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8月 8

 教育大学にある音楽などの特別専修科は、小学校教諭の免許取得のための単位を、卒業要件に含まない場合が多いが、三喜雄はそれを履修したのだ。4回生になり、大学院の受験の話が出たので、さすがに教育実習に行くことはできなかった。それをドイツから帰国後に穴埋めした。


「ま、若かったからできたかな」


 三喜雄がややしみじみと言うと、場が爆笑に包まれた。


「普通、若くてもできません」

「バイトもしてたじゃないか、片山はテスト前は寝てないに違いないって、先生たちも心配してたの知らないな?」


 事実としては、寝てはいたし、心配されていたのにも気づいていた。とある先生から、努力の方向性がちょっと間違えていると指摘されたこともあった。小学校の先生になるための勉強を、歌の練習に充てろと言いたかったのだと思う。


「でも、俺は大学を出て先生になる道を作っておくことを、教育大学受験の条件にされてたから」


 今思えば、父も母もその辺りをよくわかっていなかったし、藤巻も父や三喜雄に説明しなかった。

 同級生たちが次々と口を出す。


「わかる、中高の音楽の先生にしかなれないって1年の履修登録の時にわかって、騙されたと思ったもん」

「俺みたいに卒業して民間企業に行くしかなかった奴も発生しまくりだしな、高校の進路指導部はちゃんと説明しないと」


 三喜雄はトークショーで、小学校の先生になりたい場合、専修科に行ってしまうと難しいことを話すとその場で約束させられてしまった。

 夏なのに海鮮鍋を皆でつついて、宴の1次会が終了した。もう音楽に携わっていなくても、基本的に歌うのが好きな連中が集まっているので、2次会はカラオケボックスに繰り出すのが定番だ。三喜雄ももちろん、皆について行った。




 翌日の昼、メゾン・ミューズの瀧から、注意喚起メールが来た。


『お疲れさまです。片山さんのお友達らしきかたが、SNSに昨夜のカラオケの様子を動画でアップされていますが、片山さんの許可を得てらっしゃいますか?』


 昨夜の2次会のカラオケで、録画は許可した。三喜雄はそう瀧に返信して、添付されたURLをタップしてみる。

 ボカロのアニソンを嬉々として歌う自分に、三喜雄は終わってるなと胸の内で突っ込んだが、「ドマスのCMの歌手と実は同期なんだが昨日カラオケ行った」というコメントがつけられた友人の投稿は、いいねがどんどん跳ね上がっていた。音程正確過ぎてヤバいとか、男の声なのにヒロインの孤独が伝わるなどと書き込まれていて、喜ぶべきかどうか悩ましい。

 瀧から返信が来る。


『そうですか。では肖像権はいいのですが、カラオケを使った演奏を載せるのは著作隣接権違反に当たりますので、取り下げるか動画を短くするように、お友達に言って差し上げてくださいますか?』


 マジですか。三喜雄はスマホ片手に呟く。そういえば深田が以前アップした画像はほんの8小節ほどだったが、あれはもしかして、著作権を鑑みたからだろうか。

 三喜雄は慌ててネットで調べて、カラオケボックスでの演奏は、基本的には一切配信等してはいけないと理解した。


『すみません、至急本人に連絡します』

『よろしくお願いします。この画像、事務所で見て皆ひとしきり楽しませてもらいました』


 自分たちは観ておいて消せは無いだろと思いつつ、三喜雄は友人にRHINEする。


『昨日はありがとう。俺の歌画像、著作権まずいらしいから8小節に縮めてクレメンス』

『昨夜はお疲れ♡著作権? しかも8小節ってww』

『カラオケの音源が引っかかるみたい。マネージャーにチェックされちまいました(・・;)』


 事実関係を確認したのか、少し間を置いてから返事が来た。


『知らんかったどす! ジャーマネに怒られたのか、意味無いと思うけど俺からも謝っておくれやす』


 いかさま京都人のような友人のメッセージに、三喜雄は思わず笑う。


『ありがと、怒られてはないない』


 史上最高にいいねをもらっているから惜しいと言いつつ、すぐに友人は一旦投稿を取り下げてくれた。

 それにしても、瀧たちマネージャーは、自分の担当する演奏家を、毎日キーワードなどでネットサーチしているとしか思えない。時にはSNSでの誹謗中傷も見つかるだろうし、悪質なら書き込んだアカウントの開示請求を、サイトに対しするよう演奏家に働きかけるのだろう。大変な仕事だ。

 中には塚山天音のように、エゴサをして自分を貶すアカウントを見つけると、自分から殴りかかるのを若干楽しんでいる強者もいるが、数千の客の前で演奏するふてぶてしい人間でも、あまりに酷い言葉を使われると普通に傷つく。

 三喜雄はひとつゆっくり呼吸した。事務所に守られているのは有り難い。ただ、監視されているとまでは言わないが、少し窮屈な感じがする。こういう気分も、有名税と呼ばれるものの一種にあたるのかもしれなかった。



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