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第3話 幼馴染の父親と密会した結果、凍った湖で溺れる

「お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」

 俺から呼び出した目上の人だ。頭を下げるのは当然なはずだけど、おじさんは「やめなさい」と窘めてくれる。

「息子相手だ。そこまで丁寧にされると、悲しくなってしまう」

「……息子では、ないんですけど」

 冗談にしてもなかなか笑えない冗談を、この人は十数年も言い続けている。だから、否定した先の台詞もわかっているのだけど、つい耐えきれなくなる。


 耐えきれなくなって口にした否定の言葉を受けて微笑むおじさんの顔を、俺は何回見たのだろうか。

「確約された未来であるなら、今そう呼んでも構わないだろう?」

「アオとは幼馴染ですよ?」

「家族だろう?」

 ニコニコするおじさんに顔の筋肉が硬直していくのがわかる。

 家族。家族。

「そう、ですけど」

 その言葉を否定する気はなく、小さく頷くだけで精一杯だった。


 でも、それとこれとは違うだろうと俺は線引を求めるのだが、おじさんはなにもかも見透かすように嬉しそうに笑うばかりだ。

「ユイト君もなにか頼むか? 私は先に頂いてるから気にしなくていい」

「じゃあ、コーヒーを」

 炭酸系のジュースもありだとは考えたが、喫茶店で、なによりこの人の前でそうした子どもっぽさを見せるのをきらった。

 格好つけたいわけじゃないんだけど。

 微妙な気持ちになっているのも見透かされていそうな青い瞳が、微笑みで細くなる。


「そうか。ユイト君ももう立派な大人だ」

「コーヒーで大人かどうか判断されても」

「アオは飲めないからね」

 ここにはいない娘をからかうように笑うおじさんに、まぁ確かにと緊張と一緒に頬が緩む。どうしてこんな苦い物を好んで飲めるのか、とカップで揺れる黒い水面を見下ろしながら渋い顔をしている時がある。

 なら飲まなければいいのだが、ユイトが飲むからと顔をしわしわにして頑張って啜っている。最終的に残ったコーヒーは俺が飲むことになるので、本当に無理はしてほしくないのだが、苦渋に満ちた顔のアオも見ていて飽きないので本気では止められずにいる。


 おじさんが店員を呼ぶと、手早く注文を済ませてくれる。そうして、「さて」と空気を入れ替える言葉に背筋が伸びる。

「今日はどのようなご用件で?」

 一瞬、威圧するような雰囲気を感じて肩が跳ねたが、すぐに苦笑と共に霧散する。

「なんて、取引相手なら話す内容がわかっていても牽制するのだが、息子相手にする意味も理由もない。アオのことだろう?」

「あ、はい。そうです」

 取り繕う余裕もなくなって、こくこくっと頷く。

 普段は腹の探り合いのような牽制をしているのかと思わずにいられない雰囲気だった。首筋に汗が浮かび、背中を伝っている。


 そもそも、息子と呼び続けるのが一種の牽制じゃないのか? と思わなくもない。指摘しても笑顔で流されそうなので呑み込むが。勝てる気しないんだよなーこの人に。

 だから、余計な遠回りはしないで、素直に尋ねる。

「アオはどうして俺の家に来たんですか?」

「ユイト君と一緒に暮らしたいからだ」

 間髪入れずの返しに、こっちの息が詰まってしまう。

「いや、そうじゃなく」

「違うのか?」

「違くはないですけど」

 そういうことを訊きたいわけじゃない。

 確かに、そうした一面もあるとは思うし、結構な割合を占めているのも自覚している。ただ、わざわざアオに隠れてまでおじさんに連絡を取ってまで訊き出したい本質ではなかった。


 というか、

「わかってますよね……?」

「間違ってはいないだろう?」

「……さっき牽制しないって言ったのに」

 十分牽制じゃないか。

 思わず唇を尖らせると、「すまない」とおじさんが謝罪する。その声音が拗ねた子どもをあやすそれで、ますます唇が尖る。


「ユイト君の望む答えでないのはわかっていた。ただ、質問がよくない。アオが君の家に押しかけた理由を問われれば、私は何度でも同じ答えを口にする。そうだな。どうして今の時期だったのか、と付け加えたのであれば、もう少し近い答えを出せたろう」

 微笑むおじさんを見て、肩から力が抜ける。

 教師が生徒に指摘するような、そんな問答。

「おじさんは俺をどうしたいんですか?」

「息子にしたい」

 喉で止めていたため息が盛大に漏れ出す。冷静かと思えばこれなのだから、テンションの合わせどころに迷ってしまう。


「それで、この時期にアオが押しかけてきた理由はなんですか?」

「そうだな」

 指摘通りに尋ね直すと、おじさんは悩むように顎を撫でる。

 考えているように見えるが、それすらもこっちを悩ます演技にしか見えない。昔から理知的というか、思わせぶりな態度の多い人だったなと思い出す。

「アオにとっての理解者が、ユイト君しかいなかったと気付いたから、かな」

「理解者……」

 納得と、それはどうなんだという複雑な気持ちが胸中で渦巻く。


「アオは目を惹く。あの見た目だからというのもあるが、雰囲気がそうさせる。時折、妖精のようだと例える者がいるが、それは極論間違っていない。アオは妖精だ。だから、理解できない。そのことをユイト君は身を持って知っているだろう?」

「それは、そうですが」

 否定できない。

 おじさんの言う妖精は例えだが、的は得ている。生物せいぶつとして違うのだから、理解できなくて当然なのだと。ただ、そのままでいいかというのは別問題だ。


「もし、そうだとしても、受け入れたらアオは1人ぼっちになる」

「君がいる」

 目を見開く俺に、おじさんは優しく微笑む。

「ユイト君がいればそれでいい。1年半君と離れて、アオが見つけ出した真実だ」

 その真実を俺は尊くも、残酷だとも思う。

 ただ1人がいればいい。

 それは耳触りがよく、聞こえだけはいいが、その他の拒絶であり、依存でもある。物語の中なら美しくとも、現実でそうあろうとするのはあまりにも歪に思える。


「おじさんはいいんですか、それで?」

「いいとも」

 否定してほしいと願った疑問を、おじさんはあっさりと肯定する。

「大切な人、ただ1人を愛することを私は肯定する。他を拒絶することを、私は悪だとは思わない。むしろ、理解できない者に心を砕くことこそ、私は無意味だと断じる」

 ユイト君、と呼ばれて、いつの間にか伏せていた顔を上げる。

 恒星のように青く輝く、この世の者とは思えない瞳に俺が映り込んでいた。

「私は君が息子になると確信している、というかもう息子だと思っているが、ユイト君の選択を否定するわけじゃない。好きにしていい。私は君の味方だ」

「……ありがとう、ございます」

 頭を下げると、うんと微笑んで頷かれた。


 突然の転校に、同棲。

 理由を求めたが、訊いてどうするかまでは考えていなかった。仰け反り、額を押さえて天井を仰ぐ。ぐるぐると黒いプロペラがただただ回り続けている。

 中学でアオと離れて、でもまた一緒になって。

 答えを出せないまま同じところを回り続けているような、そんな錯覚に陥る。

 どうすればいいのか、よかったのか。

 今の自分と過去の自分に問いかける。そんな自問自答をしたところで、大した答えが返ってこないのは、わかりきっているが。


「さて」

 と、話はこれで終わりとばかりに、おじさんが空気を入れ替える。さっきと同じ言葉を使ったのは、話を切り替えるというのを俺にわかりやすく伝えるためだろう。

 これまでの会話全部計算じゃないだろうなと、思考の沼から抜け出せないまま正面を向くと、そこには微笑むおじさんがいて…………あ。


「これから予定はあるのか? せっかくなら食事をしようじゃないか。アオも一緒がいいな。一度連絡を入れて、駅で待ち合わせし直そう」

「どうして? もう一緒にいるわよね」

「隠れてユイト君と会っていたと知られたら、それはもう凍った湖のように冷たい怒りを向けられかねないからな」

「へぇ、……そう」

 確かに、その声には凍りついた湖のような冷たさがあった。そんな極寒の湖に飛び込んだようにおじさんの顔色は真っ青で、ダラダラと冷たい汗が流れ落ちている。

 先ほどまでの余裕は見る影もなく、今にも倒れてしまいそうだ。カップを持つ手が震えて、カチャカチャッと音が鳴る。


 おじさんが視線で助けを求めてくる。

「ユイト君。寒くないか? どうかここは1つ、温かい空気に変えてくれ」

「さて」

 要望通り俺は空気を変えるつもりで席から立ち上がる。ただ、温められるかは別問題。

「花を摘んできます」

「冬の湖に花は咲いてないぞ?」

 震え声で行かないでほしいと暗に伝えてくるが、申し訳ないことに俺もこの寒気のする空気に耐えられそうになかった。


「花冠を作るつもりなので、少し時間がかかかもしれません」

「そうか。なら私も――」

「パパ」

 発した言葉はたった2文字なのに、吹雪いたように周囲の気温が急激に下がったと錯覚する。……錯覚だよな? と疑うくらいには寒く感じる。


 諦めておじさんが振り返ると、後ろに立っていたのは心底冷めた目で見下ろすアオだった。光加減の問題か、深海のように見える重く鈍い瞳の輝きにはたから見ているだけの俺ですら身震いする。


「い、今から呼ぼうと思ってたんだ。会いたかった、ぞ?」

「私も会えて嬉しい――」

 アオの肯定に助かったと安堵しかけたおじさんだったが、「けど」と続いた逆説に体を凍らせる。

「――それはそれとして、どうして私に知らせずユイトと会っていたのか、説明を」

 今、すぐに。


 終わったなぁ……と天を仰ぐ。

 プロペラだけは変わらず、ぐるぐると回り続けていた。


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