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第5話 肥山

 暗闇からいきなり掴みだされたような感覚だった。

「おい、肥山、そろそろ大丈夫か。起きて欲しいんだが」

 俺は起きようと思った。そしてそう思っているということは俺は生きているに違いないと知った。この声は、そう、南波だ。

 だんだん記憶が輪郭を描く。そうだった。南波が横山を電気で殺して、出ていった。そして俺は、杉本にやられたのだった。

 かかった時間が数分か数十分かは分からないが、奥の長椅子に寝かせられている自分に気づいた。

「よう、ようやく目を覚ましたか」

 南波が皮肉そうな笑みを浮かべて見下ろしている。とっさに身構えた。杉本の裏切りを思い出したからだ。

「おい、助けてやったんだぜ。あんたが床で死にかかっていたところをな」

 頭に何か貼ってある。このたまり場の地下室には念の為、救急治療セットがあったことを思い出した。あちこちに絆創膏がはられている。しかし、体を動かすのは難しかった。身構えようにも体がついていかないことにさっき気づいていた。

 南波が傍らの机の上に座った。

「質問がある。横山を殺したのはお前か?」

「はぁ?」

 俺は驚愕する。

「殺ったのは南波、お前だろう。俺のこの目の前で、感電死させた」

「そうか、そうだったな」

 とぼけた口調で言って、南波は何か考え込むようにあごに手をやった。

 俺は何とか体を動かして隙を見て外に逃げ出したいと思いつつ、まだ、体のダメージが強くてうまく動かない。

「まだ無理さ。睡眠剤を打ってるからな」

「どういうことだ」

「計算が狂ったのさ。……すぐにわかることだから言うが、横山はそこで死んでるぞ。首に赤いひもを巻かれてな」

 赤いひも? 絞殺されたのか。いや、奴は確かに死んだと杉本が。もっとも杉本の言うことはもうまったく信用できない。奴は裏切ったのだから。

 南波は相変わらず皮肉に笑う。

「肥山、あんたは自覚があるだろうが単細胞だ。いい奴だがな」

「どういうことだ」

 俺は殴り倒したい思いを押し殺して訊き返す。

「やったのは杉本だ。左利きだったからな。それから、お前をコテンパンにしたのも杉本だな」

 俺は無言だが目で頷く。

「大芝居のお遊びがとんでもない方へ行ったようだ」

 予感はあった。

「……どういうことか、全部話せ」

「ああ、話してやるよ。ついでに言っておくが、俺たちはもうここから出られない」

 ゾッとするようなことを軽くいうヤツだ。

「鍵が壊されて、しかも鉄扉の前に自動車が横付けされている」

「杉本がやったのか」

「だろうね」

「お前の方からまず話してもらっていいか」

「いや、逆だろう。『大芝居』だの『お遊び』だのの真相を話せよ」

 南波は大笑いした。

「もっともだ」

「横山は抜けたがってたのさ」

「え、組織をか」

「そうだ」

 南波は煙草とライターを取りだした。

「吸ってもいいか」

「勝手に」

 一口うまそうに吸って紫煙を吐く。いまどきこういう様が絵になる男はそういない。

「こいつも馬鹿な奴でな」

 横山の死体があると思しき方を目も逸らさず、何の感情も見せずに南波は見やった。

「親父は裁判官なんだ。知ってたか」

 俺は驚いた。俺とはまるで出自が違うではないか。道理でいけ好かないものを感じざるを得なかったわけだ。

「でも親父も馬鹿だったのさ」

 皮肉な笑みを浮かべて南波は言い、二口目を吸った。

「馬鹿が。こいつの育て方がまるでなっていなかったんだ」

「どういうことだ」

 俺はいつしか南波の話に興を引かれていた。

「こいつは学校に行ってない」

「へ? 親父が裁判官なら、お受験して行ってたんじゃないのか?」

「そこが甘やかしだ。こいつはすぐに嫌になって不登校になったのさ。本人は『束縛を嫌った』なんぞと得意そうに言っていたが、反抗するでもなく逃げ出しただけだ。親父は『自主性を尊重する』なんぞと抜かしてこいつを叱らないばかりか、家庭教師を雇った。金持ちがやりそうなことだ」

 南波はそれでも、憐れむような目つきで奴の死体の方を見下ろした。

「ある意味、気の毒な奴さ。それでも大学はT大法学部と決めて、こいつの言によれば100%受かるはずだったそうだ」

「落ちたのか」

「受けられなかったんだ。このバカは受験の前に初めて恋をした」

 「恋をした」などという言葉が南波から出てくるのが意外で、俺はあやうく笑い出しそうになった。

「だが、相手は怯えてた……これは俺の推測だが、要するにストーカーそのものだったんだ」

 俺も苦笑した。

「電車のなかで声をかけ、逃げるのを追いかけて、家まで突き止め、つきまとい」

「確かにストーカーだ」

「しかもとうとう婦女暴行未遂事件に発展。驚愕した親父は即勘当、手の平返されたこいつはあっという間にここまで転落、何せ世間的にはよちよち歩きに等しい奴だったからな」

「待てよ」

 解せない。

「それが本当なら、何であいつは俺たち四人組に入れたんだ」

「そりゃあ、いざというとき親父を使うために決まってるだろう」

 確かにそうだ。

 南波の話はそれなりに筋が通っていたが、それでも俺は何か腑に落ちないものを感じていた。ただ、今は考えを整理することができない。それにしても、死者とはいえ、横山のヤツ、「暴走族のアタマ」とはよく言ったものだ。

 俺は腕を動かした。激痛がして呻いたが、ようやく動かせるようになってきたようだ。しかし左肩がうまく動かせない。

 南波は今度は横山の死体ではなく俺を見下ろしている。

 だが、こいつが俺を殺るつもりなら、もうとっくにそうしている筈だった。少なくとも手当などはしないだろう。

 何を企んでいるのかは不明だが、今すぐどうかなる可能性は低い。

 今の俺は、こいつがその気になったら呆気なく殺られてしまうだろう。

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