小中学校の授業が始まると、やはり三喜雄の日常の仕事の比重が大きく変化する。歌にだけ集中できていたところに、子どもたちに配るプリント作りやカリキュラムの確認、授業の進捗のチェックが割り込んでくる。それが苦になる訳ではないが、夕飯が済んでから自室でパソコンに向かう三喜雄を見て、ノアが少し困惑する。
「学校の仕事は、多いのですか?」
「ばたつくのは学期始めだけですよ」
三喜雄がそう答えると、ノアは濃いめのミルクティーの入ったマグカップを三喜雄の机の上に置いて、リビングに戻る。いつ入ってきてもらってもいいというアピールに、エアコンの冷気が全て逃げない程度に部屋の扉を開けているが、ノアは話がしたいのかなと三喜雄は思う。
ノアは、懇意にしている不動産店から、音を出していい賃貸物件が幾つか出てきたと連絡を受け、それを三喜雄に教えてくれた。興味を引かれる部屋もあり、かなり迷ったのだが、結局もう少しカレンバウアー邸で世話になることに決めた。
そう伝えると、ノアもにっこり笑い、好きなだけ居たらいいと言ってくれた。ドイツ人は嫌なら嫌だとはっきり言うので、それが本心だと三喜雄は受け止めている。ここに来る前に、3年ほどしか使っていない家電を全て売ってしまったので、今新しいものを買い揃えるのは出費としてかなり痛い。正直にそう話すとノアは納得して、もしこの先引っ越すことになったら、今使っているベッドは持って行けばいいと言った。
三喜雄は、住む場所の心配をしなくていい幸福を、カレンバウアー邸で満喫していた。好きなだけ居たらいいと言ってもらえて、ほっとしている。
そんな自分を図々しいと思う。しかしノアは何かと、三喜雄が快適に過ごせるよう動いてくれるし、それに対して感謝の気持ちを伝えると、本当に嬉しそうなのだ。だから三喜雄のほうがいいことをしたような気持ちになってしまい、喜んでくれるからいいか、と流されてしまう。
ノアは贅沢な暮らしをしていないが、上流階級育ちの鷹揚さを持っている。そういう人物と暮らすうち、三喜雄は学校で児童や生徒たちの行動原理のようなものが、少し理解できるようになってきた。
三喜雄が勤務する学校には、良家の子女が比較的多い。当初三喜雄は、自分の子ども時代には考えられないような言動を為す子たちを見てクエスチョンマークを毎日飛ばしていたが、とにかく彼ら彼女らには「裏が無い」ことはよくわかるようになった。
例えば、児童や生徒は教員や事務職員への好意を隠さず、素直に伝えてくる。小学2年生女子でも中学3年生男子でも、美味しいから食べて、などと言いながら、いきなりお菓子をこっそり(一応校則ではお菓子の持ち込みは禁止されている)三喜雄に持ってくるなどする。しかし中流育ちの三喜雄は、これは成績に下駄を履かせろという意味なのかとたまに勘繰っていた。突き返すのも可哀想で密かに悩んだが、他の教員たちに相談すると、受け取っておけと笑いながら言う。
私が、僕が、そうしたいからするだけ。媚びているのではなく、見返りなども一切求めていない。そういう考えだと納得できると、子どもたちの態度の清々しさに心が洗われるようになった。演奏するチャンス欲しさに、普段悪口の対象にしている大御所に媚びる音楽家などとは、雲泥の差だ。
ノアが三喜雄に世話を焼くのも、教え子たちに通じるものがある。もちろん三喜雄は、過剰な施しは受けないスタンスを貫いているつもりだが、あまり頑なに拒否すると、ノアを傷つけるかもしれないと最近考えるようになった。
自分がこの家に居座っていることで、ノアが何か不利益を蒙る可能性はゼロではない。三喜雄が気になっているのは、そこだった。しかしそれこそ、三喜雄が何らかの見返りをノアに求めるようなやましい関係ではないのだから、堂々としていたいとも思っている。