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第3話 Black sheep⑦

 火が爆ぜる音が、暗闇の中で一際大きく響いた。

 悲鳴とも呻き声とも判断がつかないそれが一つ、また一つと消えて行く間を、鼻歌混じりに歩く人物がいた。彼女が歩を進めるたび、タイトドレスのスリットの裾が緩く揺れている。


 火に照らされたその横顔は、この国のものではない東洋の血が混じったものであったが、それでも驚く程整った、涼やかな顔立ちをしていた。

 肩口で切り揃えられた黒髪の間から覗く、キツネをモチーフにした銀色のピアスに、燃え盛る火がチラチラと反射して、まるで彼女の存在を強く主張しているかのようだった。


「マモン、耳障りだから静かにしてちょうだい」


 美しく澄んだ、だが少しくぐもった女性の声が暗闇から響く。マモンと呼ばれた人物は、黒い瞳をすっと動かしてその声の主を見遣みやる。


「リヴァイアサンやないの。そっちは終わりはったん?」

「紡がなく終わったわよ。そっちは? ……まっ、この様子だと訊くまでもないわね」


 リヴァイアサンと呼ばれた女性がマモンの足元へ視線を向けると、地面にはもう元の形も分からない程にぐちゃぐちゃに潰れた肉塊がいくつも転がっている。


「本当に下品な奇跡だこと」


 暗闇から姿を現したのは口元を布で覆い、長い銀色の髪を頭の後ろで一纏めにした女性だった。リヴァイアサンは手に持っていた死体を放り投げると、マモンへ視線を向ける。彼女の紫色の瞳には辺りで燃えている火の光が反射していて、まるで宝石のように輝いている。


「そない褒めんで? 照れてしまうさかいに」

「別に褒めてないわよ気持ち悪い」


 リヴァイアサンは吐き捨てるようにそう言うと、レッグガーターからナイフを一本抜き取ってそのままマモンに向けて放り投げる。

 しかしナイフはマモンの顔から僅か数ミリ横を逸れ、そのまま後ろにいた誰かの眉間に深く突き刺さる。その誰かは悲鳴を上げることもなく、どしゃりと音を立てて地面に倒れ伏してしまう。


「ねぇ、ずっと言ってるけど仕事が雑なのなんとかならない? 陛下やドゥ様がこのことを知ったら何て言うか」


 リヴァイアサンさんはピクピクと痙攣する人間だった何かからナイフを抜き取り、その白く長い指先でスッと血を拭う。


「せやねえ。けど、あんさんが片付けてくれて助かったわァ」


 ぱっと開かれた銀色の鉄扇の向こう。すっと細められた黒い瞳に、リヴァイアサンは苛立たしげに舌打ちを一つする。


「……本当に人の神経を逆撫でするのが上手いわね、あなたは」


 吐き捨てるようにそう言うと、リヴァイアサンは遠くに見えるまだ幼い翠髪の少女へと視線を向けた。


「で、スコクスはあんなところで何やってるの?」


 スコクスと呼ばれたその少女は、こちらの気も知らず、燃えている木の端で肉塊を突いてはキャッキャッと楽しげに笑っている。


「ここは子どもの遊び場じゃないんだけど?」

「そないなこと、うちに言われても困るわァ」

「あの子に言っても聞かないからあなたに言ってんのよ」

「そない責めんといてやー。リヴァイアサンは怖いお人やなァ」

「どの口が」


 マモンは何も言い返すことなく、鉄扇越しにニヤニヤとした笑みを浮かべながらスコクスの元へと向かう。


「スコクス。そろそろ遊びは終わりにし」

「マモン!」


 顔を上げたスコクスはマモンを見てパッと顔を輝かせると、てこてこと駆け寄ってくる。辺りで燃えている家々の灯りに照らされたその顔は、返り血と煤ですっかり汚れてしまっている。


「なんや、えろう汚してからに。そんな楽しかったん?」

「全然楽しくなかったよ!」


 言いながらスコクスはぎゅっとマモンを抱きしめると、幼子が母にそうするように幸せそうな表情で顔を擦り寄せてくる。


「相変わらず甘えたさんやねぇ」


 マモンがそう言ってスコクスの翠色の髪を撫でると、少女は抱きしめる腕に力を込める。


「家族ごっこは他所でやってくれない? 反吐が出るわ」

「ええやないの。あんさんも家族に入れたろか?」

「遠慮しとくわ」

「素直やないなァ」


 マモンは喉の奥で楽しげに笑いながらそう言うと、何処からともなく取り出した煙草を一本咥える。


「スコクス。離れ」

「やだぁ……」


 スコクスが素直に離れたのを見届けると、すぐ近くで燃えている炎に顔を近付けて煙草に火を点ける。


「で、サタンはどこ行ったん? あんさんが一緒やったはずやろ?」


 銀色の煙を吐き出しながら訊ねると、リヴァイアサンは紫色の瞳をすぐ近くに建つ、この村で一等高い建物へと視線を向ける。


「そこよ」


 リヴァイアサンが呟くように言った瞬間、ズンッと低く重い音が辺りに響いたかと思うと、それはゆっくりと傾き始める。やがて自重に耐え切れなくなった建物が、ガラガラと大きな音を立てて崩れ落ちた。


「相変わらず派手にやりはるなァ」


 紫煙と共に吐き出された言葉に、リヴァイアサンは内心同意する。

 やがて崩れ落ちた建物の中心が盛り上がると、そこから一人の大男がぬっと姿を現す。ギロリと彼の赤い瞳が三人の姿を捉えると、男はカカカッと楽しげに笑った。


「なんだ遅かったじゃねぇか」

「あなたが単独行動してるだけでしょ、サタン」

「んなもんテメェらが遅せぇだけだろ」


 サタンは唾を吐き捨てながら言うと、ゴキゴキと首を鳴らした。


「奇跡も使わずにこの怪力って……本当に同じ人間とは思えないわね」

「鍛え方が足りねぇんだよリヴァイアサン。んなことより見つけたぜ。こいつだろ?」


 言いながら、放り投げられたのは一人の初老の男性だった。その人物は「ぎゃっ」と短い叫び声を上げて地面に転がる。

 やがてよろよろと顔を上げたその男は恐怖に怯えた表情で後退りしようとするも、リヴァイアサンが紫色の瞳を輝かせてじっと睨むと、男はその場で石になってしまったかのように動けなくなる。


「そない雑に扱ったりなや。壊れたらどうするん。なァ、町長はん?」


 吸っていた煙草を指で弾くと、マモンはゆったりとした歩調で町長の元へと向かう。


「どや? あんたの町がこんな風になってもうて」


 マモンは町長と呼んだその人物と視線を同じにするように屈むと、妖艶な笑みで問い掛ける。


「ば、化け物どもめ……」


 町長が震える声で言うと、マモンはフフッと少女が秘密を見つけた時のように小さく、でもどこか楽しそうに笑った。


「そんな酷いわァ。うちららが化け物やて? あんさんと同じ人間やで?」


 言いながら鉄扇の親骨で町長の顎の辺りをゆっくりとなぞっていく。町長はその動きを恐怖に震える目で眺めつつ、ごくりと喉を鳴らした。


「リヴァイアサン、そろそろ奇跡解いたって」

「命令しないでくれる?」

「命令やあらへん。ただのお願いよ?」


 細められたその目に、リヴァイアサンは腹立たしげに舌打ちすると、すっと瞳の輝きを抑える。それと同時に、町長が背中から倒れてしまう。


「あらァ? うちのこと誘ってるんかいな。残念ながらうちはリードしてくれる男の方が好きなんやけどなァ」

「だ、誰がお前なんかを誘うか! ワシの町をよくもこんな――」

「町? フフッ教えて欲しいんやけど、どこに、町が、あるん?」


 町長が忙しなく辺りを見渡すが、そこにあるのは焼け落ちた建物と、ここの住人だったらしき肉塊が転がっているだけ。


「ああああああああああ――――――ッ!!」


 町長の絶叫に、マモンは美しく微笑んで見せる。


「誰のせいやろなァ。あんさんがちゃーんと支払とったらこうはならんかったんよ?」

「していた! ワシは確かにお前達の求めるだけの金銭を! 食料を渡していたはずだ! なのにこんな……こんなことッ!!」


「あらァ……それは悪いことしたなァ。でも、それがほんまのことやったら、やけど」

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