電話が切れる流れになったが、三喜雄はふと思い出して、ノアに問う。
「おみやげ、リクエストありますか? 俺がノアさんに世話になってるから、うちの親が何か持たせてくれるつもりでいるみたいで」
ああ、とノアは驚いたような声を立てた。そして、答えた。
「それを私が決めるのは図々しい気がしますし、私は三喜雄をいただきたいので、私からご両親に挨拶に行かないといけないですね……」
は?
三喜雄はノアの発言が理解できずに沈黙した。するとすぐに、冗談です、と笑い混じりの声がした。
「そんなことで気を遣わないでと、ご両親に伝えてください、でも北海道にしか売っていないようなお菓子はちょっと気になります」
あ、お菓子な。三喜雄は気を取り直して、了解の旨を家主に伝えた。
「わかりました、心して選びます……少しだけ早く帰ろうと思ってるので、またフライト決めたら連絡します」
「私は三喜雄がいつ戻ってきても歓迎ですよ」
はい、お世話かけます、と応じてごく自然に電話を切ったが、三喜雄は右手でスマホを握ったまま、やっぱりあの人俺のこと好きなのかな、と思った。
1階のリビングに降りると、夕飯の片づけを終えた母が声をかけてきた。
「電話してたの?」
「うん、カレンバウアーさんが、俺のことで気を遣わないでくれって言ってた……それと」
三喜雄は母の反応を試してみたくなり、続けた。
「三喜雄をいただきたいから自分が挨拶に行かないと、とか言ってた」
母は、え? と目を丸くした。
「それは……何か言い間違えたの? いくら日本語がお得意でも、それは何というか」
そして母は、想定外に真面目な顔になる。
「三喜雄、もしあなたが男の人が好きならそれでも構わないし、お父さんは割と考え方が古いから微妙だけど、私とお姉ちゃんはあなたの味方だからね」
これには三喜雄がたまげて、ずっこけそうになってしまう。
「はぁ? それちょっと……しかもそこで何で姉貴?」
母は父を気にするように、声を落とした。
「お姉ちゃんと話してたのよ、あなたが女の子と交際してる話って、大学生以来聞いてないってね」
「いや、実はあっちに居た時つき合ってた人いました、ドイツ人ですけど」
「あらそうなの? だって塚山くんも嫁にするなら片山だってしょっちゅう言ってるし、カレンバウアーさんも塚山くんみたいな感じなのかなって」
三喜雄は母の言葉に、頭を掻きむしって叫びそうになった。あのテノール歌手は今や世の中への影響力が大きく、彼を直接知る母でさえこれなのだから、一般ファンが勘違いしても文句は言えない。
「えっと、例えば交際するなら、カレンバウアーさんはいいけど塚山は嫌だ」
そう言うと母は、右手を自分の頬にやった。
「そう、やっぱり男の人と交際してもいいんだ」
「例えばって言ってるだろが」
言いつつも三喜雄には、自分の気持ちを「極めてノーマル」であると思われる母に説明するのが難しい。仕方なく、何げにこれまで隠していたことを告白した。
「確かに俺、性欲薄いわ……それは女の人相手のことで、男にそういう気持ちになったことは無いよ」
「そうなのね」
「ただ……男から割と好かれるかも」
「あら」
気づいていても、適当にやり過ごす。交際を申し込まれてしまった場合には、男は恋愛の対象ではないと説明し、きちんとお断りする。
母はそんな三喜雄のスタンスに、それなりに納得してくれた様子だった。
「塚山くんとカレンバウアーさんは、どうなの?」
「塚山は友達が少ないから、長いつきあいの俺に執着してるだけで、恋愛感情じゃないと思う……カレンバウアーさんは、微妙」
母は可笑しそうだった。
「カレンバウアーさんにはよくしてもらってるんだから、もしそういう気持ちを抱かれていたとしても、三喜雄が違うのならきちんと説明しなさいよ」
神妙にはい、と答えた三喜雄は、一応母がこういう面で自分を信頼してくれているらしいと気づく。
塚山は音楽家である両親と、話を聞いている限り昔からあまり円満ではないようだし、ノアは家庭を失ってしまった。それを思うと、社会不適合な人生を送る息子にこうして理解を示してくれる家族がいる事実に、自分はやはり恵まれていると思う三喜雄である。