あまり思い出したくない過去を呼び起こしていると、また「高丈先輩」と呼ばれてセナを見る。ただその目は、先程とは違って不審な人を見るようにじとっとしていた。
「なにその目」
「いえ。学校のある日に、私服でなにをしてるのかなーと」
「あー」
確かにセナからすれば不審か。彼女は遅れて登校したみたいだが、俺は私服。学校の前でなにをしてるんだと尋ねたくなるのもわからなくはなかった。
「諸々あってサボった」
「堂々としてますね」
「誤魔化す意味もないからな」
これがアオ相手だとまた違うのだが、顔見知り程度の後輩相手に焦ってはぐらかすほどのことじゃない。
「諸々とは?」
「それはあれだ。諸々だ」
そっちは顔見知り程度の後輩相手でも、焦ってはぐらかすくらいには触れられたくなかった。
じっと刺さるしっとりとした視線が痛い。気分転換のために外出したのになんでこんなことにと思いながら、とりあえず話題を逸らす。
「俺のことはともかく」
「露骨に話題を逸らしましたね?」
「ともかく」
けふんこふんと咳払い。
「セナはどうして遅れて……って、なにその顔」
「あ、……いえ」
目を丸くしたかと思えば、落ち着かなそうに毛先をくるくると指先で弄り始める。
「名前で呼ばれたので」
「え、ダメだった? 距離感計り間違えた?」
人の名前を呼ぶこと自体が稀すぎて、そこまで意識していなかった。普通、女子相手に名前呼びしないっけ? 人付き合いが少なすぎて当たり前がわからない。
「夢観の方がよかったか? それとも、さん付けしろよとかそういう?」
「いえ、いえ」
否定するように、顔の前で小さく手を振る。
「セナで、大丈夫です、……から。はい。敬称も、いりません、ので」
「その割には言いづらそうというか、呑み込みづらそうにしてるが」
「持病の癪です」
けほけほとわざとらしく咳き込む。うーん、誤魔化すにしてももう少しなかったのかと思う。でも、先程、こっちの露骨な話題逸らしに付き合ってもらったので、指摘することは控えておく。
「それでセナは……やっぱりやめるか?」
「大丈夫、です」
その割には名前呼びすると挙動不審というか、顔が赤いのだが。
「で、なんで遅れたの?」
このままだと埒が明かないので、呼びかけをすっ飛ばして尋ねる。
「寝坊、ですね」
「そりゃまた意外な理由」
真面目そうに見えるのに、意外と私生活は乱れていたりするのだろうか。
「……ここ最近、寝付きが悪かったので」
「寝付き、ねぇ」
似たような話もあるものだと思う。そこで遅刻してでも学校に行くか、サボるかという差が出るのは、それこそ真面目不真面目によるところが大きいのだろうけど。
「俺が言えたことじゃないが、あんまり夜ふかしはしないようにな」
「…………誰のせいだと」
「なにか言った?」
声が小さすぎてよく聞こえなかった。
セナは「なんでもありません」と隙のない笑顔を浮かべる。こういう笑顔の時はだいたいなにかあるというのが俺の経験談なわけだけど、顔見知り程度の先輩が『なにか困りごとでもあるの? 話訊こうか?』なんて、人間関係に難のある俺でも距離感の計り間違えだとわかる。
なまじセナの顔がいいから、下心があるようにしか聞こえない。
「じゃあまぁ俺は行くから、授業頑張ってくれたまえー」
そのままセナを横切って散策を続けようとしたのだけど、どうしてか足が前に進まなくなる。なぜ? と思って振り返ると、セナが俺の服の裾を掴んで俯いていた。いやなぜ。
「どうした?」
「その、高丈先輩は今、時間があったりしますか?」
「ないことはないが」
学校サボって暇というのもおかしな話だが、アパートに戻るには早い。足が遠のくくらいには、まだ気まずさを抱えていた。
なので、時間はあるのだが、それをこれから登校するだろう後輩に尋ねられる意図は皆目検討もつかなかった。
「一応訊くけど、暇なら学校行こうぜとかいう真面目委員長優等生ムーブをしたわけじゃないよな?」
「そういうのでは、なくて、ですね」
俯いたまま、どうにも歯切れが悪い。皺でくしゃくしゃになるくらいに服の裾が握られ、伸びている。
逃げるつもりはないから放してくれないかと思っていると、セナが聞き逃しそうなほど小さな声で話しかけてくる。
「コーヒーのおいしいお店を知っているので、よろしければご一緒にいかがでしょうか?」
「コーヒー」
急な誘いにやや戸惑う。
「これから学校だろ?」
「サボります」
「いいのか?」
「構いません」
「そうなのか」
でもこっちは構う。
別に不良を名乗る気はない。というか、今回が初めての休みでサボりだ。そうした思春期特有の跳ねっ返りとは無縁なのだが、状況だけを見ると遅刻してでも登校するような真面目な後輩を悪の道にそそのかす悪い先輩の構図だった。
アオの件で底値な風評をいまさら気にするつもりはないが、諸手を挙げて誘いに乗るというのは気が引けた。
「どうするかな」
久々に会った中学の後輩。断るのも忍びないけどなー。
天秤がぐらぐら揺れている。また今度な、というのが1番手堅いかな? と誘いを断る方に傾く。
「ダメ、でしょうか?」
それをズガンッと反対に傾かせたのは、寂しさの滲ませたセナのそんな言葉だった。
セナ本人に狙った意識はないだろうけど、俺にとってはクリティカルすぎる殺し文句だった。アオのせいかな。どうにも、こういう甘えには弱い。
「なら、案内してくれるか?」
言うと、セナはガバッと顔を上げる。その顔は驚愕に満ちていて、まさか受け入れてくれるとは思わなかったと、ありありと顔に書かれていた。
ただそれも一瞬で、すぐにパッと笑顔の花を咲かせると、大きく頷いてみせた。
「はいっ。では、ご案内しますね!」
「それはいいんだが」
機嫌よく先導しようとするセナを止める。なんでしょう? と、振り返って小首を傾げる彼女に下を指差す。
その先には、いまだに握られたままの服の裾が、これでもかって伸びて俺を引っ張っていた。
「ご、ごめんなさいっ」
「いやいいけど」
伸びた服を見てアオがなにを思うか。
それだけが少し気になった。