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 館から西へ、ソーラーパネルまで続く小道をひた走る。上り坂がきつい。西側は崖になっていて危ないと文哉に言われていたため、こちら側へ来るのは初めてだった。

 西へ行くにつれて風の勢いが増した。耳元でビュオーと唸り声が上がる。髪を振り乱しながらオレたちは走る。

 五分ほどして小さな建物が見えてきた。と同時に、ぱらぱらと雨が降り出す。

「あれが機械室です」

 イズミが走りながら声を張る。雨が本降りになりそうで、オレたちは急いで機械室へ飛び込んだ。

 中は薄暗い。イズミがすぐさま照明スイッチを押す。

「点かない……」

 何度か試すも、蛍光灯が光ることは無い。館と同様、こちらもどこか調子が悪いようだった。イズミは「もしかして」と言って顔を強張らせ、足早に機器の前へ向かう。途端に驚愕の声が上がる。

「嘘! ……なんで」

 オレはイズミの後ろから機器を覗き込んだ。暗いが、窓からの明かりでかろうじてメーターの表示が見える。針の差す先は……ゼロ。

「どういうことだ?」

 機械に疎いオレには何が起こっているのかわからない。イズミはオレを振り向かず、掠れた声で、

「蓄電されていないんです。たぶん……一週間ぐらい前から」

「ええっ!?」

「ここ最近の太陽光の量を考えて逆算すると、だいたいそれぐらいです。おそらくですが、誰かがパネルから蓄電池への接続を解除していたのだと思います」

 伊織が必死な様子でイズミの肩を掴み、顔を覗き込む。

「じゃあ、館の電気は復活しないの? 今空調が途絶えたら、遺躰がっ……!」

 遺躰が腐敗してしまう。この南国であと二日強、持ちこたえるかどうかは厳しい。

「方法はあります」

 イズミは肩の上の伊織の手を強く握り返した。

「予備電源に手動で切り替えるのです」

「それはどうやるの」

「確か……」

 足元の収納扉をばたばたと開け、中身を引き出しながら、

「マニュアルを探してください。どこかにあるはずです」

 オレと伊織はすぐさま収納扉に手を掛ける。

 急げ。遺躰の損傷を防ぐには一刻も早く館の空調を戻さねば。それに天候もいよいよ悪い。雨が激しくなってきたし、遠くで雷鳴も聞こえる。ここは高台だ。雷が落ちれば面倒なことに……いや、そんなのは口実じゃないか。オレは、ヒュウガと二人で残してきた里来のことが心配なのだ。胸を騒がせるのはそのことだ。どうしてもヒュウガが犯人に思えて仕方がない。

 本当は里来も連れてきたかったが、彼が残ると言ったのだ。電気が通ったのをオレたちに知らせるために。それと、ヒュウガを監視するために。

「ありました!」

 イズミが紙の束を持って立ち上がる。

「接続コードを入れ替えてきます。伊織様、手伝っていただけますか? 無人様は、私が合図を送ったらそこの赤いボタンを押してください」

 ボタンの上には、〝非常用〟と書かれている。オレが頷くと、イズミは伊織を伴って雨の中へ出ていった。

 途端にひっそりとする室内。大粒の雨が屋根を叩く音と、徐々に近づく雷の轟きが嫌に耳につく。

 まるでこの島に住む魔女が、オレたちを生きて帰すまいとしているようだと思った。姫たちが自殺し、最後に独りぼっちで残って、寂しくて、それでオレたちを道連れにしようとしているのではないか。

「はは……やめだ、やめ」

 馬鹿馬鹿しくなってかぶりを振った。自分はなんておかしなことを考えている? 童話の世界じゃあるまいし、魔女なんているわけない。殺人も海底ケーブルの切断もこの停電も、ぜんぶ人間がしたことだ。犯人が必ずいる。

 それはヒュウガだ、とオレは思っていた。彼女には怪しい点が多すぎる。

 疑い始めたのは東郷の事件のあとだ。犯行に使われたのは小麦粉。小麦粉の搬入量を決めたのはシェフであるヒュウガだった。彼女は、イズミには小麦粉の搬入量を十袋だと報告しておいて、こっそり十一袋搬入したのだ。それができるのは彼女しかいない。

 次に起こった文哉の事件。生きている彼を最後に見たのは食事を運んだヒュウガだった。一時間後に倒れている文哉を発見したのもヒュウガだ。彼女は、食事を運んだ際にすでに文哉を殺害していたのかもしれない。そして一時間後にさも驚いた様子で遺躰を発見した。

 杏子の事件だって怪しい。夜間といえど、同性のヒュウガならば杏子も安心して部屋へ入れただろう。香水を投げた杏子の行為も、犯人が女だというダイイングメッセージである可能性もある。

 だが幸一の事件についてはまだ謎であった。オレはヒュウガがチトセを騙して幸一を誤射させたと踏んでいるが、証拠は何もない。

 とはいえそのあとのチトセの事件に関しては、ヒュウガの疑いは増すのである。オレたちが幸一を救おうと湖に集まったとき、館には本土へ連絡するためヒュウガだけが残った。伊織の推理に則れば、その間、ヒュウガはチトセを館に呼び寄せて冷凍室へ隠すことができたのだ。それに彼女は、そのあとイズミとともに館中チトセを探したそうだが『いるとは思わなくて冷凍室の中まで探さなかった』と言っていた。本当にそうだろうか。

 そこにチトセがいると知っていたからこそ、探さなかったのではないか。

 オレの中では九割、ヒュウガが犯人で確定だった。あとは決定的な証拠を掴むだけなのだ。だからこそ、個人の部屋を調べる際もオレはイズミではなくヒュウガの部屋を希望した。チトセの持ち物リストにあったトリカブトをヒュウガが盗んでいる可能性も考えて、化粧水を舐めて確かめさえした。だが、結局彼女の部屋から証拠は出なかったのだ。

「早く……! まだか、あいつら」

 オレは焦燥に駆られてみっともなく片足を揺すっていた。里来が心配だ。いかに警戒しているとはいえ、相手が五人も殺害した手練れならば……。

 その時、脳を震わすような悲鳴が外気を裂いた。一瞬、躰が硬直する。

 この声は。

 次の瞬間には足が動いていた。外に飛び出し、建物の裏、崖沿いのパネルの方へ走り出す。

「伊織! どうした!?」

 雨が強い。シャワーのように降り注ぎ、すぐに髪がびしょ濡れになる。だが構ってはいられない。さっきの叫びは伊織だ。何があった!? あんな悲鳴を上げるほどの何が!?

「伊織!」

 見つけた。彼は碁盤の目のようにずらりと並んだパネルの向こう側に座っていた。尻餅をついたように見える。視線は遠い海の向こう。崖に沿って取り付けられた転落防止用の柵が一部分だけ……無い。

「伊織! 大丈夫か!?」

 すぐさま駆け寄った。白い紙が散らばった中に座り込む伊織は、バケツの水を被ったようにずぶ濡れだ。草の上に尻をついたまま目を見開き、壊れた柵を凝視して動かない。

「オイ、伊織! 怪我は? どこか痛むのか!?」

 両肩を掴んで揺さぶると、ようやく彼の焦点がオレに合った。がちがちと歯が鳴っている。その隙間から、消え入りそうな声が呟く。

「イズミが……落ちた」

「えっ……」

 血の気が引いた。オレは弾かれたように柵の方へ。

「駄目だッ!!」

 伊織が叫んだ。驚いて咄嗟に立ち止まる。それと同時に腕を強く後ろに引かれた。危うく転びそうになる。凄まじい力。伊織の指が、腕に食い込む。

「近づいちゃ駄目だ、無人。君まで落ちる」

 彼は柵の無い部分を恐ろしげに睨んだまま言った。

「無人も見ただろ、この崖の高さ。助からないよ……」

 半分泣き出したような声。掴まれた腕がぐっと痛む。指先が白くなるほど力が込められた彼の指は、小刻みに震えている。

 オレは思い出す。初日にダイビングボートから見上げた断崖絶壁。まさしく波の中からそそり立つ壁。途中で引っ掛かるものなど何もない。落ちたら最後、死――

「いや、可能性はある!」

 伊織の腕を振り払い、オレは慎重に崖の下を覗き込んだ。荒れた海の中に点在する岩場。打ち寄せる波が当たるたび、白い角が立つ。だが、もしもイズミが岩場と岩場の間に上手く落ちていたとしたら、

「まだ生きてるかもしれない!」

 オレは伊織に向き直り、肩を掴んで言い聞かせるように言った。

「いいか、オレは里来さんとボートでイズミを探しに行く。お前はここを動くな。館には戻らず、機械室の中でじっとしてるんだ」

「ここで?」

「そうだ。ヒュウガが犯人かもしれない。いや、オレはそうだと思ってる。絶対に、二人きりにはなるな。わかったな」

 戸惑いながら伊織が頷く。オレはそれを見届けると、全力で館へ走った。

 髪を伝った雨が目に入る。濡れたシャツが張り付く。足元はぬかるみ、泥が跳ねてズボンを汚す。息が切れる。鼓動が早い。もつれそうな足を叱咤して、長い坂道を下る。

 やがて見えてくる。黒土色のピラミッド。酸素を求めてぜえぜえ言いながら、濡れた手でノブを掴む。頭がクラクラする。全身で扉を引き開け、中へ倒れ込む。誰かの手がオレに触る。肩に。頬に。

「お前どうした!? 大丈夫か!?」

「里来さん、ボー、トを……出して、ください」

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