しかし声楽は一般的に、未就学の年齢から個人指導を受けるものではない。三喜雄が藤巻陽一郎に師事を仰ぐようになったのは17歳になってからだ。始めるのがもっと遅くても、伸びる可能性が高いのが歌である。
それはつまり、教えを乞う人たちが、自発的かつ真剣である場合が多いという意味でもあった。三喜雄自身がそうだったが、芸術系大学の声楽科を受験したい高校生がまず存在する。社会人アマチュアでも、もっと上手くなりたい、コンクールに挑戦してみたいという歌い手も多く、人によってはプロ顔負けの技術を持っていたり、味を出したりする。つまり、彼らを支え、大学受験やコンクールで結果を出すことができるための指導をしている人間が、彼らの陰にいるのだ。
声楽を教える者には、生徒に向き合う際に、ピアノやヴァイオリンを情操教育として手ほどきするのとは別種の覚悟が要る。そんな指導なんて無理だ。三喜雄はまずそう感じた。例えば藤巻の指導が無ければ、歌手・片山三喜雄は絶対に存在しなかったが、一人の人間の命運を握るような、責任を伴う指導など、自分にはできない。
三喜雄がやや俯いて黙ってしまったので、ノアは気にするように軽く覗き込んでくる。
「あ、誤解しましたか? 歌うのをやめて教える道に行けと言っているのではないですよ……あと日本では、演奏は良くてもきちんと教えられない人が、舞台のキャリアだけで大学の先生になったりしてるのも、ちょっと気になります」
ノアは、日本の音楽教育にも問題があると考えているようだった。彼の指摘は的外れではない。三喜雄は事実、大学でも大学院でも、担当教官のせいで演奏スタイルを崩してしまったプレイヤーを見ている。
個人でついている先生も、これまで学校で教えてくれた先生がたも、自分の歌い方や好みを押しつける人たちでなかったのは、三喜雄にとってラッキーだった。しかし、アンラッキーなら最悪音楽の道を諦めなくてはならなくなるなんて、ナンセンス過ぎる。
三喜雄の表情に複雑なものを見て取ったらしいノアは、軽く眉をハの字にした。
「ごめんなさい、本番をたくさん控えてるのに余計なことを言いましたね」
そんなことはない。30代半ばに差し掛かる三喜雄は、まだ歌うことに集中していてもいい「若手」ではあるが、今後の自分のキャリアは常に意識しておくべきだ。
「そんなことないです……俺は学生時代からずっと、音楽しかできない人間になりたくないと思ってきましたから」
三喜雄がぽつりと言うと、ノアは軽く頷いた。
「そうですよ、三喜雄には可能性がいっぱいあるし、音楽とは全く違うことを学ぶ時間だってある……『教える』という選択肢は、今の三喜雄に身近なものだと私が思うひとつの例です」
ノアは、演奏の片手間に生活のために教える道を、三喜雄に薦めているのではなかった。三喜雄が大学でかじった教育学の分野を、修士や博士レベルまで極めたらどうかと言いたいらしい。
「でも……それは日本に居たら難しいです」
「そうですねぇ」
ノアはそこで一旦、この話題を区切った。三喜雄の中に軽いもやもやが残ったが、独りでいるとなかなか考えるきっかけが掴めないので、よかったと思った。
「そうそう、北海道から戻って以降、火事のことを思い出すのは落ち着いてますか?」
三喜雄は再度、ノアの緑がかったカフェオレ色の目を見て、はい、と答えた。
「少なくともサイレンは大丈夫みたいです」
「札幌で乗り越えた感じですね、よかった」
三喜雄には少し迷っていることがあった。オープンキャンパスの際に三喜雄を助けたクリーム色のハンカチは、洗濯すると三喜雄の実家の洗剤の匂いになってしまった。どうもノアの部屋の匂いでないと癒し効果が無いようなので、一度彼に返そうかと思っているのだ。
「あの、ノアさん」