『おつかれさま。配信はコンサートだけだったので、少しざんねんでした。でもみなさんいいパフォーマンスだったので、楽しかったです』
夕方近くになって解散し、家に戻る途中、ノアからメッセージが来た。コンサートに関しては同感で、客もよく乗ってくれたと思う。三喜雄は地下鉄の中で、返信する。
『ありがとうございます。トークショーももり上がったので、学報(大学の広報誌)にのせるかもしれないと言っていました』
芸術・スポーツ専修科を志望する高校生ばかりがあの場にいたわけではなさそうだったが、教育学部志望の子にも楽しんでもらえたなら、イベントとしては成功だったのではないかと思う。
『あんなふうに、あまりかた苦しくなく、若い人に自発的に音楽やダンスを楽しんでもらう企画はいいですね』
自発的になるのか、と三喜雄はノアのメッセージを見て思う。高校生くらいまでは、学校行事として舞台芸術の鑑賞会などがあるが、基本的に強制だ。もし面白かったらラッキー、くらいの受け止め方だろう。
そうではなく、観てみようと若い人が思って来てくれていたという事実は大切だ。オープンキャンパスに訪れた受験生の目的は、大学の雰囲気や授業内容を知ることであり、別にあのコンサートに貴重な時間を費やさなくてもいいのだから。
『ほとんどの人が最後まで会場にのこってくれていて、よかったと思います。受験生が増えたらいいのですが』
『それもそうですが、三喜雄の歌をはじめて聴いた人が、いい歌だったと思ってくれていたらいいですね』
言わば三喜雄は今日、母校の広告塔として歌った訳だが、こういう仕事はやり甲斐があり、クライアントと自分にそれぞれメリットがあるかもしれない。
コンサートホールで畏まる以外にも、いろいろな歌い方がある。またひとつ新しい発見をしたようで、ほんのりうれしくなりながら、三喜雄は地下鉄を降りた。今の気持ちをメッセージではなく、直接ノアに話したい気がしたが、ノアも自分ももう夕飯の時間だし、今日来てくれた友人たちにお礼も言わなくてはいけないので、その衝動的な思いを抑え込んだ。
三喜雄がノアに思いきって電話をしたのは、21時過ぎだった。彼は明日は普通に仕事なので、手短かに報告しようと思っていた。
「どうしましたか?」
低くまろい声が、ちょっと懐かしかった。
「……実は今日本番前に、調子が悪くなりました」
三喜雄の言葉に、電話の向こうのノアが驚いたことがわかる。
「大学の近くで火事があったんです、消防車と救急車のサイレンが結構すごくて、嫌な感じになってしまって」
ああ、そうでしたか、というノアの声には、三喜雄へのねぎらいと同情のようなものが含まれていた。
「ダンサーの華村さんが俺の様子がおかしいのにすぐ気づいてくれて……背中をマッサージしてもらいました」
「それで調子が戻ったんですか?」
「はい、あとノアさんのハンカチ握ってました」
「声が出ないほどじゃなかったんですね?」
確認してくるノアが心配しているのがわかる。しかし三喜雄は、今日あの火事を乗り越える方法を、何かまたひとつ掴んだように感じていた。
「舞台に出る直前までずっと心臓はどきどきしてましたけど、ずっと話すことはできてました……華村さんにも事情を話しました、周りに知っていてもらうほうが安心かもしれません」
ノアが小さく息をつくのが聞こえた。ほっとした吐息のようだった。
「よかったですね、自分で対応できるようになれば、怖がることもない」
今日は華村の助けが大きかったけれど、やはりこれまでノアが気を遣ってくれたおかげで、1人で対処できる自信が出てきた。それは伝えておきたいと三喜雄は思った。
「ノアさんのおかげで早く立ち直れそうです、でももうしばらく、ハンカチは持たせておいてください」
ふふっと小さな笑い声がした。
「あんなものがお守りになるというなら、ずっと持っていてくれたらいいですよ」
「ありがとうございます」
「そうそう、配信が終わった後でドイツから連絡が来て、2、3日中に仕上がったCMと特典の映像を送ってくれるようです」
ノアの報告は、今日の仕事で多少疲れを覚えていた三喜雄を、たちまちしゃんとさせた。
「あ、楽しみです」
「到着次第、三喜雄と松本さんに送りますね」