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第3話 南波

『おいおい、このままじゃH(肥山)、死んじまうんじゃないのか。せっかくの遊びが台無しだ。面白くない。プレーヤーはなるべく生かしておいた方がいい』

 ガラケーから呆れたような声が聞こえてくる。それを聞いた俺は、深夜の廃工場にまた出かけざるを得なくなった。仕方なく車に乗りこむ。目立たない薄汚れた小型車。廃工場に行くときにはこれを利用している。

 合鍵を取りだして鍵穴に差す。どうやら『一抜けた』というのは許されないらしい。念のためフルフェイスのヘルメットをかぶり、階段を降りる。

 血の臭い。俺は鼻を歪めた。部屋のテーブルの横でイスに括られたまま横倒しになっている男がいる。肥山だ。ずいぶんひどくやられたものだ。物音にも反応しない。意識を失っているふりをしているのか、本当に意識がないのか。どうやら後者らしい。ウェストバッグから注射器を取りだし、肥山の腕に薬剤を注入した。

 これでしばらくは眠りつづける。

 ひどいもんだ。頭から血だらけ。だが、頭の傷は出血が多い。見かけほどのケガではないだろう。しかし本人は相当に苦しかったはずだ。

 薄い光に目を凝らすと床のあちこちに血痕が散らばっている。随分動き回ったに違いない。この重い木の椅子を背負ってか。まるでカタツムリだ。同情するね。

 頭のケガの具合を見る。命に別条はないだろう。出血も止まっている。

 ロープに括られた腕も足も擦り傷で赤黒い。が、さすがに締めつけてはいないので、血は通っている。緩めてやる必要はなさそうだ。

 様子を見に来たが、とくに手を入れる必要はない。

 ただこのままではおもしろくない。

 杉本はこのまま肥山を閉じ込め続けて餓死させるつもりだろうか。いかにも陰険な奴が考えそうなことだ。男の嫉妬はねちっこい、男の俺がいうのだから確かだ。

 しかしおそらく、杉本はまた経過を見たくなるはずだ。

 少し悪戯をしてやろう。

 横山を外に運び出す。

 さて、その前に、水くらいは肥山に与えておこう。

 ペットボトルの水をあてがうと、無意識に肥山はそれを飲んだ。喉はからからに乾いていたはずだ。

 そのあと、俺は横山に声をかけた。

「横山、もう芝居はいい。ご苦労だったな。起きろ」

 おかしい。反応がない。横山も眠っているのか。横山の伸びきった体の上に身をかがめて俺は息を飲んだ。死んでいる。本当に死んでいる。首にひもが絡みついている。赤い丈夫な太いひも。こんなものはこの地下室にはなかったはずだ。

 横山の「死体」とずっと一緒にいたのは肥山だけだったはずだ。だが、あの状態で横山を縊り殺すのは無理だ。

 残るは、杉本しかいない。よく観察すると、ひもは左側により強くねじり上げられている。左利きは杉本だ。奴が殺ったとしか考えられない。いつ殺ったのか。俺が横山を「事故」を装って「殺した」のは、俺と横山だけが知っていることだ。そのあと、杉本が、横山が実は生きていることに気づいて、今度こそ確実に殺してしまった。そしてずっと恨んでいた肥山にその罪をかぶせて共に地下室で殺すつもりだった。そうとしか思えない。とすると、俺と横山のたくらみを杉本は知っていることになる。

 これは大いなる「計算違い」が起こっているということだ。

 こうなると肥山をこのままにしておくわけにはいかない。まずは叩き起こさないと。

 俺は持参した小刀で肥山の戒めを解いてやった。さっき睡眠薬を注射したばかりだから死んだように動かない。うつぶせにしてケガの状態をもう一度確認した。後ろから殴られている。おそらくこの木製イスだ。重量があるから思い切り殴りつければ相当の打撃があるはずだ。服を脱がせて詳細にケガの状態を見る。肩に赤黒い大きな痣があって腫れている。骨折はしていないようだが、ひびくらいは入っているだろう左肩。こいつは右利きだ。利き手の方は大丈夫のようだ。腹にも痣がある。蹴られたか殴られたかしたに違いない。肥山はそれなりに腕っぷしに自信を持っていた。それがこれだけやられているということは、あのひょろりとして弱そうな杉本はずっと猫を被っていたということになる。肥山も油断したんだろう。

 眠らせるべきではなかった。今すぐ叩き起こして何があったのか訊くべきだった。だが、肥山はぴくりともせずに眠っている。

 俺はガラケーを出した。

 綿引さんに連絡するためだ。

 この「遊び」はとんでもない方向に向かっていることを伝えておかねば。

 つながらない。

 どういうことだ。この携帯がつながらないことなどありえないはずなのに。実際、横山を「殺った」という芝居の報告はすぐにできたんだ。

 俺は冷たい汗を感じた。この「遊び」はとんでもない「罠」だったのかもしれない。綿引は何を考えている? 冷静に経過をもう一度振り返るんだ。

 とりあえず階段を上がってドアを開けようとした。

 開かない。鍵がかかっている。合鍵を取りだし鍵穴に差し込もうとしたが、うまく入らない。俺の手が震えているのか? 違う。鍵穴は完全に潰されている。取っ手を握って押したが、びくともしない。

 俺まで「罠」にかかったということか。

 俺は何度も何度も電話をかけたが、つながらず、とうとうコール音さえしなくなってしまった。着信拒否か。

 潰された鍵穴から目を細めて外を見ると、何かがドアの前にある。それは俺の乗ってきた薄汚れた白い車だ。近くの幹線道路の騒音で気づかなかった。誰かが車を動かして、鍵を壊したドアの前に横付けに停めているのだ。俺たち三人、いや横山は死んだから俺と肥山を閉じ込めて餓死させる気だ。

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