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 イズミが杏子の部屋の酸素濃度調整システムを切りに機械室へ行き、居間に戻ってきたところで話し合いが開始された。いや、話し合いという言い方をしては語弊がある。探り合いだ。

「殺(や)ったのは誰だ? ……と聞いたところで名乗り出る馬鹿はいねぇな」

 里来は最初にそう言ったきり、ソファに深く身を沈め、黙ってしまった。仕切り役を失った場は静まり返る。オレは里来の代わりのつもりで口を開いた。

「杏子さんの首には、細い紐のようなもので締められた跡があった。絞殺だ。つまりは完全な他殺なんだが……どういうわけか、あの部屋は施錠されていて、二本の鍵はキーフックに掛かったままだった」

「またしても密室だね……」

 伊織が唇を噛んだ。

「ああ。入るときは簡単だ。適当な理由をつけて杏子さん自身に鍵を開けてもらえばいい。でも、出るときは? 室内に鍵を残したまま扉を施錠して外へ出ることなんてできるのか?」

 誰かにヒントを求めようとオレは皆の顔を見回す。だが、誰も想像がつかないようで、首を振るだけだった。里来に関しては、目を瞑ったまま動かない。

「ひとつだけ……」

 口を開いた伊織は自分の腕のにおいを嗅ぎ、目つき鋭くオレたちを見た。

「犯人を特定できるとしたら、この〝匂い〟だ」

「匂い?」

 伊織に倣い、腕や服に鼻を近づける。すると、あの部屋の、今は死と色濃く結びついた女物の香水のにおいが鼻の奥に感じられた。

 伊織が続ける。

「あの香水の瓶はサイドボードにでも置いてあったんだ。そしておそらく、杏子さんは犯人と揉み合った際にそれを投げた。だから、犯人にもこの匂いが染みついたはずなんだ。それも瓶が割れたばかりの、今の僕たちよりもっと濃い匂いが」

 オレは少し考えて口を挟む。

「だけど伊織、匂いなんてなんとでもなるんじゃないか? 服は着替えればいいし、躰は洗えば――」

 と、ここでオレはあることを思い出して口をつぐむ。確か、あのとき、〝彼〟だけは……

「里来さん、聞きたいことがあります」

 伊織が強い口調で言う。里来はゆるゆると瞼を上げた。

「なんだ」

「あなたは今朝、髪を濡らしたまま食堂に来ましたね?」

「それがなんだよ」

「どうしてですか?」

 オレは伊織の様子から確信した。彼は、里来を疑っている。里来もそれに気づいたらしく、不愉快そうに眉を寄せた。

「どうしてって。朝食が終わっちまいそうだったから乾かさずに来た、それだけだ」

「そういえば、あなたが遅刻するなんて珍しいですよね」

「俺を疑ってるならはっきり言え。回りくどいのは嫌いだ」

「でははっきり言わせてもらいます。躰に染みついた香水の匂いを落としていたんじゃないですか? 何度も何度も洗って」

「なるほど、いい推理じゃねぇか。だが……俺は情けねぇことに、寝過ごしただけだ。こいつのおかげで」

 里来は嫌味っぽく顎をしゃくってオレを差した。

「さっき話しただろうが。俺は二時半に一度目覚めてナイトを部屋から追い出した。だがその後眠れなくてな。朝方ようやく睡魔がやってきたと思ったら、今度は寝すぎちまった」

「それで髪を乾かす時間が無かった、と? 時間が無いのにどうしてシャワーを浴びる必要があったんですか?」

 なおも食い下がる伊織を里来が睨み付けた。そこへイズミが、

「里来様は習慣として毎朝シャワーを浴びられます。これは何年も前からそうであると私は存じ上げておりますが……」

 そう言われてオレは思い出す。そういえば昨日の朝里来が部屋に来たとき、彼から微かに石鹸の香りがしたのだ。

 里来は面倒そうにポケットに手を突っ込み、取り出した自室の鍵を伊織に投げた。

「疑うってなら部屋を調べればいい。香水臭い服なんざねぇがな」

 伊織は鍵を握り込み「ありがとうございます」と言って今度は自分の自室の鍵を里来の目の前に置いた。

「僕の部屋も探ってください。そうじゃないとフェアじゃありませんから」

 そして伊織はオレとイズミとヒュウガを振り返り、

「できたら三人もそれぞれ鍵を交換して部屋を調べてほしい」

 その言葉に従う形で、オレはヒュウガの部屋、ヒュウガはイズミの部屋、イズミはオレの部屋の鍵を受け取った。

 それぞれが居間から各部屋に散ってゆく。ヒュウガの部屋はほど近い。女性の部屋に入ることに少なからぬ躊躇いを感じながらオレは扉を押し開けた。

 ヒュウガの部屋は、隣のチトセの部屋とは左右対称な造りになっていた。簡素なベッド、サイドボード、書き物机、バスルーム。広さは変わらず、調度品も(オレの記憶が正しければ)ほぼ同じといっていい。別段、おかしなところは無かった。香水の匂いもしない。

 申し訳ない気持ちに駆られながらキャリーの中も覗いたが、当然というか、着替えや化粧品が入っているだけで、怪しい物は見つからなかった。服は一枚一枚、化粧品も蓋を開けて匂いを嗅いだ(変質者になった気分で、罪悪感が本当に半端なかった……)。しかし、香水の匂いはしなかった。舐めてもみたが、ただ不味いだけだった。

 三十分ほどかけて、見られる部分はすべて見終わってしまった。オレはいったん背伸びをし、部屋の中央に立ち尽くした。おそらくこの部屋には何もないだろう。あとは、別の部屋から何か証拠が出るのを待つしかない。

 それにしても気になるのは密室の謎だった。犯人は一体どうやってあの部屋から出たのか。内側から施錠し、キーフックに鍵を掛け、自身は扉をすり抜けたとでもいうのだろうか。それとも鍵は実は三つあり、犯人は三つ目の鍵を使って杏子の部屋を外側から――

 ――暗転。

「……なんだ!?」

 何の前触れもなく突然部屋の照明が落ちた。視界は黒一色。どうなっているんだ。

 オレは手探りで入り口まで戻り、扉横のスイッチを押した。……点かない。何度か試してみるが、やっぱり点かない。仕方がないので廊下に出てみる。すると、廊下も真っ暗だった。

「なんだよ……停電か?」

 見えないものの、目を凝らしてあたりを見回す。左の方から扉の開く音がして、

「なんだよいきなり。やってらんないよ、ちくしょう」

 ヒュウガだったが、口調が随分荒かった。これが素の彼女なのだろうかと驚きつつも今はそんなことを考えている場合じゃない。

「ヒュウガ、この停電は?」

「へっ? うそ、無人様! 申し訳ありません。ひとまずは常備灯がデスクの足元にありますので、それを」

 オレは室内に戻って書き物机の下を探る。円筒形の軸を握り、台から引き抜くと、自動でライトが点いた。ようやく視界が戻ってくる。

 同じくイズミの部屋の懐中電灯を持ったヒュウガが廊下側から顔を覗かせた。

「無人様、下へ行った方々が心配です。すぐに合流しましょう」

「わかった」

 オレは廊下に出てヒュウガと共に走った。地下二階の三人に何も起きていなければいいのだが……。

 下のフロアへ降りると、巨大階段の前に伊織と里来が立っていた。二人とも懐中電灯を持っている。

「無人、ヒュウガ。よかった、二人とも無事で。今、イズミが機械室へブレーカーを見に行ってるんだ」

 伊織はオレたちの顔を見るなりほっと眉を下げた。対して里来は、神妙な面持ちで洞窟のように黒々とした巨大階段の底を見つめている。

「この島には十二年前から毎年、一か月間滞在してるが、ブレーカーが落ちるなんざ、初めてだ」

 里来は言った。

「私も初めてです、里来様。この程度の使用量で落ちるというのは……信じられないといいますか……」

 ヒュウガが表情を曇らせる。二人の意味するところは明白だった。オレも同じことを思う。この停電はきっと、犯人の仕組んだ罠なのだ。

「来た」

 階段の底をじっと見ていた里来がそう呟く。イズミが戻ってきたのだ。階下から小さな懐中電灯の光が上がってきて、やがてイズミの姿が見え始める。この長い階段を駆けてきたようで、呼吸が荒かった。

 やっと上まで上り詰めたイズミは頬に汗を伝わせて、

「ブレーカーは落ちていません! こちら側の接続には問題がありませんでした」

 そこで一度呼吸を整えてイズミは続ける。

「となると、問題は〝あちら側〟にあると考えられます」

「あちら側って?」

 オレが問うと、ライトに浮かび上がった色素の薄い瞳が鋭く向けられる。

「ソーラーパネルです。島の西側の」

「そこへ行けばいいんだな?」

「はい、そこの機械室へ。私が参ります」

「僕も行くよ」

 イズミを筆頭に、オレと伊織が補助としてソーラーパネルの機械室を目指すこととなった。里来とヒュウガには館のエントランスで待機してもらい、上手く電気が通ったら花火を一発打ち上げて、知らせてもらう手筈だ。この花火は初日に東郷と杏子が遊んでいた余りである。

 久しぶりに外の空気を吸うような気がした。天気はあまり良くない。厚い灰色の雲が空を覆い尽くし、湿っぽい風が吹いていた。館から見える海は、やや荒れて波立っている。

「急ぎましょう。一雨くるかもしれません」

 イズミが表情険しく言った。

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