三喜雄は共感する。北海道は真っ直ぐの道がずっと続くと本州民は言うが、案外山はあるので、東京に出てきた時、景色に軽い違和感を覚えたのだ。
瀧は増えてきた登りのカーブを、軽やかなハンドルさばきで走る。
「だからこういうところを走るのは好きですよ」
「ちょっと横浜市内とは思えないですね」
「学生が合宿でよく使うようですね、本来なら多少涼しいところなんでしょうけど」
山に入りかけた場所にある、森の中のホテルに到着すると、一般客も宿泊できるらしく、車寄せがなかなか立派だった。瀧が建物の正面入り口の前で三喜雄を降ろそうとする。VIPじゃあるまいし、しょぼいバリトン歌手としてはどこででも降ります、という感じなのだが。
ホテルからTシャツにジャージ姿の、2人の男性が出てきた。いかにも合宿中の学生という雰囲気の彼らは、三喜雄を迎えに出て来てくれたに違いなかった。
「あの子たちのような気がします」
三喜雄が軽く指差すと、了解です、と言いながら、瀧はブレーキを踏んだ。
助手席の扉を開けると、熱気が押し寄せた。やはりその男子たちが合唱連盟の事務局の人間のようで、三喜雄に気づいて素早く近づいてくる。
「おはようございます片山先生、暑い中お越しいただきありがとうございます」
2人は連盟の名刺を持っていた。最初に名刺を渡してきたのが、普段メールをくれる渉外担当の
三喜雄も名刺ケースを出す。
「おはようございます、いつもお世話になっています……図々しくお邪魔することになって申し訳ありません」
「とんでもないです、先生に来ていただいてもまともにお礼もできないのに」
中原たちの態度が、昨年末の北海道の合唱連盟の学生たちと比べるとやや恭し気なのは、9ヶ月で三喜雄の知名度が少し上がった証拠かもしれなかった。しかしこちらも自分の仕上げのために学生たちの力を借りるのだから、あまり持ち上げられるのも困る。
「中原さん、メールでもお伝えした通り、先生は無しで……私はあなたたちに、何も教えてないですから」
「いや、これから一緒に練習して、僕らが何も教えてもらわないなんてことはあり得ないですよ」
瀧が三喜雄を無事に送り届けるミッションを果たし、車を出した。三喜雄は運転席の彼女に手を振り、感謝の気持ちをもって見送る。彼女とのドライブは安心で楽しかったので、これからあまり移動の際に遠慮し過ぎないようにしようと思った。
学生たちは三喜雄を建物の中に導いた。外は今日も、季節が進む様子が全く無い。冷房の効いたロビーはまだチェックインの時間を迎えておらず、安らかに眠っているようで、その静けさにちょっとほっとする。
三喜雄は学生たちについて歩きながら、自分をできれば先生と呼ばせたくなくて、話を続けた。
「昨年の秋、北海道の学生さんにも同じことを言ったんですけど、ソリストは見本や手本になったとしても、やっぱり先生ではないんですよ」
「うーんでも、小中学校で先生してらっしゃるんですよね?」
「あの子たちと皆さんとは違います……ソリストと合唱団は舞台の上では対等です」
中原は口許を手で軽く押さえた。隣に歩く学生がおい、と中原をたしなめ、彼は笑いを堪えながら、三喜雄に軽く頭を下げた。
「すみません、片山さんがガチで譲ってくださらないので……ぶっちゃけソリストのかたって、先生って呼ばれたがったりしません?」
東京の大学生は恭し気にしていても、北海道の子たちよりやはり生意気だ。多少舐められているかもしれなかった。三喜雄は素を小出しにする。
「そういう人もいるでしょうねぇ、私もぶっちゃけると、先生って呼んでおけばとりあえず間違いないと思われてそうなのが嫌なんですよ」
中原の隣の学生は、思わずといった風に足を止めて、あ然とした。中原もこの三喜雄の言葉には、振り返って目を剥いた。
「えっと、神にかけて誓いますけど、少なくとも俺は片山さんに対して、そんな不遜で失礼な気持ちは無いです」
「中原さんはクリスチャン?」
「いえ、でも学校はミッション系です」
「……じゃあ信用できないなぁ」