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第1話 寝惚けたゆえの過ち

 翌日の朝は目覚めが酷かった。別に夜ふかしなんてしてないのに、完徹後の朝のように休んだ気がしない。意識はあるのに頭が寝ているような感覚。

 昨日、あんなことがあったからだろうか。

 わかりきっていたことを確認しただけ。それでショックを受けるほどメンタルは弱くないはずだ。というか、こんなことで一々床にしていたら、ぼっちなんてやってられない。


 とはいえ、眠いものは眠いので、ここは潔く眠気に負けることにする。こんなに気分のいい負けも早々ないよなーと、枕に顔を埋めてすやーっとしていると、体を揺さぶられた。休息の取れてない頭にこのがくがくする振動は辛すぎる。

「ユイト、起きて」

「むり、ねかせて、あと、あと……はちじかん」

「熟睡しないでっ」

 だって凄い眠いんだ。こんなにも眠いことはなかなかない。これは体が悲鳴を上げているに違いないと睡眠欲求を肯定するのだけど、真面目な幼馴染が許してくれなかった。


「もう起きないと時間がっ」

「じかんー?」

 まるで遅刻のようなアオの焦りよう。枕に押し付けていた顔を上げると、デジタル時計がチッチッと電子音を鳴らしていた。

 ぼやけた視界では時計だなと認識するのが限界で、現在時刻が読み取れない。仕方なく目をこする。ふわっと欠伸をすると涙が出て余計に視界がぼやけた。

 それもどうにか腕で拭って、スッキリした視界で改めて時計を確認する。


「えぁ、と……8時…………20分?」

 うちの高校は朝のホームルームが8時40分だからー。

「あと20分は寝れるな」

「あと20分で登校しないと遅刻するのっ」

 そうとも言える。

「アオはかしこいなー」

「普通の思考をしてれば誰でも同じ結論に至るわ」

「あははー。まるでおれがふつうのしこうをしていないみたいむにゃむにゃ」

「わざとらしい寝言を口にしないで起きて」


 どれだけ寝たいという意思を伝えても、アオは揺さぶるのをやめてくれない。俺にも学校に登校しなければという意識はちゃんとある。皆勤賞は惜しい。でも、今はただただ眠かった。

 俺を起こそうとするのが俺のため、というのはわかる。わかるけど、今だけはその優しさに応えるよりも、睡眠欲求が勝った。

 ただ、現在回転数1桁しかない俺の脳でも、このままでは寝れないのだけはわかる。なので、どうにかしようとゆさゆさされながらどうにか解答を絞り出す。ミイラ取りがミイラ作戦だ。


「そういわず、アオもねようぜー」

「ゆ、ユイトっ!?」

 悲鳴のような焦り声にも構わず、俺の肩を揺すっていたアオの手を取る。そのまま引き寄せて、布団の中に閉じ込める。

「な、で、こ、ち、あ」

「にほんごしゃべれー」

 うめき声なのか、文の1文字目なのかわからない、意味のわからない声がアオの口から漏れている。落ち着けーと肩をぽんぽんっと叩いて、アオの頭を抱き寄せる。


 涼やかで、花のような甘い香り。

 頭の痛みが引いていくような清涼感に意識が微睡む。

「いい匂い」

「……っ」

 しばらく腕の中でじたばたしていたアオだったが、今度は氷のように固まってしまう。服越しに伝わってくる体温は冷たいのに、ぼやけた視界に映るアオの顔はやけに赤くなっているように見えた。

「ねよう」

「…………うん」

 最後には大人しく頷いてくれて、満足感が胸に満ちる。

 隙間なく満ちて、満ちて。

 それが甘い毒だったのを起きてから知る。


「ごめん、本当にごめん」

「ううん、別に……」

 キッチン側のドアを背にして、やってしまったとうずくまる。ドアを挟んで聞こえてくるなにやらしっとりした声に、耳が焼け落ちそうだった。


 朝からなにをしてるんだ俺はー!

 寝惚けていたとはいえ、あまりにも不用意すぎる行動だった。酔った千鳥足で白線を超えてダイブするようなやらかし。これを酒の助けなくやってしまった俺はあまりにも愚かすぎる。20歳になっても酒を飲んではいけないと、早くも禁酒を誓うくらいには大きなやらかしだった。


 こういうことがあるから同棲はダメだって言ったんだよー! と、いまさらすぎる後悔をするくらいには極まっていた。

 合わせる顔がないというのはこういうことだ。不幸中の幸いなのは、酒と違ってちゃんと記憶が残っていること。手は出したが手は出してないというか頭が回らない。

 ともかく同衾と聞けば誰もが想像するような行為はしていないことだけは間違いなかった。


 そこを超えてたら本当に腹を切って詫びるしかない。俺を信用して同棲を許してくれているおじさんおばさんに申し訳……いや。

「もしそうなったら手を合わせて喜びそうだな」

 笑顔で息子よと微笑みかけてくるおじさんを想像して、少しだけ冷静さが戻ってくる。息子ではないんですよ。本当に。


 顔が熱い。

 冷たい外気を溜め込んだようにひんやりしているキッチンにいても、体温は下がるどころか上がり続けている。

 このままでは夏のアイスのように溶けてしまう。夏の風物詩にはなりたくなかった。


 立ち上がって、反転。頭を打ち付けるようにドアに乗せると、向こう側でガタッとなにかにぶつかった音がした。

 どうしたのか開けて確認したいところだが、熱が引かない限り、お互い顔を合わせない方がよかった。


「少し出かけてくる」

「……学校は?」

「今日はもう休む」

 キッチン回りに時計はないが、たぶん10時くらいだろう。今からアオと一緒に登校……想像しただけで頬の熱が増す。

 それに、どうせ皆勤賞は逃したのだ。今から準備すればお昼前には着くだろうが、授業中の教室に2人揃って入室というのを想像すると、頬がこけそうなくらいにはげっそりする。


「わかったわ。お昼前には帰ってきて」

「そうする」

 冬の風に当たれば、少しは体温も下がるだろう。いつもなら付いてくると言い出しそうなアオも、引き止めてはこない。

 日常的に密着してくるくせに、今回に限って意識してるらしい。そういう反応が1番困る。いつも通り手を繋いだり、傍に寄ってきたり……されても困るな。あれ? 俺っていつもアオに困らされてる?


 気付いてはいけない真相に気付こうとしてしまった脳をシャットアウトして、ドアを開けてさっさと着替えやらスマホやら、出かけるのに必要な物を回収していく。

 その折、視界の隅に映り込んだのはローテーブルの前で足先を押さえているアオ。あぁ、ぶつけたのね、と心中で手を合わせながら、またキッチンに引っ込む。


 そのまま準備を済ませて家を出る。人が苦悩と熱に苦しんでいるというのに、玄関前から見える空は快晴だった。雲1つなく、冬らしい高い空が青々と広がっていた。

 曇ってろよ、とは思わないまでも、心情との落差に燦々《さんさん》と輝く太陽を憎々しげに睨む。もちろん、たかが1人のために太陽は雲に隠れたりしない。


 はぁ、と代わりに雲を1つ吐き出してアパートを出る。特に目的地はないが、あんまり遠くに行くと昼前に戻れなくなる。

 わざわざ時間指定をしたんだ。昼食を作ってくれるという確信があった。こういう時くらい手を抜いてもいいと思うんだよなー。

 なので、『駅でハンバーガーでも買う?』とメッセージを送ってみたのだけど、『私が作る』というあっさりめの返信が数秒で戻ってきた。


「……たまにはジャンクでもいいじゃん」

 健康的な食生活が続いて、日に日に体調がよくなっている気がする。アオの手料理はどれもおいしいし、文句を言ったらばちが当たるのもわかってる。

 でも時折、どれだけ体に悪いと理解していても、やたら香辛料のかかった大味なジャンクフードを食べたくなる時がある。

「不健康な物って、うまいからなぁ」

 とはいえ、勝手に食べたら腰に手を当てたアオに叱られるのは間違いないので、やむなく自粛している。カップ麺食べたい。


 食べ物のことを考えたせいか、口の中に唾が溜まる。それを泣く泣く飲み込んで、適当に辺りをぶらぶらする。

 あのアパートに引っ越してきて約1年半。地元ほどではないが、高校入学からそれなりに住み慣れた街となっていた。学校との道中だけでなく、アパートや学校周辺、ついでに駅前なんかはそこそこ把握している。


 散歩するにしても、近所は家々が並ぶわかりやすい住宅街。目立つところはなく、似たような家やアパートが並ぶだけだ。歩くにしてももう少しだけ遠出したい。

「せっかくならなにか買って帰るか」

 アオのご機嫌取りじゃないが、手土産の1つでもあった方がいい気がする。喫茶店でもよく甘い物を食べていたし、ケーキかアイスか。

 どうあれ、駅に向かうべきかと足を向ける。ただ、学校近く通るんだよなーという懸念はあった。あったが、まぁ見張られてるわけでもなし。気にせず駅を目指すことにした。


 アパートのある住宅街を抜けて、横幅の長い公園を横切る。そのまま校舎前を通り抜けようとして、「高丈たかじょう先輩?」と名前を呼ばれた。

 澄んだ、けれどもどこか幼さを残す声に惹かれて顔を動かすと、丁度校門の前で制服姿の女の子が俺を見て大きく目を見開いていた。

 学校指定のコートを着ていて、これから登校ですといった装いだった。毛先が肩を撫でる茶髪を見て一瞬誰だ? と悩んだが、顔には見覚えがあった。

 えっと。あれだ。


「……久しぶりだな、後輩?」

「覚えていないのなら、素直にそう仰ってください」

 呆れるようにため息をかれて、バツが悪くなる。気まずさで頬をかいて、一応言い訳をしておく。

「いや、覚えてる。覚えてるぞ? 同じ中学出身の後輩というのはわかってる。ただ、名前が、な? 出てこなくて」

「なにを焦ってるんですか」

 ふふっと、笑われて居た堪れなさが増す。


 ただ、俺が道化を演じたからか、肩に入っていた力が抜けたように強張っていた表情も緩くなる。

夢観ゆめみセナです。中学の頃に名乗っていなかったので、覚えていなくても気になさらないでください」

「あー、そうだったか」

 言われて見れば、中学校で出会った時も自己紹介をした覚えはなかった。そうなると、俺も名乗った覚えはないのだけど、まぁ、知っててもおかしくはないか。中学の頃の俺は今と違って有名人だったからなー。悪い意味で。


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