食事の後、カレンバウアーがコーヒーを淹れてくれた。彼は日本に来てからドリッパーを手に入れて、いろいろな豆を試しているという。そう話すだけあって、彼のコーヒーはブラックでも飲めるほど美味で、三喜雄はマグカップにたっぷり入った芳香を放つ飲み物を、ゆっくり楽しんだ。
リビングにはテレビと小さなテーブル、そしてアップライトピアノが置いてあった。それらを見渡せる位置にある、柔らかくて座り心地のいい、キャメル色の皮のコーナーソファ。座面自体が広々としていて、そのまま横倒しになると寝てしまいそうだ。
三喜雄はソファの隅っこに、淡いピンク色のハリネズミのぬいぐるみが、クッションに紛れて置かれているのを見つけた。手触りがよく顔が可愛らしいので、つい自分の傍らに寄せていた。
少し離れてソファの角に座っていたカレンバウアーは、三喜雄が右手にマグカップを持ち、左手でハリネズミの背中を撫でていることに気づき、笑った。
「それが気に入りましたか?」
三喜雄は背筋を伸ばして、あっ、はい、とぎこちなく答える。カレンバウアーはからかう口調になった。
「何ならベッドに持って行ってもいいですよ」
「え? あの、ベッドにもう一匹いるので……」
うっかり正直に言ってしまった三喜雄は、カレンバウアーが驚きを顔に浮かべたのを見て、軽い羞恥に顔が熱くなった。
「いやその、家についてきてもらった日に、京都で買ったサンショウウオのぬいぐるみを持って出ていて」
「山椒?」
スパイスと受け取られた。ちょっと通じないので、ドイツ語でもそう呼ぶのかよくわからなかったが、ザラマンダ、と三喜雄は説明した。
「火竜、ですか? どうして京都に……?」
カレンバウアーはぽかんとした。サラマンダーは本来、伝説の生き物の名前だからだ。三喜雄は立ち上がりリビングを出て、与えられた自分の部屋から、オオサンショウウオのぬいぐるみを持ち出す。
茶色い30センチほどのトカゲのようなぬいぐるみに、カレンバウアーはうわ、とのけぞったが、その平たい顔をじっと見て、閃いた顔になった。
「知っています、日本のきれいな川にしか住まない、絶滅しそうな生き物ですね?」
「そうです、京都の水族館で飼育していて、このぬいぐるみがおみやげコーナーに売ってます」
カレンバウアーはオオサンショウウオとハリネズミを従えるバリトン歌手を見つめて、我慢できないようにくすくす笑った。
三喜雄は子どもの頃からぬいぐるみが好きで、姉が両親や祖父母からふわふわしたおもちゃを買い与えられることを、少しばかり羨んでいた。小学校中学年の頃、姉が気に入らなかった犬のぬいぐるみを譲ってくれたが、やはり返せと言われて、大喧嘩になったことがある(その犬は母の裁きで三喜雄のものとなり、今も実家のベッドに居る)。
高校は男子校だったが、男ばかりの気楽さからか、通学鞄に可愛いキーホルダーをぶら下げる生徒が沢山いたので、三喜雄もUFOキャッチャーで手に入れたものなどを鞄につけるようになった。
「……おかしいですよね、父も俺がぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩くのを変な目で見ましたから」
三喜雄はやや自虐的になって、言った。カレンバウアーは、慰めるように応じる。
「笑ったりしてごめんなさい、男の子がぬいぐるみを好きなのはおかしくなんかないですよ……意外だっただけです」
オオサンショウウオは、大学院生時代にちょっと気が動転して買ってしまったものだった。初めての関西旅行で、松本咲真にそこかしこに案内してもらい、ハイテンションになっていた。同じ時に松本は、三喜雄のものよりもうひと回り大きなオオサンショウウオのぬいぐるみを買い、今も自分のSNSアカウントのアイコンに使っている。
三喜雄が松本のSNSを見せると、カレンバウアーは驚いた。
「ああ、メゾン・ミューズが提案してきたピアニストですね?」
「あっ、はい、そうです」
「片山さんとアンサンブルチームを組んでいるのは知ってましたけど、そんなに親しいとは思わなかった」