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【第三章】春日局襲撃計画(一)

 寛永二十年(一六四三)二月、玉はついに家光の次男で亀松を産んだ。

「おおなんとまあ、うるわしいことよ。そなたは今日より徳川将軍家の一員ぞ」

 と玉は、初めて母となった喜びをかみしめる。

「どれどれ、なんと目が大きくて、余より玉に似ておるようじゃのう」

 と将軍が、生まれたばかりの我が子の顔を、のぞきこみながらいった。

「いえ、この子は鼻筋が通り、玉よりはむしろ上様に似ておるのでは?」

 と赤子の顔を見て言ったのは万だった。

「万様も早くに子をもうけなされませ。女として子はよいものでございますぞ」

 と玉はにこやかに言う。しかしこれはある種の嫌味だった。玉は生まれてはじめて万に勝てたような気がしたのである。

 すると最近体調が良好な楽が、赤子の顔を見ながら、

「ほんにかわいらしいのう。なれど亀松、そなたの母は少し性格が曲がっておるゆえ、母に似るでないぞ」

 とやはり玉の部屋子時代からの確執からか、それとも竹千代のこともあってか、思わず玉を憮然とさせるようなことを言った。 

「次は夏そなたの番じゃぞ。可能なら男子を産んでくれ」

 とやはり腹のふくれた夏のほうをみながら、春日局がいう。

「私は姫を産みとうございます。男の子なら、所詮は竹千代君、亀松君の下につく身。いっそおなごの方が……」

 と夏が本音をいったので、座は一時しらけた。さすがに夏は空気を読んだ。

「失礼いたしました。男ならば幼い頃はかわいくとも、年頃になると親に逆らいまする。姫ならば、かようなこともござりませぬ」

「なれど、姫であったとしても、そなたに似たら気性が激しくなるのではあるまいかのう」

 と今度は春日局が皮肉をいう。

「それは春日様ほどのご気性であられれば、もはや私の手に負えませぬ」

 と夏が皮肉で返したので、春日の局もまた、しばしむっとした。



 やがて夏は桐野という部屋方の者と共に、自らの長局の部屋に戻った。

「まったく先をこされてしまったのう。これで生まれてくるわらわの子にとり、将軍の地位はさらに遠のいてしまった」

 と夏は、すっかり大きくなった自らの腹をさすりながら言った。

「いえ、生まれてくる子が聡明ならば、たとえ三男でもゆくゆく四代将軍ということもありうるのでは?」

 と桐野もまた、夏の腹を見ながら言った。

「馬鹿を申すな。徳川家の将軍職は例えいかほど凡庸でも、年長の者より順番に継承すると決まっておる。三男では望みはうすい」

 と夏はため息をつきながらいう。

「いえ幕閣の有力者を味方として、ゆくゆく夏様の子供が将軍になれるよう、とりはからってもらうのでございます」

「なるほど、それなら望みはあるかもしれんなあ」

 夏の表情が、かすかに明るくなった。

「しかしそのためにも最大の障害は、春日様の存在でございます。春日様が、竹千代君こそ跡取りにふさわしいと申したなら、厄介にございます。幕閣の者達も松平伊豆守をはじめとして大半が、春日様の息のかかった者ばかり。老中の者達の一人や二人味方につけたとしても、どうにもなりませぬ」

 ここまで言うと、桐野の眼光が鋭くなった。

「いっそ、春日様を暗殺されたらいかがでございましょう」

 夏の目の色もかわった。

「そなた達、伊賀者が春日様の命を奪ってくれるとでもいうのか?」

 何を隠そう、この桐野というまだ若い部屋方の者は、夏の元に密かに雇われている伊賀者、しかもくノ一なのだった。

「夏様が御望みとあらば……」

「そなたいかに伊賀者といえど、本気でかようなことを申しておるのか? もしわらわが春日様に訴えれば、そなたの首が飛ぶことになるぞ」

「私たち忍びは、いつでも命を捨てる覚悟はできております。また、命を捨てる覚悟がなければ事にあたれませぬ。正直に申しまする。私は伊賀者ではござりませぬ。甲賀の者でござります。ここに出入りしている桐野なる伊賀者は、私が討ち取りました。私はさる幕閣の重鎮の密命を受け、ここに参上いたしました」

 あまりのことに夏はしばし呆然とした。

「して、その幕閣の重鎮とは具体的に誰のことじゃ?」

「今は申し上げられませぬ。さりながら先ほども申した通り、今や老中はじめとして、幕閣の大半は春日様の息のかかった者ばかり。将軍家光様とて、春日様には逆らえませぬ。幕閣の者の中には、あの者を煙たく思う者が少なくありませぬ」

「春日様の命を奪った後、ゆくゆくは生まれてくる我が子を四代将軍の座にということか?」

「すでに我が甲賀は間者を放ち、春日局の動向を探らせておりまする。夏様さえよろしいと申すなら、我等、あの者の命を奪うことをも躊躇いたしませぬ」

 夏はまだ半信半疑だった。そしてしばしその甲賀者をじっと見た。なるほど、忍びというのは他の何者かに化けるというが、ここまで見事に化けるものなのだろうか。

 この後、夏と部屋方桐野の身代わりとなった甲賀者との間に様々な密談を行われ、やがて恐るべき、春日局暗殺計画が実行されようとしていた。





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