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 シン、とした厨房。ぴかぴかに磨かれたステンレスの調理台。ガス台の上に吊るされた銀色の鍋やフライパン。食器乾燥機に入ったままのグラス、皿、スプーン、フォーク。調理台の背後の冷蔵庫が、時折思い出したようにブゥーンと低く唸る。

 生け簀の中で五匹のふぐが、ふよふよとおもちゃみたいに漂っている。小さな尾びれをひらひらさせて、浮いたり沈んだり、沈んだり浮いたり……。

 ヒュウガはひとり、調理台に肘をついてそれを眺め、疲れにまみれた溜息をついた。

 料理ができないとはつまらないものだ。それも、殺人容疑が原因で。おかげで暇を持て余すことになった。今となっては自分に指示を出す主人もおらず、おやつを作ってほしいと願い出る者もいない。自ら積極的にできることと言えば、館内の清掃くらいだろうか。だがそれも、同じく暇を持て余したイズミが完璧にこなしてくれている。

「もう一度、シンクでも磨こうか」

 ヒュウガは緩慢な動作で立ち上がり、メイド服の裾を捲った。すでにぴかぴかと顔が映り込みそうなほど磨き上げられたシンクの前に立ち、ゴム手袋をはめる。塩素系の漂白剤をシンクに吹き掛け、固めの泡がゆっくりと銀色の面を流れ落ちるさまを眺める。

「大丈夫……かな……」

 漂白剤の泡が、波立つ海の白泡と重なって見えた。憂うのは、潜りに行ったイズミたちのこと。海底ケーブルを見に行くことにヒュウガは反対だった。見に行って、仮にケーブルが切れていたとして、自分たちに何ができるというのだ。ただの電話線ならいざしらず、海底ケーブルなどいくら杏子が工学に敏いとはいえ修復は不可能だろう。

 ヒュウガは良からぬ疑いをかけてしまう。結局杏子は、ケーブルだなんだと言ってイズミを連れ出したいだけなのだ、と。彼女はイズミをいたく気に入っている。隠しているつもりだろうが、ヒュウガにはバレバレなのだった。

 白い泡がこぽ、と音を立てて排水溝に吸い込まれてゆく。そこではっとして水を流した。スポンジで残った泡を落としてゆく。塩素系はステンレスと相性が悪く、長時間使うとシンクを錆びつかせてしまうのだ。

 洗い流しながらまた物思いに耽る。あっさりついて行くイズミもイズミなのだ。まったくお人好し。ダイビングにだって興味が無かったくせに、杏子に誘われるままライセンスまで取ってしまって。結局、優しすぎるのだとヒュウガは思う。イズミのことだ、断ろうと思えば波風立てずに上手く断れただろうに。ホント、馬鹿だ。

「誰にでも優しいのは〝いい人〟じゃなく〝馬鹿〟なんだよ、イズミ」

 けれどヒュウガは、そんなイズミが好きだった。

 生け簀の中で五匹のふぐが泳ぐ。ふよ……ふよ……。

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