『いいと思いますよ。片山先輩は安心かつ安全に暮らせる場所に早く引っ越すべきです』
三喜雄は後輩から来たRHINEのメッセージを読み直す。
三喜雄の選択は誤っていないという心強いメッセージをくれたのは、高校生の頃に約半年間交流し、音信不通になった期間を経て昨年再会した、北海道出身の後輩、
高校の美術部に所属していた頃から上手いと評判だった高崎は、絵に関しては今やほぼプロだった。情感溢れるスケッチや水彩で人物を描いて、ネット上で神絵師の地位を得ている。コンサートのフライヤーやパンフレットのデザインを、口コミで彼に依頼するクラシックのプレイヤーが出始めており、概して好評だ。
高崎は濱涼子の甥である。涼子の妹である高崎の母親は元ヴァイオリニストで、ピアノをかなり息子に仕込んだらしい。先日の後輩の結婚披露宴で三喜雄が歌った際は、新郎が高崎の同級生でもあるので、頼み込んで伴奏を引き受けてもらった。
伯母の才能も受け継いでいるのだろう。少なくとも三喜雄にとっては、高崎は高校時代から良い伴奏者だった。また機会があれば一緒に演奏したいと思っているが、彼は自分はピアニストではないから、プロである三喜雄の伴奏は、プライベートな場所でしかしないと宣言していた。
昔から人生3回目のような落ち着きを醸し出している高崎を、1学年後輩ではあるが、三喜雄は頼りにしていた。彼は口が堅いので、カレンバウアーの部屋に下宿しようと考えていることを伝えてみたのだが、いいと思うと言われてほっとする。
『すぐにでも引っ越して来い圧がすごくてちょっと困惑』
『カレンバウアー氏いい人笑、もしかして片山さんのことが好きなんですか?』
三喜雄は高崎の返事を読んでどきっとした。この後輩は同性愛者である。なかなかお目にかかれないタイプの美しい容姿なのだが、大学生の頃はそれを武器にして、ゲイ向けの夜の店で学費のためにアルバイトをしていたという。
三喜雄は恐る恐る高崎に返信する。
『やっぱりそう思う?』
すぐに画面にぴょこんと吹き出しが現れた。
『やっぱりって、片山さんわかってて接してるんですか。罪な人ww』
ぎゃっ、と三喜雄は思わず叫んだ。まるでこれでは、自分がカレンバウアーを弄んでいるようではないか。
『わかってない、経験上何かちょっとそんな気がしてるだけで、俺の思いこみかも』
『好意でうちに来いと言ってくださっていて、先輩もあちら様と上手くやっていけそうなら、いいと思います。でも深い関係になる気が無いなら、煽っちゃダメですよ♡』
高崎の返しに、煽るとは一体、と首を捻ってしまう三喜雄である。しかし高崎の言う通りで、もしカレンバウアーが友情や憐憫以上の感情を三喜雄に抱いていたとしたら、彼の自宅に身体ひとつで転がり込むのは、果たしてどうなのか。
『ちょっと自信無くなってきた』
思わず三喜雄は打ち込んだ。少し間を置いて、高崎の返事がくる。
『それなりの社会的地位にある人が、今注目を集めてて自分がスポンサーしてる歌手を手籠めにはしないでしょうけど、不安ならはっきり言っておくべきでしょうね』
手籠めという言葉に、笑えるようなぞわっとするような、妙な気分になった。
『言って部屋は貸せないと言われたら、それは仕方ないかな』
『貞操の危機を回避したということで。そうなったら、うちでよければしばらく泊まってください。家で練習は微妙ですけど、周りに練習室がたくさんありますよ』
高崎は10歳年上のサラリーマンと暮らしている。その人と同性パートナーシップ制度を使っているので、2人は立派な「夫夫」だ。お誘いは嬉しいが、お邪魔するのは悪い。
新たなもやもやを抱えた気もしたが、高崎のアドバイスと好意に感謝しつつ、三喜雄はやり取りを一旦止めた。腕時計が15時を指した時、部屋のチャイムが鳴った。