増えて、名人の手付きじゃなくなって、段々わたしの事が分からなくなってきても、基本的な歯車の造り方だけは忘れない。いや…歯車を造ってる時だけが穏やかな伝助さんに戻ってくれる。だから、だからわたしは、そのままずっとこの人を支えようと……
なのに三年前、今度はわたしの体が衰えてしまって、引退せざるを得なくなった。それはさっき話した通りなんです。でもそうなると、当然伝助さんも工場にはいられない。だから一緒にこの美浦に引っ越して、二人で住む事にしたんです。二人共独りだったから…」
先ほど吾朗が伝助を名乗って語っていた事は、だいぶ事実を含んでいたという事か。ただそれが一人ではなく、二人分の話だったのだ。
「だけどあんた、何で自分が伝助だって名乗ってたんだ?見た目と喋り方を似せるだけじゃなく、何で名前まで…警備の仕事だって伝助として行ってたんだろ?だから近所の人は皆、この家は独り暮らしだって思ってたんだ」
「それは……」
言い淀む吾朗はチラリと伝助に目を落とす。
「工場を辞めてから伝助さんの状態は一気に悪化して、ここに移り住んでも無気力で部屋に引き込もるばかりで……体はわたしより健康なのに、食事もトイレも自分では行かないんです。ずっと汚れた作業着のままで、片付けていない部屋でゴミに埋もれて……」
なるほど…認知機能の問題だけではなかったのか。
歯車造りだけが世界の全てだった伝助は、それを喪って
彼の様に仕事一筋の高齢者が退職したり、学生がイジメで不登校になったりして生きる場所を見失うと、自分自身を
「わたしが面倒見るしかないんですけど、こちらも体が衰えています。トイレや風呂で伝助さんの体を持ち上げたり、肩を貸したり出来ない。
だから
そうか。
ボクは腑に落ちて、吾朗が傍らに脱ぎ捨てたアシストスーツを見た。
「でもわたしは、伝助さんだけがすり減っていくのが嫌だった…二人で仲良くすり減っていきたかったんです!
だから世間には、伝助さんがまだ働けて、何かに打ち込んで生活してるって思って欲しかった。
実際に歯車を譲ってもらった時は伝助さん、急に目を輝かせて昔に戻って『やっぱり歯車はええのぉ!綺麗じゃのぉ!』って笑ったんですよ!わたしにも『何を造ろうかのぉ、
「それで
「ええ、久し振りに伝助さんと
それで希望を持ちました。まだ諦めちゃいけない、いつか昔の伝助さんに戻ってくれる。それまでわたしと伝助さんは
でもギアレムが完成してしまうと、伝助さんの状態は元に戻りました。いや…悪化したんです。一日中声が聴こえる、家の周りを取り囲んで皆が自分を罵ってるって言い出して…わたしは気のせいだって何度も言いましたが聞いてもらえなくて……」
喪失感からセルフネグレクトに陥り、そのセルフネグレクトが更に自分を精神的に追い詰めていく。そんな悪循環のストレスで幻聴まで起こしていたという事か。
吾朗の声が震える。
「でも…油断してました。伝助さんは引き込もってるから、家の中だけ気を付けてればいいんだって思い込んでた。だけど……
一ヶ月程前の事です。夜の警備の仕事を終えて帰ってきたら、ガレージのシャッターが開いている。だけど電気は点いてなくて、何事かと見れば、真っ暗な中に伝助さんが立ってるんです。それでその…さっきあなたを殴ろうとした、あのラックに歯車を嵌めて金槌みたいにしたのを持ってる。
そしてその歯車は、血だらけでした。
問い詰めて何とか聞き出したのは、裏道を通ったホームレスが二階の窓を見上げて笑った。自分を馬鹿にして嗤ったと。だから川沿いをずっと追いかけていって、湖畔の広場で殴ったって……
そんな…そんな…わたしは
油断したわたしの責任だ……
伝助さんを殺人犯には出来ない……
だから…だからわたしは…アシストスーツを着て現場に行って……
そのホームレスを…霞ヶ浦に投げ込んだんです……」
ジャッキーが顔を歪め、マキが目を細める。
そうか…さっき女子大生が言っていたな。一ヶ月前に水死体が上がったと。
橙子が最初じゃなかったのか……
吾朗は自分の髪を掻き
「何て事をしたんだと、繰り返し、繰り返し後悔して…だけど伝助さんを護れるのはわたしだけです。ホームレスには可哀想だけど、仕方無いって自分に言い聞かせて……
だからその死体が見付かって、でも殺人を疑われる事は無かった時、わたしは『助かった』って喜んでしまったんです。
それでもう終わりだと思った。なのにっ……
そしたら今朝、徹夜明けで帰ってきたら裏道で女性が首絞められて死んでて…その首を隠して帰ってきて仮眠して…起きたらまた裏道に、今度は歯車が刺さったお母さんが倒れててっ……」
ボクは顔を
そしてそれを盲目的に吾朗が庇い、あらゆる策を弄して隠蔽しようとした。最後には歯車の人形が殺人を犯したなどと、アクロバティックな言い訳までして……それが今回の事件の全容だ。
ボクは俯いている吾朗をジッと見る。
敬愛する同僚を庇う為とはいえ、普通ここまでやるか?
……いや、唯一の
そういえば言っていたな。あの時は
『ワシの家族は一人だけじゃ。
この家で誰にも邪魔されず、いつまでも二人で暮らせたらそれでいい……』
外からパトカーのサイレンが近付いてきた。
話はここまでだが、もう充分だろう。
二人がやったのは
「あんたら…揃って地獄に堕ちるからな」
顔を上げた吾朗は、ホッとした様に僅かに
「──で?」
伝助と吾朗を警察に引き渡し、事情聴取後に解放されて歩き始めた途端、ジャッキーがボクに詰め寄った。訳が分からないので「は?」とだけ返す。
「何でマキが助けに来たのよっ?」
そう言ってジャッキーはマキを睨んだ。
三人並んで歩いているが、ボクが真ん中で右手がジャッキー、左手にマキがいる。そのボク越しの剣呑な視線を、しかしマキは優雅にいなす。
「だってこの天使様、メールくれたんですもの。約束通り面白いモノ見せるからすぐ来いって……確かに変な歯車人形と真剣に戦ってる貴女は面白かったですわね〜」
「なっ…メールなんてどうやって送ったのよ?テンちゃん、スマホ持ってないじゃん!」
「ああ、それは──」
ボクはポケットから黄色い羽根を出してヒラヒラと振る。
「
「へえ〜便利ですのね」
マキが感心してボクの肩に手を掛け、ジャッキーが珍しく鬼の様な形相をする。
「だ、だったら今朝だって、警察呼ぶのに110番出来たんじゃっ…」
「言ったろ?ボクが持ってるのは天使達の
「マキにメールするのがそんなに大事なのっ?」
「何を怒ってんだお前?何か今回嫌な予感したからさ、せっかく助っ人になるかと思って呼んどいたのに。実際ボクの推理微妙に外れたしな。あ、頭殴られたからかな…」
「マ、マキもさ、何で助けてくれたの?あんた、あたしの事キライでしょっ?」
「ええ、嫌いですわよ。貴女みたいな鬼の風上にも置けない方は」
あっさり言われて苦虫を噛み潰した顔になるジャッキー。
対してマキは涼しげに笑う。
「でもこちらの天使様は結構冷淡で残酷で、面白いなって……地獄に人を堕とす仕事、そこの鬼より向いてますわ。推理力も知識もあって…ゴルフにまで詳しいですしね。まあ、体は弱いですけど」
ボクも不機嫌顔が悪化するが、気にせずマキは続ける。
「どうかしら、わたくしと二人で組みません?
ツーサムですわ」
「うえっ?」
ジャッキーが物凄く焦る。
「ボクがマキと?どうかな…」
ボクが考える素振りを見せると、ジャッキーは何だかショックを受けて泣きそうになっている。
「慣れていないとは思いますが、わたくしがパートナーとして手
それではアオキさんとオザキさんを待たせてますので失礼致しますわね。ごきげんよう〜」
マキは最後にボクに妖艶な一瞥を残し、ワンピースを翻して軽やかに去っていった。
ボクはその隙の無い立ち居振る舞いを見送りながら、しみじみと言う。
「ジャッキーが
「……キ、キミが……マキの方が良いなら……」
「ん?」
振り返るといつの間にか立ち止まっていたジャッキーが、下を向いて両手の拳を握っていた。その肩がプルプルと震えている。
「そうだね…マキは優秀だもん……
キミの良い…
顔を上げたジャッキーの目には大粒の涙が溜まっている。
「あたし…地獄に帰るね……
大丈夫…また…血の池掃除するから……」
泣きながら無理に笑うジャッキー。
ボクは意味不明な言葉にしばらく唖然としていた。確かにマキは『二人で組もう』と誘ってきたが──
「…何でお前が地獄に帰るんだ?休暇で来てんのはマキの方じゃん。
そんで『ツーサム』って言ってたろ。
あれは二人でラウンドする時の
帰る前にもう一回、ゴルフしたいんだな」
「………え?」
「美浦ゴルフ倶楽部でマキ達と出遭った時にゴルフについて偉そうに語っちゃったのは、ボクも今ちょっと後悔してる。まさか鬼にゴルフしようって誘われるとはね。ウェアは買ったけどさ…知識はあるけどやった事ないし、体力も無いからなあ……」
腕組みしてブツブツ言いながら、
しばらくしても付いてくる気配が無いので、振り返らずに
「オラ、次のパトロール行くぞ。
今度はどこにするんだ?」
「あ…えっと…えっとねっ……!」
何だかホッとした様な声で、相棒が追いかけてきた。
─ったく、何を考えてんだか分かんないヤツだ。
まあ…歯車の歯数は互いに素が上手くいくって言ってたけどな。
数日後。
二人の老人─伝助と吾朗は自宅に帰された。
殺人と殺人未遂の容疑で逮捕された被疑者としては非常に稀ではあるが、在宅での捜査が行なわれる事になったのだ。全ての犯行を自白し、空き地に埋めた橙子の首も証言通り見付かって、逃亡の恐れが無いとされた。勿論警察の監視下には置かれるが、片や精神的、片や体力的に長期の勾留には耐えられないという判断である。
家の前までパトカーで送ってもらい、二人は門を潜った。吾朗のパワーアシストスーツは証拠品として押収されてまだ返却されていないが、ガレージのシャッターは外からでも電池キーで自動で開けられる。ガガガガと引っ掛かりながらようやく開いたシャッターの中に入って、伝助の手を引く吾朗はハッと立ち止まった。
漆黒の歯車の海の中央に、巨大なシルエットが立っている。
その機械的な形状…そしてグルリと歯の付いた大きな円形の頭……間違いない。
だが
ギアレムはガレージ内の鑑識作業の際、倒れると危険との判断で分解されたのだ。
その
「…伝助さん…見てください……
ギアレムが生きてましたよ……」
吾朗の声は歓喜に震えている。
一方の伝助は目の焦点が合っていない。
吾朗が伝助に肩を貸し、二人は歯車を踏み締めながらゆっくりギアレムに近付く。吾朗がギアレムの顔にそっと左手を伸ばす。
「わたしの…わたし達のコ。
二人で造った可愛いコ。
わたし達の…愛の結晶ですよ……」
吾朗は潤んだ目で右肩に載った伝助の顔を見る。
自分によく似たその人の顔を。
「フフ…あの人達には尊敬してるからあなたの真似してるって言っちゃいましたけど……
好きな人には似るんですよ。
わたしはあなたの為なら、何でもします。
最初のホームレスはまだ生きてたけど湖に捨てて……
二人目の女はあなたが絞め殺したけど、首を埋めて……
三人目のトドメを刺せなくてゴメンなさい。
わたしもあなたも殺人犯だから、一緒に地獄に行けるそうです。どこまでも一緒です。
あなたはずっと気付いてくれませんでしたが……
愛しています…伝助さん」
吾朗が伝助の額にぎこちなく
前触れも無く、
重さ1
二人の老人はあっけなく圧死した。
自分達が生涯を捧げた歯車の下敷きとなったのだ。
地獄へ向かう
もう片方は、自分が誰と共に旅立ったのかよく分からないままだった。
『しかし、私は、自分と苦楽をともにする者を、まだ見出すことができません。どのような幸福が、孤独のうちにありましょうか?独りでいて楽しい思いをする者がありえましょうか?』
(第四話 了)