深田の話を聞いていると、彼はやはり心根が立派というのか、物事に対して常にパブリックな視点を忘れないと感じる。そういうところは、何事にも流されがちな自分には真似できないと三喜雄は思う。
端のほうの窓口から、片山さん、と女性に直接呼ばれた。一般外来の会計と入院の会計は、ちょっと扱いが違うらしい。三喜雄は立ち上がり、深田に荷物番を頼んで、窓口に向かった。
2泊3食シャワーつきならば、ホテルに比べるとかなり安いと思いつつ、三喜雄はクレジットカードで入院治療費を精算した。封筒に入った診断書と、耳鼻咽喉科の医師が書いてくれた紹介状を領収書と一緒に受け取る。生命保険や火災保険会社に連絡を取りたくても、マンションに帰らなくては保険証書が無い。大事な書類は寝室側に置いているので、無事なはずだと考えたが、気分が重くなった。
病院の外に出ると、既に夏になった日差しが眩しく暑かった。駐車場に向かうだけでじわりと汗ばんでくる。ずっと空調の効いた場所でごろごろしていて、スポイルされたと三喜雄は思った。
クリーム色のコンパクトカーは、深田家の自家用車で、父親と母親との共用だという。深田はドアキーを開けて、後ろのシートに荷物を置くよう三喜雄に言った。ぱんぱんに膨らんだファストファッション店の紙袋と、やはりぱつぱつのビジネスバッグを、温まったシートに置く。鞄についた煙の臭いは、2日間でほぼ抜けていた。
三喜雄が助手席に落ち着くと、深田はエンジンをかけて、エアコンを最強にする。彼が運転するのを見るのは、初めてだった。
「大学生……最初の大学の時に免許取ったんだったっけ?」
三喜雄の問いに、深田は驚いたようだった。
「そんな話、したことあった?」
「学生時代に聞いたよ、確か免許合宿だったよな」
深田はうん、と答えてから、少し間を置く。
「思い出した、道民の片やんが免許持ってなくてびっくりしたんだった」
出口の精算機に深田が2枚カードを入れると、バーがぴょこんと上がった。車で友人が迎えにきてくれたと三喜雄が言うと、会計窓口の女性が、駐車場の無料券を渡してくれたのだ。
「都民と一緒で、札幌から出ないなら車要らないって話したかな……でも俺、帰国してコロナのコンサート自粛期間中に免許取ったんだけど」
三喜雄の告白に、マジ? と深田は声を裏返した。
「乗らないとペーパーまっしぐらだよ、後で運転してみる?」
「この車を? それはまずいと思うわ……」
病院からホテルまでは車だと案外近く、緩い会話のうちに目的地に到着した。マンションの管理会社からは、三喜雄が今日チェックインする旨を既にホテルに伝えているというが、昼前でも対応してくれるのだろうか。
三喜雄は、ロータリーで深田に待つよう頼んだ。駐車場に入ってしまい、チェックインできないとなると駐車料金がもったいない。その場にいたホテルのドアマンは、三喜雄たちの事情を了承してくれた。
フロントにいた女性は、チェックアウトの喧騒が済んだ後だったからか、あるいはやってきた客が近所のマンションから焼け出された気の毒な者だったからか、丁寧に対応してくれた。
「まだお部屋の準備が整っていませんので、お荷物をお預かりいたします……申し訳ありませんが、3時までお待ちいただけますとこちらとしても助かります」
深田が暇なら、今日のお礼に昼ご飯を奢ろうと三喜雄は思った。服や洗面道具が入った紙袋をフロントに預けて車に戻ると、深田にそう提案する。
「奢ってくれなくてもいいけど、片やん買い物もあるだろうから、これからショッピングモール行く?」
深田は今日、18時に合唱団の練習に行くまでは空いていると言ってくれた。ショッピングモールはいい考えだと三喜雄は思う。明日マンションに一度戻ってみる予定だが、普段使っていたものを回収できるとは限らないのだ。
三喜雄は再びクリーム色の車の助手席に乗りこんだ。そして、瀧とノア・カレンバウアーに、無事退院してホテルに移動したことを連絡しておいた。
気のいい深田は昼食のあと三喜雄の買い物につき合い、どうしても歌いたいという希望を聞いてくれた。カラオケボックスの大きめの部屋を1時間半借りて、お互い発声練習をしていたが、最後の20分はカラオケでデュエットをして遊んだ。昭和のアイドルの歌を振り付きで歌って、2人で笑い転げた。特に喉に異常は無いと確認できたこともあり、気持ちがすっきりした。
深田にホテルまで送ってもらった三喜雄は、これから練習に行く彼を手を振って見送った。しかしチェックインを済ませて部屋に入ってから、あんなに馬鹿歌いして大丈夫だったかなと心配になった。