ドイツでは、日本と同じく6歳で、義務教育の基礎学校に入学して初等教育を受け、5年目から上部学校で中等教育が始まる。カレンバウアーの息子は、ギムナジウム行きを決めていたくらいだから優秀だったのだろう。ギムナジウムに8年間通った者が、大学進学に一番近い位置につくことができるのだ。
「片山さんを見ていると、あの子はきっとあなたのように育っただろうと思うんです……それが一番、あなたの世話を焼きたい理由かもしれません」
静かに話すカレンバウアーは、自分の手許を見つめたままだった。話したくないことを話させてしまったという思いが三喜雄の胸を刺したが、聞きたかったことでもあったので、何処かでほっとしていた。
「あの、カレンバウアーさん……ごめんなさい、ちらっと武藤さんから伺ってはいたんですけど、無理に聞き出して」
三喜雄が言うと、カレンバウアーはやっと視線を上げた。
「そうですか、驚かないなと思ったら」
「武藤さんは、俺がカレンバウアーさんのおうちの事情を知ってると思ってらしたみたいです」
カレンバウアーは微苦笑した。この部屋はフォーゲルベッカー日本法人が借りており、本社から赴任するトップが家族全員で日本にやって来ても不便が無いよう、3LDKの物件にしているという。
「まあ息子を亡くして離婚していなかったとしても、私1人で日本に来たと思いますが」
この広い部屋でずっと独りで過ごしてきたカレンバウアーの孤独に、三喜雄は初めて思い至る。
「……俺が同居人として適当かどうかわからないですけど、邪魔にならないようにしますから、よろしくお願いします」
三喜雄が箸を置いて軽く頭を下げると、カレンバウアーはああ、と手を伸ばしてきて、三喜雄の左手にまだ巻かれている粘着包帯に触れるか触れないかの場所に置いた。
「いいんですよ、片山さんの自由にしてくれたらいい……それでゆっくり、次の部屋を探してください」
三喜雄が顔を上げ、何となく話が落ち着いたところで、本格的に食事が始まった。ひとつ大切な話を聞いたところで、三喜雄の肚は決まった。
カレンバウアーは自分を特別扱いしているかもしれないが、もしかするとそれは、今自分に安心して暮らせる場所が必要なように、彼には誰かがいる場所が必要だからという、シンプルで、でも大事な事情があるからだ。それを他人に声高に話すようなことはしないけれど、もし下衆な勘繰りをされた時は、必要ならば毅然とした態度を取ろう。
三喜雄だけが高級な寿司を食べるのは申し訳ないので、どれか食べないかとカレンバウアーに振ると、彼は生魚はどうも苦手なようだった。
「鰹のたたき、でしたか? あれは食べられるようになりました」
「あ、俺も好きです……じゃああれはおかずに出せますね」
三喜雄はきれいに焼かれた濃い黄色の卵焼きの乗った寿司を、カレンバウアーに勧めてみた。
「これ、たぶんめちゃくちゃ上等の卵使ってそうだから、美味しいと思います」
カレンバウアーは目を見開く。オムレツはドイツでも食べるので、そんな奇異なものには感じないはずだ。
「あと、サーモンはどうですか? ケルンで借りてたアパートの大家さんは、生のサーモンが大好きで、これなら食べられるって」
三喜雄が差し出したトレーから、カレンバウアーは卵とサーモンの寿司を箸で取った。そして卵の寿司を頬ばり、すぐに目を丸くする。
「少し甘いんですね、プディングみたいです」
悪くない反応だった。三喜雄も楽しくなる。
「上手に焼いた卵焼きは、ふわふわになります」
「美味しいです、意外性がありますね」
カレンバウアーはサーモンも、美味しいと言って口にした。安物ならこうはいかなかったかもしれない。卵とサーモンは、三喜雄の目にも魅力的に映っていたのだ。
結局2人で、ほとんどの惣菜を食べてしまった。残ったのは生野菜のサラダで、明日の朝食べることにした。