部屋に戻るとまた眠くなってきたので、身体がおかしいと三喜雄は警戒したが、何のことは無い、寝不足だった。夕飯の前に看護師が検温に来るだろうから、それまでもう一度居眠りしようと思った。ここにいる間は、身体の求めることに素直に従うほうがいい。
ジーンズのままベッドにもぐるのはどうも違和感があるが、寝間着のスウェットに着替えてしまうのも早いので、そのまま横になった。
出勤していたら、6限目の授業が終わり、講師控え室で笹森と何やかやしている頃だ。三喜雄は、進級して組替えした新しいクラスにようやく慣れてきた、初等科の児童たちの顔を思い浮かべる。三喜雄が現在受け持っているのは3年生から5年生で、新3年生は初めて見る顔ばかりだから、手探りで接している最中だ。
指を怪我した以外はもう元気なんだから、慣れてもらわないといけないこんな時期に、休まないほうがよかった。もったいないことをしたような気分だった。
小中学生に教えるのは、楽しい。小学生は犬っころのようだし、中学生はちょっと斜に構え始めると言っても、まだまだ皆可愛い。音楽は、真面目に取り組ませることがまず難しい教科だが、こつこつ教えていると、2、3ヶ月で何らかの反応や成長がある。それを見るのも楽しい。
よく考えると、自分に小学生の子がいてもおかしくない年齢なのに、そういう想像は膨らまない三喜雄である。他人の子どもでもそこそこ可愛いのだから、自分の子どもならきっと、もっと可愛いだろう。そう思うのに、女性と家庭を持って、子どもを育てる想像には、現実味が湧かなかった。
学生時代の同級生や後輩の結婚、そして子どもが産まれたという報告には、心から祝福したいと思える。しかしそういう時に、「三喜雄は結婚考えてないの?」と訊かれると、誰の話をしているのだろうかと思い、ぴんと来ない。
たぶん俺には、人としての何かが欠けている。それが歌にも出ていて、扉をしっかり開くことができないような演奏になるのかもしれない。
平均的に、自分が誰にでも好かれやすいことはわかっているし、嬉しいと思う。だから同じくらい返しているつもりなのに……足りないと言われたことがある。それも決まって女性から。
微妙に不愉快になってきたので、三喜雄は2度深呼吸して目を閉じた。嫌な思索を口から吐き出したつもりだった。すると良い具合に、頭の中がふわっと軽くなった。
まどろみの最中、また図々しい手が近づいてきた。今日は前髪に触れたような気がしたので、三喜雄は意識を身体に戻そうとする。もう少し眠りたいが、どっちみちタイムアップだろう。
目を開くと、最近しょっちゅう顔を見ているイケメンドイツ人がそこに座っていた。三喜雄はぎょっとする反面、やっぱり来たか、とも思った。
「こんばんは、片山さん」
カレンバウアーは、笑顔になった。三喜雄は横になったまま、ゆっくりと、こんばんは、と返した。
「……ナースステーションで止められませんでしたか?」
そう訊くと、カレンバウアーは少し不思議そうに応じた。
「いいえ? 片山さんはたぶん寝てるから、起こしてもらっていいですよ、と言われました」
それで髪に触ったのか、と思った。何となく、昨夜の妙に色気を含んだ夢が蘇ってくる。あの時は来てくれたらいいのにと思ったが、いざ彼の姿を見ると、物好きだなという揶揄めいた気持ちが先に立った。
「俺に触るの、楽しいですか?」
三喜雄はストレートに尋ねてしまった。カレンバウアーはほんの一瞬、その端正な顔に気まずさのようなものを浮かべたが、すぐに開き直った。
「日本では、寝る子は育つと言いますね? よく寝てる片山さんを見ていると、それを思い出して、つい手が出ました」
ちょっと意味がわからないが、今朝この男の秘書が話していたことは、あながち彼女の思い込みではないようである。三喜雄は若く見える日本人であるということ以上に、カレンバウアーから幼く見られている。