微妙な沈黙が流れた後、3人同時にぷっと吹き出した。三喜雄は、こんな場所で若い子相手に小競り合いをしていることに笑えてしまったのだが、学生2人も似たような気持ちなのだろう。
中原が気を取り直したように言う。
「申し訳ありません、じゃあ片山さんのことは先生と呼ばないように申し送りします」
三喜雄もここは素直に応じる。若いといえども、大学生は大人だ。
「ごめんなさい、大人げなかったですね……わがまま対応、ありがとうございます」
「いえ、個人的にはそういうデリケートなところで意見が明瞭な人は好きです、先生と呼べと言われるのも微妙ですけど、呼んでほしそうな空気出されるのが一番困るので」
自分でやり取りできる案件は事務所を通さなくてもいいと言われているので、三喜雄は中原と7月からメールを往き来させている。いつもさくさくと簡潔かつ的確な指示をしてくるこの学生は、頭がいいのだろうと思っていたが、予想は外れていなかったらしい。
中原の隣の学生は、はらはらしたようだった。目に見えてほっとした表情になったので、三喜雄は彼にちょっと申し訳なくなった。
少し話を振ると、2人はすぐに合唱の練習の進捗度を教えてくれた。出演者全員が集まるのはこの合宿が初めてだが、各大学で比較的練習をしてきてくれている様子だという。
「今日は朝から全体合奏をしました、まだテンポ感が揃わないですね」
テンポが揺れる曲なので、合わせの回数をこなすのは大切だ。本番指揮者が来れば、間違いなくまたテンポやニュアンスを変えられるので、全員がそれについていくためにも、今合唱だけで意思疎通しておく必要がある。
「難しい曲ですからね」
三喜雄は自分が学生時代に、合唱のヘルプに行って苦労したことを思い出す。中原は苦笑しつつ、ホテルの別館に向かう自動ドアをくぐった。
「男声は、今のところ頑張りが空回りしてます」
「あ、それはカルミナあるあるですから、落ち着いて調整していけたらいいですよね」
別棟には生徒や学生の団体のために、大小の集会室や小ぶりのホールがあるようだった。三喜雄は2階に連れて行かれたが、ちょうど昼の休憩が終わろうとしている時間なので、練習会場に向かおうとする男子学生たちに次々と遭遇する。
「あっ! おはようございます」
「よろしくお願いします」
学生たちに挨拶を返しながら、隅の部屋まで導かれた。中には3人の男女が座っており、三喜雄を見て一斉に腰を浮かせた。
一番に口を開いたのは、合唱指導の男性だった。
「おはようございます、今日はお忙しいところ、ほんとにありがとうございます」
いかにもテノールらしい、ころんとした身体の
「深井ちゃんの教え子なんだってね、よく話を聞いてるから初めて会った気がしないよ」
「あ、高校時代の恥ずかしい話とか聞いてらっしゃるんですよね」
「いやいや、よく歌う子だったって聞いてるよ? 全体合奏中に名指し指摘したら睨まれて、後にも先にもそんな気の強さを見せたのは片山さんだけだとか……」
「はあ、若気の至りで……」
恥ずかしいことに、それは十分、三喜雄の黒歴史に値する出来事だった。そんなつもりは無かったのだが、三喜雄も受験勉強やコンクールを抱えてイライラしていたのだ。そんな時に深井から歌い方を全員の前であげつらわれ、前に立つ彼に嫌な目線を送ってしまった。
袴田は朗らかに、連盟の事務局長である大学4回生の
桧山は今回舞台に上がらず、裏方に徹するという。就職活動は落ち着いたらしいが、卒業論文も仕上げなくてはならないのに、12月まで大変だ。
「ギャラが足りないのに出演を承諾くださったこと、本当に感謝します……私、北海道の合唱連盟に、高校の混声合唱部の知人がいまして」
桧山は旭川出身だと話した。同郷とわかり、三喜雄はこの女子学生に無条件に親しみを感じた。