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【第二章】寛永十九年正月

 やがて新しい年、寛永十九年(一六四二)の正月がやってきた。

 今年のさざれ石の儀は、またしても将軍の形だけの正室が病気を理由に辞退。お楽にいたっては本当の病気だった。出産以来体調を崩し、今でも寝こんだままだったのである。結局中臈を代表して万と玉でおこなうこととなった。

「君が代は 千代に八千代に」

 と最初に万が唱える。

「さざれ石の巌となれて 苔のむすまで」

 と玉が結んだ。

 玉は内心密かに、目の前の石を漬物石に置き換えてみたい衝動にかられた。


 新年祝いの席となり、将軍の前で御次や御三の間の者たちが歌や舞などを披露する。日も暮れようとする頃、玉が琴を手にして姿を現わした。

「ふつつかながら、私が琴を披露したいと存じます」

 と玉は、将軍に一礼して演奏をはじめた。


 祇園精舎の鐘の声

 諸行無常の響きあり

 沙羅双樹の花の色

 盛者必衰の理をあらわす


 と玉は琴の演奏にあわせて、有名な平家物語の前文を語った。しかしこれは居並ぶ大奥女中たちには不評だった。

「新年祝いの席でなんと不吉な……」

 座がざわつきはじめると、玉は空気を読んだのか琴を一度強く弾くと、新たな曲を奏ではじめた。


 漢皇重色思傾国 

 御宇多年求不得

 楊家有女初長成 

 養在深閨人未識


 これはいつか万が、将軍の前で奏でた長恨歌であった。まさに玉の万に対しての対抗意識むきだしだった。

 奏でながらも玉の心中をよぎることといえば、万のことばかりだった。初めて会って間がぬけた人物にしか見えなかった幼少の頃、やがて蛹が蝶になるように美しく成長していく姿。二人して花火で遊んだ頃のこと、そして共に将軍の手の者にとらわれた時のこと、さらには将軍の閨に赴く際、万のこの世ばなれした美しさ……。


 在天願作比翼鳥 

 在地願為連理枝   

 天長地久有時尽 

 此恨綿綿無絶期


 と玉は無事、演奏をしめた。

「玉、そなた琴の腕があがったのう」

 と万は無邪気に喜んだが、その時玉の目に光るものを見て、しばし沈黙した。

 なるほど、万が奏でた時は「癒す力」を感じた。しかし玉が奏でた時は、人を誘惑する力を感じた。やがてそれは将軍自身をも誘ってゆくのだった。



(第二部完)



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