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7月 5

 部屋の中の嫌な臭いはあまり気にならなくなっていたが、三喜雄はほんの10分前に自宅に来たばかりだった。また少し下着や夏の服をタンスから出して、旅行用の鞄に詰めながら、高崎とやり取りしていたのだった。

 やってきたのは、リサイクルショップの店員だった。家電も家具も2年半しか使っていないものが多く、捨てるのはもったいないと思ったのだ。カレンバウアーの家にどれくらい居るかわからないけれど、今持って行くのは難しかった。

 冷蔵庫にガスコンロと電子レンジ、テレビと食器棚、洗濯機。週末の日曜の午後に引っ越すので、前日か当日の朝に引き取りに来てもらうように依頼している。


「冷蔵庫のコードはもう抜いてるんですね、じゃあこのままで……炊飯器とキーボードはお持ちになりますか?」

「はい、これは使います」


 カレンバウアーが炊飯器を持っていない可能性が高いので、手放さないことにした。キーボードは姉のもので、おそらく彼女ももう使わないのだが、勝手に処分するのは躊躇われた。

 三喜雄は店員を寝室に案内した。迷いがあったが、口を開く。


「えっと……ベッドも何でしたら」

「ありがとうございます、お布団は持って行かれます?」

「そうですね、ベッドとスプリングだけ頼みます」


 リビングに行きクローゼットを開けると、店員は、煙の臭いが染みついてしまっていた古いタキシードの引き取りも申し出てくれた。大切にしてきた一張羅だったが、寂しさは湧いても不思議と未練は無かった。きっとこのタキシードは、三喜雄を学生時代から今まで育ててくれて、役目を終えたのだと思えた。

 店員に蝶ネクタイとシャツも渡せると言うと、想定外に喜ばれた。一式揃っていると、コスプレイヤーなどがまとめて購入するという。臭いはある程度まで抜くことができれば、十分売り物になるとも言われた。

 バインダーにメモをとりながら、店員は三喜雄を首だけで振り返る。


「生地によりますけど、他のスーツも、臭いは上等のクリーニングなら取れるものもあると思いますよ」


 そうなのか。その話を聞いて、三喜雄はあまり袖を通していないスーツを2着、置いておくことにする。

 引き取り金額に期待はしていなかったが、それなりの値段になったので、すぐに承諾した。

 リサイクルショップの店員と入れ替わりに、引っ越し業者がダンボール箱とガムテープを持ってやってきた。単身専用プランで大きな荷物も少なく、しかも夏休み前で引っ越し閑散期とあり、先週末に即決で申し込みができた。もう3日後には引っ越しだ。

 おそらくこれまでの転居で段取りは最速だが、会社の担当者が、当初夜逃げだと見做していた雰囲気があった。日頃そういった事案も受けているだろうから、勘違いされても仕方ないと思う。

 引っ越し業者はすぐに帰った。せっかく箱をもらったので、少し荷造りをしようと考えた三喜雄は、恐る恐るエアコンのリモコンを手にする。室外機の煤は払ったが、もし嫌な臭いがしたら、退避するつもりだった。

 ふわっと涼しい風が吹き、焦げ臭さを感じた。三喜雄は慌てて窓を開けたが、すぐに風から臭いが無くなったので、ほっとしてダンボール箱を組み立て始める。食器棚は売るので、まず空けて軽く拭いておこうと思い、捲れ上がった床で爪先立ちになりながら、キッチンに入った。


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