ボーン……ボーン……ボーン……。
食堂の掛け時計が正午を告げる。話し込んでいたオレと里来は、その音にいったん会話を打ち切られた。テーブルの向かいに腰掛けた里来が、掛け時計を見上げて言う。
「あと三十分だな」
なんのことだろうかとオレは首を傾げる。
「あと三十分で、杏子たちが潜りに行ってから二時間だ。戻って来なけりゃ見に行くぞ」
ああ、と思い出した。そういえば杏子がそんなようなことを言っていた。里来はそのときオレに『忘れんなよ』と念押ししたが、オレは話に夢中ですっかり忘れていたのだった。
居間から続く扉が開いた。やってきたのは伊織だ。彼はオレを探していた様子で、
「ああ、無人、ここにいた。昨日言おうと思って忘れてたことがあって」
「なんだ?」
伊織は里来に軽く会釈し、オレの隣の椅子を引いた。
「里来さんも聞いてください。実は僕、昨日まで二人のことを疑ってたんです」
「ほぅ」
里来が興味深げに身を乗り出した。
「いえ、もう、僕の勘違いだってわかりましたから。無人には話したんですが、初日の夜のことなんです。ビーチでバーベキューしてたとき、無人と里来さんは二人で館に戻りましたよね」
「ああ、その話か。お前随分しつこく聞いてきたよな、オレと里来さんが本当に地下庭園にいたのか、って」
「うん、そのこと。僕はあの日、確かに君たちが地下庭園にいた時間に地下庭園に行ったんだ。けれど扉は閉まってた」
テーブルの向かいから里来が反論する。
「俺たちは鍵なんざ掛けてねぇ。庭園の鍵は、文哉が一人で籠りたいってとき以外は開けっ放しだぞ?」
「はい。たぶん、里来さんたちが入った扉は開いていたんだと思います。僕が見たのは、機械室から庭園に続く裏口の方だったんです。僕はあの時点で庭園の扉が二つあるとは知らなくて」
「なるほど。裏口はたいてい閉まってるからな。あれは、庭園内の温度や湿度を調整したり、人工雨を降らせたりするときに開けるだけだ。機械室と庭園を往復しながら具合を見るためにな。鍵は、もう一つの扉と同じものだ」
「でも、なんでそんな勘違いしたんだよ」
オレは誤解が解けてほっとしつつ、非難めいた口調で聞いてしまう。正直、部屋に呼ばれて問い詰められたときの彼の様子は異常だった。わけがわからず、随分と混乱させられたものだ。
伊織は申し訳なさげに答えた。
「巨大階段をね、僕は左の壁伝いに降りたんだ、暗くて何も見えなくて。それで、僕はそのまま踊り場を左に曲がったから、右側にも階段があるなんて気づかなかった」
しゅんとする伊織を見ながら思う。彼を勘違いさせたのは、なんのことはない、単純なトリックなのだった。地下庭園への扉は一つ限りであるという思い込みと、左側通行をしがちな日本人の心理、そして視界を完全に奪う暗闇。
「そうか。……まあ、そんなこともあるんだな。誤解が解けて良かったよ、伊織」
こんな風に殺人のトリックも実は単純なものなのだろうか、とオレは考えてしまう。しかし、単純なものの寄せ集めでも人を殺せるのかと思うと逆に恐ろしくもあった。
と、そのとき給仕用の扉がノックされ、ヒュウガが姿を現した。
「失礼いたします。杏子様が戻られました。イズミも共に。お話があるとのことでして、お着替えが済むまで皆様には居間でお待ちいただきたいと」
オレたちは頷いて立ち上がり、居間へ移動することにした。