小鉢もどれもいい味だった。三喜雄が味わいながらゆっくり食べていると、ご飯のおかわりが1杯サービスらしく、カレンバウアーは店員に茶碗を渡していた。
「こういう煮物も好きで」
カレンバウアーが指差したのは、肉じゃがだった。じゃあ作ろうと三喜雄は思った。じゃがいもと玉ねぎがあれば、ドイツならベーコンを入れて炒めるだろう。それも悪くないけれど。
雰囲気が和んだところで、三喜雄は汁椀を盆の上に戻してから、言った。
「カレンバウアーさん、これからお宅にお邪魔するにあたって、家賃とか光熱費とかをどうすればいいか決めたい……んですが」
カレンバウアーは案の定、何の話だと言いたげな顔になる。
「気にしなくていいですよ、片山さん1人が増えたところでそんなに光熱費が上がるとは思えない」
「そうおっしゃるだろうとは思ったんですけど、ただで住まわせてもらう訳にはいかないです」
おそらくあのマンションの家賃は、三喜雄の旧居の倍以上するだろう。会社が出しているとしても、そこに三喜雄が乗っかっていいとは思えない。
カレンバウアーは漬物をぽりぽりと噛みながら、ちょっと困った表情になる。
「あまり大きな声で言えませんが、あの部屋の家賃は、私と会社で半分ずつ持っていますから、私が片山さんからお金を受け取って間貸しする状態になるのは、ちょっとまずいです」
それも、もっともである。
「……では家賃名目ではお渡ししないとして、光熱費がさほど上がらないとおっしゃいますけど、食費は確実に上がると思うので……」
カレンバウアーは三喜雄の説明に微苦笑した。
「片山さんは、他人に借りを作りたくないんですね」
平たく言うとそうなのだが、この2ヶ月間のカレンバウアーからの心遣いを挙げていくと、もう既に借りを作るというレベルを超えている。
「そう思うなら、俺の気持ちも汲んでほしいというか、えっと……こんな言い方をすること自体失礼なこともわかってます」
三喜雄は何度となく繰り返されるこういうやり取りに、カレンバウアーを試すような気持ちになっていることを自覚していた。わかってくれるだろうかという期待と、育ちが違うからわからないだろうなという諦念。その他に、どこまで自分を「特別扱い」してくれるのだろうかという、ややさもしい気持ちが混じっている。
うーん、と首を捻ったカレンバウアーは、ひとつ提案する。
「じゃあ、基本的に日々の食材の費用は片山さんに持ってもらうことにしましょう……あとは洗剤とか、共用の細々した消耗品……あ、こういう外食は出さなくていいです」
それでも随分少ないと思ったが、あまりカレンバウアーを困らせるのも本意でないので、三喜雄は了承した。お互いの勤務状況を鑑みれば、日々のものを買って帰るのは三喜雄の担当になるだろうから、ちょうどいい。
食事がほぼ終わる頃、カレンバウアーは思いついたように口を開いた。
「片山さんが私に金銭面で気を遣うというなら、ひとつお願いしたいことがあります」
店員が汲み直してくれた冷たい麦茶を飲んでいた三喜雄は、前に座る人に集中する。
「はい、俺にできることでしたら」
「日本語の読み書きを教えてください」
やや拍子抜けしたが、続く彼の言葉は案外深刻だった。
「私はひらがなとカタカナはゆっくりなら読めるし、少し書くこともできます……これは子どもの頃に祖母から習ったからで、日本に来る前はとにかく会話ばかり勉強していたので、未だに漢字はわかりません」
公共交通機関を使う時などは、ローマ字表記やひらがな表記があるため、不便は無い。しかし日常の買い物や外食などで、困ることがままあるようだ。
「このお店は、私が読むのが苦手だと知ってくれているので、訊けば説明してくれます」
さっきオーダーする前に、カレンバウアーは「鯖」と「小松菜」を三喜雄に確認した。「豆腐」や「肉」はわかるようだった。