二〇一七年八月二十日。
その日、私たちは甲府駅で落ち合い、特急あずさに揺られて新宿を目指していた。
窓の外を流れてゆく夏の山々は、どこか名残惜しげに緑をまとい、列車の窓に映る私たちの姿に柔らかな陰影を落としていた。
「お茶、飲む?」
瑞希が手にしたペットボトルを差し出してくる。
部活のときには決して見せない、少しだけ柔らかく、素のままの瑞希がそこにいた。
そういえば、こうして二人きりで出かけるのは初めてだった。
いつもは瑠璃や雪ちゃんと一緒で、瑞希とは学校や部活の延長線上でしか話してこなかった。
仲が悪いわけではない。むしろ信頼はしている。
けれど、「友達」と呼ぶには何かが違った。ただ「戦友」とか、「同じ舞台に立つ人」──そんな距離感だった。
「ありがとう……ございます」
つい、よそよそしく敬語が出てしまい、瑞希がくすりと笑う。
「あはは。なに、それ」
少し困ったように眉を下げたその笑顔が、意外にやわらかくて、思わずこちらも微笑んでしまう。
その時、不意に三年前の記憶が胸の奥から立ち上がった。
山梨では、県内の公立高校で吹奏楽推薦などという制度は、ほとんど存在していなかった。
ただ、熱心な顧問が「この子を迎えたい」と思えば、非公式に声をかける──そんな例外的な措置は、まれにあった。
私がトランペットを始めたのは中学に入ってからだった。
ピアノを習っていた延長で何となく音楽に惹かれ、何となくトランペットを手に取り、何となく三年間続けていた。
気づけば西関東大会に進んでいたが、それはあくまで偶然の積み重ねだった。
本番のソロも、深く考えることなく吹き切ってしまった。感動はあった。けれど、どこか他人事のような熱の浅さが、今になって思えば否めなかった。
そんな私にとって、あの日、瑞希たちの演奏を初めて聴いた瞬間は、文字どおりの「衝撃」だった。
同じ山梨代表として臨んだステージ。
ホールに響いたその音は、私たちのものとは明らかに違っていた。
瑞希のクラリネットソロは、今も記憶の中に鮮やかに残っている。
澄みきった音色。迷いのない息遣い。中学生とは思えぬ、確かな技術と表現力。
まるで、その音だけが異なる空気の中に存在していた。
しかし、結果は皮肉だった。
私たちの学校は銅賞。瑞希たちは全国へ進めない、いわゆる「ダメ金」。
その瞬間、会場に小さなどよめきが広がったのを、私は今でもはっきりと覚えている。
そしてその時、客席の片隅にいたひとりの男が、私たちのソロを食い入るように見つめていた。
土橋だった。
部活動を引退した後の私は、地元の高校へ進学するつもりで、漠然と受験勉強に取り組んでいた。
強い意志があったわけではない。ただ、目の前のレールをなぞるように日々を過ごしていた。
そんなある日、土橋が中学校に現れた。わざわざ、私一人のために。
「君が必要だ」
その時の言葉は、いまでもはっきりと覚えている。
目を逸らさず、まっすぐにこちらを見つめる眼差し。
押しつけがましくないのに、どうしようもなく熱い言葉だった。
なぜか、それが胸の奥深くに沁みた。
気づけば、私は地元ではなく、第二甲府を志望していた。
その決断が運命の分かれ道だったのかもしれない。
入学前、第二甲府の部活動体験に参加したとき、一番の驚きは瑞希の存在だった。
彼女は福岡の名門校へ進学する、という噂が広まっていたからだ。
その瑞希が、同じ場所にいた。それだけでも十分衝撃だったが、実際に耳にした演奏は、それ以上だった。
音が違う。
響きが違う。
呼吸のひとつひとつに、揺るぎない意志と感性が宿っていた。
その時私は思った。
この人に、勝てる日は来るのだろうか──と。
けれど、そんな彼女は、どこか孤高だった。
圧倒的な実力と、近づきがたいストイックさ。
演奏だけでなく、その存在そのものが、周囲とのあいだに目に見えない距離を生んでいた。
季節がめぐり、一年の冬が近づいたある日。
そんな瑞希が、突然私に声をかけてきた。
「ソロコンテストの伴奏、お願いしたいんだけど」
思わず、なぜ私に? という言葉が喉元までこみあげた。
でも、断る理由もなかった。だから私は、ただ頷いた。
それが、私たちの関係の始まりだった。
伴奏を通して、私は彼女の演奏に何度も触れた。
触れるたびに、強く思った。私も、こうなりたい。
彼女の音には、言葉にできない「真」があった。芯の強さと、孤独なまでの情熱が、音そのものに宿っていた。
自然と、私の練習時間も増えていった。
目指すべき存在が、いつも隣にいたから。
それでも、私たちはプライベートで遊ぶような関係ではなかった。
瑠璃のように、ふざけ合ったり笑い合ったりすることも、ほとんどない。
けれど、互いの背中を信じて預け合えるような、静かな連帯感がそこにはあった。
まるで、大人の世界におけるビジネスパートナーのような。
感情より先に、信頼があった。
「……そろそろじゃない?」
瑞希の声に、ふと我に返る。
視線を窓の外に移すと、新宿のビル群が、目の前に広がっていた。
渋谷、オーチャードホール。
その壮麗な佇まいを前に、私は言葉を失っていた。
荘厳な曲線を描く天井、重厚な静けさ。まるで異世界のような空気が、日常から私をそっと引き離していく。
しかし、演奏が始まった瞬間、そんな外観すらも霞んでしまった。
目の前に広がるのは、ただ音だけの世界だった。
『交響曲第三番』。
今回は全カットなしで演奏されると聞いていた。
ユーチューブでフル演奏を聴いたことはある。それでも、完全版の生演奏は、想像をはるかに超えていた。
音が、生きていた。
その音たちは、色を持ち、温度を帯び、時に囁くように、時に大地を揺るがすように響いた。
同じ楽器とは思えなかった。
息遣いひとつすら、すべてが意味を持っていた。
特に、第三楽章。
その静謐で深い音の流れに、私は完全に飲み込まれていた。
ふと周囲に目をやると、静かに涙を拭う観客の姿がいくつもあった。
この音楽が、確かに人の心に届いている──そう思えた。
そして、迎えた第四楽章。
華やかで、希望に満ちた旋律。けれど、それだけではない。
そこには、たしかに「やさしい哀しみ」が宿っていた。
過去を受け入れた上で前を向こうとするような、静かな決意が滲んでいた。
その時、私は気がついた。
私たちが演奏していた第四楽章は──ただ明るく、ただ勢いに任せたものではなかったか。
第三楽章から第四楽章への橋渡しが、まるで断ち切られていたように思えた。
気持ちの切り替えで済ませてしまった部分。
その一瞬の「明るさ」に、どれだけの祈りと哀しみが込められていたか、私たちは理解していただろうか。
楽譜をなぞるだけでは、音楽にはならない。
音の向こうにあるものを、感じ、考え、伝えようとすること。
それが、「表現」なのだと──ようやく、わかりかけた気がした。
終演後、ホールの外に出た。
夜の渋谷は、いつも通り喧騒に満ちていたが、どこか遠くの世界のようにも感じられた。
「……すごかったね」
私がそう言うと、隣の瑞希は小さく頷いた。
その目は、まだ舞台の上にある音を見つめているようだった。
駅へと向かう人混みの中で、瑞希は終始、無言だった。
感動の余韻に浸っているというよりも、自分たちの演奏に足りなかったものを、痛切に見つめているように思えた。
私はただ、そんな彼女の横顔を横目に、渋谷の街を歩き続けた。